03 有咲の涙
しばらくすると、三森さんだけが戻ってきました。有咲さんは、一人で先行したままです。
「あの、乙木さん。有咲ちゃんから話を聞いてきたんですが、少しいいですか?」
「ええ、どのような話をしてきたのですか?」
私が訊くと、三森さんは悲しげな目をして語ります。
「このあいだの夜のことは、もう誤解していなかったみたいです。後々考えたらおかしい、って気づいたらしくて。だから私には、特に怒ってないから気にしないでって言ってくれたんですけど」
どうやら、先日の夜の誤解は既に解けていたようです。
しかし、だとすればなぜ三森さんの表情は優れないのでしょうか。
「じゃあどうして、様子がおかしいのかを聞き出してみました。そうしたら、有咲ちゃんは自分が間違ってたんだ、って言いました」
「間違っていた、と?」
「はい。ずっと一緒に居て、観察していたから乙木さんの気持ちはお見通しだったそうです。だから最初は舞い上がってたらしいんですけど、いくら努力しても乙木さんが自分を拒絶するから、それが余計に辛くなっていったらしくて」
言われて、心が痛みます。
やはり私の選択は、有咲さんを傷つけていたようです。
「で、乙木さんがそこまでするんだから、じゃあ正しいのは乙木さんだから、って言ってました。今までの自分が間違ってたんだって」
「それは、そういうわけでは」
ありません、と続けかけた言葉は飲み込みます。この場で言っても、仕方のない言葉です。
決して有咲さんが間違っていたというわけではなく。ただ、私が有咲さんを受け入れるわけにはいかない。それだけのことなのです。
有咲さんが、自分を責める必要はありません。
「乙木さん。やっぱり、よく話し合ったほうがいいですよ」
金浜君が、諭すように言います。
「そうですね。このままではいけませんね」
私は急ぎ足で、先をゆく有咲さんの方へと駆け寄っていきます。
「有咲さん!」
私は追いつくと、すぐに有咲さんに呼びかけました。
「おっさん。なんだよ」
「いえ、その。話をしたいと思いまして」
「話すようなこと、あったっけ?」
どこか突き放すような有咲さんの言葉に、私は閉口してしまいます。
「あー、ごめん。なんか、そういうんじゃなくて」
そして、有咲さんは私の様子を見て、すぐに訂正しました。
「なんていうかさ。今まで色々あったけどさ。いったん冷静になろうかなって。んで、おっさんとはもう付き合わない。あ、いや、関係がなくなるとかじゃなくてさ。男と女っていうか、彼氏彼女みたいな、そういうやつは狙わないっていうか」
「それが、有咲さんの選択なのですか?」
私が問うと、有咲さんは頷きます。
「うん。正直、今でも好きだよ。おっさんのこと。でも、おっさんが望まないなら、それでいい。おっさんはおっさんの、アタシはアタシの幸せのために、出来ることを精一杯やる。それだけじゃん。それしか、ないじゃん」
どこか悔しそうに、言葉尻が震えていました。私は心配になって、有咲さんの顔を覗き込みます。
すると、その目からは一筋の涙が溢れていました。
「有咲さん!」
「あれ。あはは、おかしいな。なんか、そういうつもりじゃないんだけど。ヤバいね」
言うほどに、有咲さんの瞳から溢れる涙の量は増えていきます。
「違う、ごめん。ほんと、そういうんじゃなくて」
「有咲さん、私は」
「でも、今は来ないで。一人にしてくれよ」
有咲さんを慰めようと、つい手を伸ばしてしまいました。掛ける言葉も思いつかないのに伸びた手を、有咲さんは払い落として拒絶しました。
そしてそのまま、涙が止まないまま、さらに先へと一人で走っていきます。
私は、悔しいですが、ただそんな有咲さんの背中を見送ることしか出来ませんでした。
拒絶されても、なおどんな言葉をかけるのか。どうするべきなのか。
それが分からずに、立ち尽くすばかりでした。