17 叱咤
そろそろ、披露宴会場の入場が始まる頃でしょうか。
私はそれでもまだ準備もせず、有咲さんの部屋にいました。これからもう必要なくなるであろう椅子に座って、部屋の中を呆然と眺めます。
思えば色々ありました。始まりは異世界に飛ばされてからでしょうか。いえ、正確にはもっと前。それこそ有咲さんが生まれた時からです。
姉に呼び出され、生まれた娘の名前を決めようという話になって。その頃の私はどうしようもなく捻くれた最低の男でした。
平家物語の一節から文字を取り、小さな命の灯火に有咲という名前をつけました。
その後は姪っ子と叔父として、有咲さんが小学生になった頃までは縁があったでしょうか。何のきっかけだったかまでは忘れましたが、確か私が大学を中退して、アルバイトを転々と始めた頃には姉の家を訪ねることは無くなりました。
まだ自分は若いと思っていて。まだ自分には何か出来ると思っていて。そう考えているうちに日々は過ぎ、歳を取り、身体は部位毎にみっともなく萎れ膨れ、皮膚は栄養の偏りからか汚い色に変わっていきました。
もう自分が何者でもない存在なのだ、と気付くには、あまりにも十分な変化でした。
いつしか自惚れは反転して、自分がどこまでも惨めに思えて、せめて小さなことでもいいから誰かの為になって死んでいきたいと、そんな思いを抱くようになって。
そしてあの日。夜勤明けのコンビニ前で、有咲さんと再会し、異世界へと飛ばされたのです。
今にして思えば、随分とあの時の自分は興奮していたように思います。何者でもなかったはずの自分にも出来ることが見え始めて。やれることをやると結果が付いてくる日々を過ごして。
自信を取り戻し始めた頃に、路頭に迷いかけていた有咲さんを保護して。
目まぐるしく変化する日々の中で、私を頼りにしてくれて、ずっと身近で親身になってくれた有咲さんを好ましく思い始めて。
そこから状況が拗れて、今に至るわけです。
冷静に考えれば、これで良かったのです。そもそも、私と有咲さんが男女の関係になるなどありえません。姪と叔父なのですから。そんなものは一時の気の迷いです。
私には有咲さんを幸せにできる甲斐性もありませんし。
これで、良かったのです。
「こんなところで何をしているのですか?」
不意に、声がかかりました。
部屋の入り口の方を見ると、そこにはマリアさんが立っていました。
「情けない話なのですが。有咲さんの晴れ姿を見るのが怖くて。足が動く気がしないんです」
「そのような有様で、保護者を気取ってきたつもりですか。情けないですね」
マリアさんは、やたら辛辣な言葉で私を攻め立ててきます。しかし、言われても仕方ないような状態であるのも確かです。
「仰るとおりです。自分が情けなくて、嫌になりますよ」
「だったら、どうにかするべきではありませんか? 理由は考えましたか? 原因は、私にははっきりしているように思えますけど」
「そう、ですね。理由は、確かに。誰に言われるまでもなく」
「有咲さんのことが好きなんでしょう?」
言われて、明確になります。
私は有咲さんが好きだ。愛しています。
多分、自分が理屈で理解している以上に、心で惹かれています。
否定する気も置きないほどの、図星でした。
「ですね。倫理的には、少々問題がありますが」
「そうでしょうか? 貴族であれば近親婚も普通にあることですし、大商人や高位の冒険者等も、稀ですが同じような話はあります。一般的ではありませんけど、不自然ではありませんよ?」
「私の故郷では、ありえないことだったんです」
それを聞いたマリアさんはため息を吐きます。
「王都生まれでもないのに、王都に住みながら故郷の話をしますか? 思い出に浸るのも良いですが、今は現実的なことを考えて下さい。乙木様。貴方は今、王都の常識で言えば単なる裏切り者ですよ。自分の女を貴族に売った外道です」
「あはは。そうかもしれませんね」
「だったら、どうしてこんなところにいるのですか!」
マリアさんの怒鳴り声にも、私は強く言い返す気力は湧きませんでした。静かに、自分の中で整理した事実を語ってゆきます。
「これが一番、有咲さんの幸せの為ですから。ルーズヴェルト侯爵であれば、悪いようにはしないでしょうし。対して私はこの通り、格好良くもなければ甲斐性もありません。お金の問題は貴族であれば不満などありえないでしょうし、生活の安全面でも危険に首を突っ込んでいく可能性のある私の隣よりは断然いい。有咲さんの幸せを思えば、必然的にそうなります」
この発言に、マリアさんはため息を吐きます。
「はぁ、何をそんなにいじけているのか知りませんけれど。女の子の幸せは、いつだって一番好きな人の隣にいることです。何故、それを叶えてあげないのですか」
「別にいじけているわけでは」
「いじけています。誰がどう見ても」
私の反論はピシャリ、と言葉を重ねられて封じられてしまいます。
「何が気に入らないんですか。何がそんなに、怖いんですか。どうして、そんなにも当たり前のことから顔をそむけて、逃げようとするんですか!」
言い返す、合理的な言葉がみつかりません。
「逃げているわけでは、ないのですが」
そう言うと、マリアさんはやれやれ、といった風に首を振ります。