ねこのはなし(7)the cat's side
一時間半ばかり揺られた車から降ろされ、ようやく扉の開いた籠から出てみると、そこは見覚えのある家だった。このあいだここに来たのは確か……半年前くらいだったか……。
いままで暮らしていた部屋に戻れない、いや、戻らないことはもう分かっていた。僕の拾い主は僕を手離し、たまに訪れてきていたこの人たちに託していったのだ。
捨てられたわけではない。むしろ、窓のカーテンが閉め切られていて一日じゅう薄暗く、自由に走り回ることも出来なかったあの狭苦しい部屋に比べたら、ここは陽当たりも良く、上り下りする階段もあるし、綺麗好きな「おばちゃん」が毎日のように片づけものやら掃除やらをしている居間の隅にお気に入りの専用ベッドを据えてもらって、僕はすこぶるご満悦だった。
それに食事ときたら。
「おじちゃん」の「ニーはこんな安いごはん食べてるの?」の一言で、僕の食生活は劇的に向上した。いつも十粒ずつペットボトルから苦心して拾い出していた、あのおやつが、なんとメインディッシュに昇格したのだ。しかも食べ放題。
僕はいままで食べていたカリカリに見向きもしなくなった。あんなものは犬の餌だ。それに「ちゅるちゅる」も以前よりずっと頻繁に貰える。ほたてが入った「ちゅるちゅる」の味が気にいらなくて、飲みかけをそのままにしておいても咎められたりしない。大きな声で思い切り鳴いても叱られない。可愛くおねだりすれば、もっと美味しいおやつだって手に入る。人間の足に頭をこすりつけるだけで要求がことごとく叶えられて、僕は神にでもなった気分だった。
僕は順調に室内のテリトリーを広げていった。家じゅうの窓という窓は僕の窓、居間のソファは僕のソファ、「おばちゃん」の枕は僕の枕、「おじちゃん」の羽毛布団は僕のお昼寝布団。
僕は暇さえあれば「おばちゃん」のあとを追い回し、四六時中ごはんやおやつを乞う代わりに、話しかけられたらなるべく話しかけ返すようにした。この「おばちゃん」はお喋り好きでもあるらしく、しょっちゅうひとりごとを言っている、と思いきや、どうも昼間ひとりで過ごすあいだの話し相手として僕が任命されたようなのである。僕はあまり人間と「会話する」ということをしてこなかったので、最初は何を言われているのか分からないこともしばしばだったが、いちおう分かったふうを装ってとにかく返事をしているうちに、言語中枢がスポンジのごとく人間語を吸収していくのを感じた。「ごはん」「おみず」「おそと」「おいで」「おはよう」……。
ある日「おばちゃん」の友達だという人間がうちにやってきた。そこそこ新築だったこの家を見物に来たのだ。僕の姿を認めるなり「まるまる太ってるわねぇ」と失礼な台詞を吐いた彼女は、改めて僕をまじまじと見つめると「まぁ、あなた野良ちゃんだったのにセレブ猫になっちゃったのねぇ!」と羨望の声を上げた。その様子が心の底からじつに羨ましそうで、僕は内心おかしくてたまらなかった。
それはそうと「セレブ」ってどういう意味なんだろうか。またひとつ新しい言葉を覚えたが、誰も説明を添えてくれないから、この言葉は未だに理解できないでいる。