27 乙木雄一の昔話
幼い頃。私は、周囲よりとても頭の良い子どもでした。
そして子どもの身でありながら、なまじ頭が良かったせいで他人を見下す癖がありました。
頭が悪いというのは、なんて不自由で、不幸なことだろう。
自分だけは、そうなりたくない。
そんな思いを、それこそ物心ついたころからずっと思い続けていました。
思春期になった頃には、その思想を拗らせていました。
どうして、私より頭の悪い奴の方がモテるのだろう。
私の方が優れているのに、どうして馬鹿な奴らの方に女性が寄っていくのだろう。
そんな疑問を、私は身勝手で傲慢な仮説で解決してしまいます。
きっと、馬鹿な奴らに集まる女性も馬鹿なのだ。だから、賢くて優れた自分を理解できない。同じレベルの馬鹿でしか集まることが出来ないのだ。
そんな、愚かな考えを抱いていました。
やがて私は、大学という場所に希望を見出すようになりました。
きっと高校の人間よりも、ずっと賢い女性が集まる場所のはず。ならば、自分を理解してくれる女性も多い。きっと、賢く優秀な自分がモテるようになるはずだ。
そう思い、私は大学への進学を決意しました。
当然、大学へ通うことでより自分の知識を増やし、賢くなりたいという思いもありました。
しかしそれと同程度ほど、大学に行けば自分も女性にモテるはず、という期待があったのです。
しかし現実は非情です。
幸いにも、最終的には数人の女性とお付き合いすることは出来ました。
しかし誰一人として長続きせず、一方的にフラれるばかりでした。
結局、一度も性行為に至ることすら無いまま、私は大学で孤立していきました。
さすがにこの頃になると、経験を通して私も理解していました。
頭が良いだけでは、モテるわけが無い。
そもそも頭の良さで人を見下すような人間が、見知らぬ誰かにパートナーとして選ばれるわけが無かったのです。
大学という、高校よりは開放的な環境。そして私という人間の欠陥を知らぬ人が多い環境。それらが重なったお陰で、女性と付き合うところまでこぎつけることは出来ました。
しかし、残念ながらそこまでです。事実を知られた時、結局私は拒絶されるだけでした。
この頃になると、もう私には知識以外に取り柄というものがありませんでした。他人より賢い。他人より優れている。その事実だけが、私の寄辺となっていました。
知識だけを求めて、大学に通う日々が続くようになりました。
私の知識欲が求めるまま、卒業を考えずに不要な授業を履修し、必修科目をサボって読書に励みました。
人より優れていれば、きっと結果がついてくると信じていました。
しかし、待っていた現実は、コンビニ店員という就職先です。それもアルバイト。数年のニート生活を経た後のことです。
六年の大学生活を終えた私は、留年と中退という二つのイエローカードのお蔭でまともに企業面接すら受けられない状態でした。受けた面接も、確実に落ちます。
そもそも、卒業すらしていない私が受けることのできる面接自体数少ないものでした。知人のコネクションがあれば話は違ったのでしょうが。選民的な思想で孤立していた私には縁遠いものでした。
自分という存在の価値について、現実を知りました。
そうして私は、あえなくニート生活に落ちたわけです。
その後数年の堕落した生活を経て、最終的にはコンビニ店員として働き始めたわけです。