6. 学園で噂の幽霊話
ゴンナ亭での出来事から数日たったある日のことだった。
「あら、おはよう、キャロル」
「おはようございますソフィア様」
ソフィアとレオがいつも通り、貴族が多く騒がしい教室に顔を出す。そこには意外にもこの時間には普段は見かけない人物がいた。
今日も茶髪のぐるぐるドリル絶好調のキャロルが、珍しくソフィアとレオより前に教室に来ていたのである。
「珍しいじゃない、貴女が早いなんて」
「オホホホ。これくらいはどうってことありませんわ。それにわたくし、噂を聞いていてもたってもいられませんでしたの」
「ウワサ?」
キャロルはオホホホと見る人が見ればイラっとする笑いを見せた後に、コッソリとソフィアに耳打ちした。
「実は最近、この学園に幽霊が出ると噂になっていますの」
「ユウレイ?またなの?」
「あら、もう幽霊騒動をご存知でしたの」
「あ、いやこっちの話。それで、幽霊騒動ってなに?」
「はい、実はですね……」
ここ二週間ほど、幽霊に遭遇したという噂が絶えない。なんでも幽霊に取り憑かれた人は魂を抜かれたように気を失うという。実際、病室に何人も倒れた者が運ばれているらしい。
しかしこれほどの大事があまり広まっていないのは、一つ原因があった。
「それが、数日したら幽霊に襲われた人たちは元気に戻ってしまいますの。しかも、幽霊に襲われたことを全く覚えてないみたいで」
「ふーん、記憶がなくなってるのね」
命に別状はない。このことがたかが噂とされる原因だった。しかも記憶がなくなっており原因も不明、噂話に教師も動かない。
「実はアドルフ様の側仕えでいらっしゃるエルマー様もその幽霊に襲われてしまったみたいで……ああ、心配でたまりませんわ!」
「あーあの、アドルフ様ね……ともかく幽霊騒ぎが最近話題となっているというのは分かったわ」
「ああ、エルマー様大丈夫でしょうか。わたくしほんとに心配で心配で……」
「どうせ数日後には回復するなら問題ないじゃない」
それから座学の授業を少しはまじめに受ける。先日のパキャファロの件で少しは勉強が必要だと感じたためだ。決してレオに呆れられたからではない。
一方、レオの方も似たような噂を聞いていた。
「おい、聞いたかレオ!」
「……ダレルか、なに?」
「幽霊の噂だよ!ウワサ!」
「……幽霊?」
ダレル・スコットは大商人の息子であるとともに、かなりの情報収集能力を持っている。本人曰く、それくらいのことができなきゃ商人なんてできないということらしい。
「ああ、幽霊だ。なんでも襲われると魂を抜き取られるらしい」
「魂を?なにそれ、魂ってとれるの?」
「レオめ、信じてないな?でも実際に人が倒れたんだ、数日後には復活するけど」
「それ、魂じゃないよね」
「……まあともかくだ、幽霊がいるって噂は広まってる。それに倒れる者も多数出ている」
「うーん、なんでだろう」
数日後には復活するとは聞こえはいいが大問題ではないだろうか。貴族まで巻き添えになって昏睡してしまってるのだから。
「学園側は何か言ってるの?」
「いんや、ダンマリだ。外に漏らすなって通達されたらしい。教師だけで調べるのかもな」
「ふーん、そうだったらいいけどね」
ダレルの情報は足が速い。主人たるソフィアと相性が悪いアドルフが、側仕えの貴族であるエルマーが襲われたことを学園長に直訴しに会いに行ったことまで話してくれた。しかもこの話は昨日の授業後の話だというのだから驚かされる。
「なんかさ、学園長ってこう…魔術は凄いけどそれだけ、みたいな感じするんだよね」
「ん?うーん、そういう噂は聞いたことあるな。学園長はどこかの貴族の犬だとか、権力に弱いとか」
「でしょ?なんとなく思っただけなんだけど、この騒動、隠蔽されてるんじゃないかな、なーんて」
アハハと笑うレオとは対照的に、ダレルは無言で押し黙る。それはレオからすれば珍しい沈黙であり、何か考えているのだろうと思って同じように沈黙する。
「……そうか、そうか!隠蔽か、それなら納得がいく!生徒が次々倒れるなんてもっと有名になってもおかしくなかったのに噂程度で止まるのはそういうことか!
となると、学園長か?それとも教師?病室の医師も怪しいな。ひとまずもう一度情報を洗おう……いやぁありがとな、おかげでひとつ新しいことがわかったよ!」
それから席を離れてどこかへ立ち去るダレルを、レオは何が何だか分からず見送るだけだった。
時は遡り、前日の授業後。
アドルフはこの幽霊騒動に対し学園側がなにもしないことに対して抗議をしに行っていた。
「カルローはここで待っていてくれ」
「いや、しかし……」
「戦闘になるわけでもない」
ノックして声がかかる前に扉を開け放つ。これもアドルフが公爵嫡男という高い位についているからこそできる事である。
「学園長」
「おお、アドルフ様。何か用ですかな?」
部屋の中にいた人物は、散髪してほしいと思うくらいには長久手ゴワゴワした髪の毛、そのくせいい形に整っている顎髭、それらは全て白髪。この見るからに変な老人と言えるひとが、この学園の長、クライヴ・シーベルある。
フカフカの椅子に座る学園長は、立場上は偉そうに椅子に座ったまま用を聞く。学園内では立場は平等といあスタンスであることをアピールするためだ。
もっともそれはすでに形骸化してしまっているからこそ、学園長はアドルフに敬意を示している。
「学園長、幽霊騒動はご存知で?」
「ああ、もちろん知っておりますとも」
「それならなぜ調査しない」
苛立たしげに学園長に問いただすが、どこか飄々とした態度で切り返される。アドルフには見えなかったが、学園長の額には汗が一筋流れていた。
「調査は教員の一部が行なっておりますぞ。誰にも話す必要はありませぬ。ご安心くだされ」
「……ならいい、早急な調べてほしい」
たったそれだけの会話でアドルフは踵を返す。そして扉がもう一度開かれた後、バタンと音を立てて閉まった。
アドルフは険しい顔で廊下を歩く。
今回の事件と学園長の対応を比べて、苦虫を噛み潰したような表情をしていた。
「どうでしたかアドルフ様」
「……学園長が動いてるかは分からん、ただこのことはなかった事にしたいらしい」
「はぁ、なぜでしょうか」
話を聞いていなかったとはいえこの男は推測もできないとかと呆れかえってしまう。隠蔽するといったらその理由は一つしかないだろうに。
「決まってる、外聞が悪いからだ。チッ、魔術の才能はあっても権力の犬か」
「なるほど、さすがアドルフ様ですね」
都合よく褒め称えるカルローにまたイライラする。わかっていて聞いたんじゃなかろうかと疑いさえしたが、頭の悪そうな顔を見て考えるのをやめた。
「まあいい、別に問題はない。しばらく様子を見るが、解決する気配がなければお父様に伝える。学園で騒動を起こすのは面倒だしな」
「アドルフ様が言うのならば、そうした方がいいんでしょうね」
「……チッ」
ヘコヘコと頭を垂れるそばの貴族を横目で見やり舌打ちを打つ。ダファリン派閥として繋がりは深いため一緒にいることを許してはいるが、こんな使えない男など必要ない。
そもそもエルマーが倒れたのも形として心配してやっているだけなのだ。
侮蔑を込めた舌打ちは、向けられた本人に意図が伝わることはなかった。