第二十五話 俺の名は
急いでいたから手はつけなかったけど、船には積み荷がまだ残されていた。
海賊たちは必ずそれを取りに戻ってくるはず。
そして奴らが帰って来た時、甲板にレプレも見張りの仲間たちもいなければ、きっと奴らはあたりを探しまわることだろう。
この延々と続く砂浜には隠れる場所なんて無いから、船の甲板から見はるかせば、あっという間に見つかってしまう。
レプレのピンクの髪なんて目立つからなおさらだ。
だからもし見渡すかぎりに俺たちの姿が見つからなければ、奴らはきっと相当遠くまで逃げてしまったと思うだろう。
でも、それを逆手にとって、ざる舟を砂に埋めて潜んでいればどうだろう。まさかそんな近くにいるとは思わないだろうし、こっちは奴らの様子を窺うことができる。
「これは何?」
「ちょっと狭いけど、この中に隠れようと思う。いいかな?」
俺がそういうと、レプレはちょっと戸惑った様子だったが、
「わかった」
と、頷いた。
折しも潮が満ちはじめて、俺たちの足跡は波が消し去ってくれている。
俺はヤドカリのハサミで砂を掘った。
ハサミはこんな時でも万能ぶりを発揮してくれて、あっという間にざる舟はすっぽりと砂に埋もれて完全にカムフラージュされた。
ハゼのお化けの擬態を真似た感じだ。
これならよほど近くに寄らないと見つからないだろう。
◇
「この中に隠れよう…」
急いで走って少し息の上がった私に、彼は奇妙な円盤を指差して言った。
私はちょっとびっくりしたが、彼を信じてついていくことに決めたのだ。
「わかった」
私はコクリと頷いた。
すると彼は見惚れるような手つきでみるみるうちに円盤を砂に埋めてしまった。
なるほど、これなら全然わからない。
彼はおもむろに円盤の蓋を開いた。
…なるほどね、こういう風になってたんだ。
それは直径二メートルばかりの、緻密に編まれたざるだった。
ごちゃごちゃと入っていた荷物を片付け、一部は近くの砂に埋めると、二人が寝そべるだけのスペースが空いた。
「おじゃまします…」
彼に勧められるまま、私はそろりと足を踏み入れた。
ミシ…。
軋む音がするが、ざるは意外に丈夫だった。
籐とは違う、不思議な枝で編まれたざる。
入り込んで蓋を閉めると真っ暗になったが、
編み目の間から光が漏れて、目が慣れるとぼんやりと彼の顔が見えるようになった。
幼い頃、姉とかくれんぼをして遊んだ時の記憶が蘇ってきた。
「ねえ」
私は小声で彼に問いかけた。
別に小声で喋る必要は無いんだけど…。
「名前、まだ思い出せないの?」
「…うん」
彼はしばらく考えてから、ぽつりと言った。
「多分、もう思い出せないと思う」
彼の声色がそれほど深刻そうじゃ無かったから、私はひとつ提案してみた。
「ね、じゃあ私が仮の名前をつけてもいい?」
「え?あ、ああ…」
彼は驚いたように目を丸くしている。
だって、ずっとキミとかねえとかじゃあ喋りにくいじゃない?
「うーん、そうね」
何がいいかな?
私は彼の顔を覗き込んだ。
薄明かりの中、彼は少し緊張しているように見えた。
短めの黒い髪。
つぶらな黒い瞳がこっちを見ている。
「じゃあ、黒。キミ、真っ黒の瞳がとても奇麗だし。決めた!プレイトにしよう」
「プレイト…」
彼は噛み締めるように呟いた。
「ホントの名前は、ゆっくり思い出せばいいよ」
「…ああ、そうだな。プレイト…か。ありがとう、レプレ」
「ありがとうはこっちだよ。プレイトは命の恩人なんだから」
それから私たちはいろんな話をした。
私の身の上のこと。
お父様のこと。
お姉ちゃんのこと。
そして、信じられないような悲劇。
思わず涙ぐんでしまった私を見て、彼は一緒に泣いてくれた。
それだけで、彼が優しい人だってわかる。
彼の身の上は、やっぱり意味不明で、何を言ってるのかよくわからなかった。
多分、私と同じように事故でここに流れ着いて、きっと記憶を失ったのだろう。
私とほとんど同じくらいの歳なのに、想像もつかないような修羅場をくぐり抜けてきたに違いない。
くう…。
突然お腹が鳴って、私は恥ずかしい思いをした。
多分丸一日以上、何も食べていないのだ。
「あまり美味しいものはないけど…」
彼は申し訳なさそうに言って、荷物のなかから乾物を幾つか取り出してくれた。
「口に合うかどうかわからないけど、よかったらどうぞ」
「ありがとう。頂きます」
こんな場所だもの。
貴重な食料に違いないはず。
有り難く、噛みしめて食べる。
小さな白い粒のような身は干し貝だという。
硬いけど、噛めば味が滲み出てくる。
干し魚は、裂いてそのまま食べる。
彼が言う魚の特徴からはゴビオのように思えるけど、こんな大きなゴビオはいるのかな?
まあ、お腹に入ればなんでもいいや。
干し魚はお世辞にも美味しいとは言えなかったけど、彼が最後に出してきた『タケノコ』っていう見慣れない木の芽は、驚くほど絶品だった。
「何これ?美味しい!」
「もう一本食べる?」
厚かましくもおかわりをお願いしたみたいになって、私は恐縮しきりだ。
そして、水。
彼が飲ませてくれた聖水は、このざるの底に根を張った、奇妙な植物の幹に溜まるのだという。
「これ、不思議だね?」
狭いざるのなかでくるりと身体の向きを変え、足元の方に生えているその植物を覗きこんでみる。
「タケって言うんだ。さっき食べたタケノコはこれの芽だよ」
「え!じゃあ、聖木の芽だったの!?」
私ったらそんな貴重なものをパクパクと!
「ご、ごめんなさい!そんな大切なものとは知らなかったの」
私が悲壮な顔で謝ると、プレイトは大笑いした。
「な、何で笑うのよ?」
私がふくれると、彼はごめんごめんと謝った。
「この竹は確かに大事だけど、聖木って言われたらなんだか可笑しくって」
プレイトの国では、タケはありふれたものだったらしい。
「タケノコも週に一本か二本、生えてくるから、今度は採れたてを食べてみるといい。きっと気に入るよ」
「採れたて…」
なんと良い響きでしょう。
聖木の芽だもの。美味しくない訳がないよね。
…って、今はそんなことを考えてる場合じゃない!
私は慌てて船を見張るべく身体の向きを変え、息を殺して聞き耳を立てたのだった。
やっと主人公の名前が出ました…。




