19 乙木の将来設計
「おっさんは、戦争でこの国がヤバくなるって思ってんのか?」
有咲さんは、困ったような声で訊いてきます。私の問いで、不安を抱いてしまったのでしょう。
「いえ、そうとは限りません。しかし、現代日本と同程度の安全は保障されないでしょう。まあ、それについては戦争が無くても同じですが。有咲さんも、体験しているでしょう? 治安の悪い土地では、やはり生きにくいものなのですよ」
「あぁ、まあそれは確かに。分かるけどさ」
有咲さんは、以前冒険者に絡まれ、身の危険を身近に感じたことがあるはずです。この世界では、あの程度の危険が当たり前なのです。それを前提に考えれば、金貨数千枚というのは少なすぎる金額です。
たとえ数万枚の金貨を手にしたところで、私たちの生活が現代日本と同等の安全を保障されたものになることは無いでしょう。
「そして、マルクリーヌさん。貴女は、恐らく私の目標を勘違いしています」
「はあ。乙木殿の目標ですか。戦争に関わらず、一市民として平和に暮らしたいのではありませんか?」
「そうですね。その願いは間違いなくあります。しかし、基準がこの世界の方々とは大きく違います」
そう言って、私はマルクリーヌさんに説明をしていきます。
「まず、私や有咲さんのいた世界はとても平和で、満たされた世界でした。冒険者のような、暴力的な組織は存在しません。少数精鋭の騎士団のような存在が、勇者よりも優れた力を発揮する武器を用いて国を守っていたのです。強すぎる力を多くの国が持った結果、戦争で勝ち得る利益よりも、戦端を開くことによる被害の方が大きくなってしまった。故に、どの国も戦争を起こそうとはしません。人々は冒険者すら必要としない安全な土地で、飢えること無く満たされた街で十分な衣食住を保障され、平和を享受していました」
「なんと。それは、信じがたい話ですが」
私の説明に、マルクリーヌさんは半信半疑のようです。まあ、私の説明も例えが多く、日本を取り巻く状況としては不完全ですが。
ともかく。今は私たちの世界の方が裕福であったことだけ理解してもらえればいいのです。
「信じる信じないは、マルクリーヌさんの自由です。けれどこの世界と、私たちの世界では一日の価値が違います。今日経験した同じ生活の中でも、幸福の重みが違います。この世界のパンは明日から二度と食べられないかもしれないパンです。しかし、私たちの世界のパンは、明日からも毎日ずっと食べられることを約束されたパンなのです」
「なるほど。乙木殿は、そのような世界から来た、ということですね?」
マルクリーヌさんは、ともかく今は私の説明を鵜呑みすることに決めたようです。私は確認するような問いかけに頷いて答えます。
そしていよいよ本題に入ります。
「ですので、私たちが思い描く十分に満ち足りた生活というのは、マルクリーヌさんが想像するよりも遥かに満たされたものなのです。裕福かつ安全な生活を、私たちはずっと続けてきました。この世界でも、当然同等の生活を求めています。召喚されるまで当然のように得られていた権利ですから。以後も求め続けるのは、何もおかしなことではないでしょう?」
「言われてみれば、勇者の方々はどこか常識外れな部分がありましたな。我々からすれば贅沢すぎる境遇にありながら、不平不満を平気で零す子ども達は多く居ました。確かに、乙木殿の言うような環境で育ってきたのなら、仕方のないことだったのかも知れません」
マルクリーヌさんは何かを思い返すように頷き、そしてまた、私に問いかけてきます。
「そして、乙木殿も同様というわけですか。我々から見れば十分すぎる報酬、つまり数千枚の金貨ではまるで釣り合わないと。そう言いたいわけですな?」
「はい。私が望むレベルの生活を保障するには、あまりにも心許ない金額です」
「ようやく合点がいきました」
どうやら、これでマルクリーヌさんは納得して頂けたようです。
「そこまで言うならさ。オトギンの思う、十分に満たされた生活っていうのには何が必要なのかな? ボクも少し、興味が出てきちゃったな」
シュリ君が、好奇心に目を輝かせながら言います。
「私が必要とするものですか?」
「そうそう。数千枚の金貨だけじゃないよね。国からお金を借りてまで、オトギンは何をやろうとしてるんだい?」
なるほど。つまりシュリ君は、私が求める生活水準を満たす為に必要な条件は何か。そしてその条件を満たすために何をするつもりなのかが気になっているのでしょう。
この際ですし、話してしまいましょう。別に、シュリ君やマルクリーヌさん。そして有咲さんには聞かれても問題無いはずですし。
「そうですね。私が生活に必要とするのは、絶対の安全と私の世界に準ずる衣食住の品質です。まあ、この世界もそう捨てたものではありませんが。便利で安全な生活、という点では私たちの世界には遠く及びませんね」
「ふむふむ。オトギンはずっと、安全っていう言葉をよく使うね。そこがとても重要なポイントなんじゃないかって思うんだけど、違うかな?」
「さすがシュリ君。話が早いですね」
「でへへ~」
私がシュリ君を褒め、頭を撫でてあげます。シュリ君は嬉しそうに顔を緩ませます。和む瞬間ですが、こんなことばかりしていては話が進みません。
「シュリ君の言う通り、私が重要視するのは安全です。そして、この世界で安全を脅かす原因は現状で二点あります。まず、戦争をしていること。次に、冒険者を始めとしたならず者同然の人間が街を闊歩していること」
「なあおっさん。前から思ってたけど、おっさんって冒険者の評価めっちゃ低いよな」
「当然ですよ。彼らは暴力で生計を立てているんですよ。日本で言えば暴力団です」
「いや、それはさすがに違うとアタシでも思うんだけど」
「まあ、細かいところは置いておきましょう」
私が話を流すと、有咲さんは納得いかない様子ながらも、口を噤みます。
「安全を保障するために、私がやるべき最大の目標は一つだけです」
もったいぶった私の言い方に、皆さん息を飲みます。
私ももったいぶって、少し間を置いて宣言します。
「戦争を止める。それが私の、最大目標になります」