第六話 初めてのバトル
…やばい!絶対にやばい!
あれにやられたら食われてしまう!
いきなり捕食者と非捕食者が逆転して、俺は必死にぬかるみの干潟を駆けた。
ちらと振り返れば、奴は全速力で追ってきている。
速いっ!
ムニムニと素早く動く脚を見て、背中がぞわりとした。
干潟は奴のホームだ。
なんとか竹やぶの中に逃げ込まないと!
けれどシャカシャカと背後に迫りくる奴の足音に耐え切れず、俺は振り返って奴を迎え撃つことにしたのだ。
「くそっ!来るなら来やがれ!」
俺は竹の銛を両手に構えて、攻撃のタイミングをうかがう奴を威嚇した。
紫に光るまち針のような目が、こちらを見据えている。
シャアッ!
間髪を入れず、ヤドカリのお化けは巨大なハサミを振り上げて襲い掛かってきた。
「わあっ!」
はじき返そうと振り下ろした竹の銛は、奴の硬いハサミにすぱーんと一刀両断されてしまったのだ。
…ちぃっ!
ハサミはそのまま左の肩を掠めた、と思ったらつなぎが裂かれて腕に激痛が走る。
「くっ!」
飛び散る鮮血。
見れば左の二の腕がざっくりと割れていた。
「がぁっ!痛っ!」
なおもハサミを振り上げるヤドカリ。
俺は打つ手無く、一歩、二歩と後退った。
「あっ」
そして不運にもぬかるみに足をとられて、俺は転んでしまったのだ。
…もう、だめだ!
振り下ろされるハサミ。
俺は最後の抵抗に、泥をつかんで奴に投げつけた。
ジュワッ!
その時、奇跡が起こった。
浴びせかけた泥水がヤドカリに降りかかると、まるで強酸をかけられたかのように甲殻の表面が煙をあげて溶けたのだ。
ジュワッ!
泥は偶然にも、奴の突き出た右目に当たり、まち針のような形の目が一瞬で溶け落ちた。
何だ!?
その時俺は何が起こったか全く理解できなかったが、泥をぶつける攻撃がなぜか有効だということはわかった。
「くそっ!食らえっ!」
手当たり次第に両手で泥をつかんでは、ヤドカリに投げつける。
ジュワッ!ジュワッ!
浴びせた泥は今度も有効だった。ヤドカリはハサミを振り上げて泥を防いでいたが、右のハサミはあっという間にぼろぼろになった。
その時は必死だったので気にしなかったが、俺の投げた泥は、なぜか利き手の右手で奴のハサミの隙間を狙い、コントロール良く胴体の急所にクリティカルに当てたものには効果が無いのだ。逆に不器用な左手でところ構わずぶっかけた泥だけが奴の殻を溶かす効果がある。
ジュワッ!
さすがにひるんだヤドカリを見て、俺は急いで起き上がり、必死で走った。
奴も追ってきたが、最初の勢いはない。
なんとか竹やぶに逃げ込み、迎撃態勢をとる。
にょきにょきと竹が生えた竹林の中なら、図体のでかい奴は動きにくいはず。
俺は竹やぶの中を逃げ回るつもりだった。
しかし怒りに狂ったヤドカリは、干潟から竹やぶの中に上がろうとしなかった。
竹の間から息を殺して見守る俺を威嚇して、ハサミを盛んに振り上げて見せるが、奴はそれ以上は進もうとはしなかったのだ。
「ここは…安全地帯なのか?」
しばらくするとヤドカリは諦めたのか、干潟の彼方に去って行った。
「…助かった」
ほっとすると、俺は疲れがどっと出て来てしゃがみこんでしまった。
切られた左腕がズキズキと痛い。
幸い、血は止まっているけど…。
「傷口、洗わないと化膿するな」
疲れ果てた身体に鞭うって、俺は若竹の節に溜まった水で傷を洗った。
そしてずぶ濡れになったつなぎを脱ぐのももどかしく、ずるずる這うようにしてでっかい竹の切り株の中にもぐり込んだのだった。