ねこのはなし(6)the owner's side
ニーニと暮らし始めて三年経ったころ、ふと思いついただけの理由で週に三日の契約で日雇い派遣会社に登録した私は、「猫の餌代くらい稼がなきゃ」と周囲に言い訳こそしていたが、そのじつ稼いでいたお金は主にドラッグ(合法ドラッグ、のちに「危険ドラッグ」と呼ばれて世を騒がせる物質の数々である)に費やされていた。
すぐに明らかになったのは日雇い派遣が筋金入りの底辺職であること、そして肉体労働や細かい手作業に私はとことん向いていない、という現実だった。
服用していた処方薬について調べるため巨大匿名掲示板の薬物関係スレッドを見ていたとき、たまたま目に止まったのが合法ハーブの存在だったのだ。
仕事が終わるとバスと電車を乗り継いで帰宅し、そのまま床にうつぶせに寝転がったら、帰りを待っていたのかニーニが背中に乗ってきて半時間ほど動けなくなる、などという微笑ましい話もあるにはあるが、仕事中、私の頭に浮かんでいたのは猫の姿より「帰ったらハーブ…、帰ったらハーブ…」という呪文であった。
ニーニはといえば、変わらず黙って私を見ていた。鬱で引きこもっていたころも、仕事を始めて疲れ果てていても、ハーブやバスソルト、「植物肥料」といった様々な薬物によって眠り続けたり、逆に起き続けていたり、明らかに危ない人の目つきで部屋をふらふらしていても、自分のペースを一切崩さず、欠かさずごはんを食べ、排泄して、冬には私の足許で丸くなり、夏には長々と伸びてしっかり眠る。毎週末に「薬」を届けてくる郵便屋さんのドアチャイムに怯えて隠れるのだけが少々不憫なこの黒猫は、ドライフードと水とトイレ砂を必要とする一種の家具か置物のように部屋に馴染んでいた。馴染み過ぎて、うっかり「うちには生き物がいる」ということを忘れかけるくらいの感覚である。
熱があって、目やにと鼻水が出ていて、お腹に寄生虫がいて、皮膚にはノミがみっしり棲んでいて、干からびた死にかけの子猫を拾って助けたつもりで、私はただ何も言わずに見守ってくれた猫に助けられて生きていたのかもしれない。
そう考えるようになったのは、ニーニが六歳になる年の春だった。私は突然、仕事に行かなくなった。日雇いだから、辞めるのにいちいち一身上の都合など必要ない。会社に連絡を入れさえしなければ済むことだ。そしてほぼ同じ時期に、最悪のタイミングで、悪魔のような魔法の粉を使うようになった。
思い出すのも嫌になるので簡単に説明すると、その粉は覚醒剤に近いもので、私の左腕は二ヶ月も経つと注射針の痕が膿んで、刺せる場所がなくなるほどになった。さしずめ「トレインスポッティング各駅停車」状態である。寝食を忘れて血眼になりながら、まだ使える静脈を探しているうちに日付が変わり、詰まった注射器を猫の飲み水で洗って使い、猫を部屋に放置したまま三日間ほど行方をくらまして身辺を騒がせ、体重が35kgにまで落ちた。
そのことが直接の原因ではないのだが、まる六年間付き合った恋人とは「嫌いになる前にバイバイ」し、新しい彼氏(「……またかよ」)に勧められるまま、私は自ら入院することにした。一部始終を黙って見ていた猫は、横浜の実家に預けるほか選択肢はなかった。六月になっていた。