第二十三話 君の名は
「キミは、誰!?」
うさ耳の少女は身を起こすと、俺の顔を見て表情をこわばらせた。
「ああ、良かった。目を覚ましてくれて」
湧き上がる興奮を必死に抑え、俺は彼女を驚かせないように出来るだけ落ち着いた雰囲気を装ってみせた。
すごい!
すごいぞ!
言葉が通じる!
神様、グッジョブ!
もう一人じゃない!
今、はじめて気がついた。
俺は本当に淋しかったのだ。
人と会話することがこんなに嬉しいなんて!
「…キミは海賊…じゃないの?」
不審そうな表情を崩さず、少女はかたくなに身構えている。
「海賊?違うよ。というか、君はもしかして海賊に捕まっていたのか?」
「海賊じゃない!?じゃあキミは一体誰?どこから来たのよ!」
彼女は俺の問いには答えず、さらに不信感を増したように質問を重ねてきた。
でも、正直に答えるしかない。
「俺は海賊じゃない。あっちから来たんだ」
俺の指差す先には、遥か彼方まで海中に砂州が伸びている。
「…原住民の人?でも、こんなところに人が住んでるなんてあり得ない」
少女は呟き、改めて俺のことを上から下まで胡散臭そうに見た。
「どこか怪我は無い?君は船べりの高いところにに引っ掛かって、落ちそうになっていたんだ」
俺の言葉に、少女ははっと気づいたように身体のあちこちを確かめた。
ぐっ、と身体をひねると、彼女は顔をしかめた。
どうやら背中を痛めているようだ。
「どこか痛む?」
「何でもないわ!」
俺が訊ねると、彼女は弱みを見せないように気丈に振る舞ってみせた。
「とりあえず、この水を飲んで。喉渇いてるはずだよ」
水筒を渡すと、彼女は一瞬躊躇したが、渇きに堪えかねたのか水筒を受け取った。
恐る恐る、コクッと一口水を含む。
瞬間、彼女はピンク色の目を見開いて、それからもう一口、水筒を傾けた。
「何!?この水。甘くて、凄く美味しい!」
「よかった。身体の調子はどう?」
問われて、彼女は少し身体をひねってみた。
「嘘!?痛くない!」
…やはりな。ゴカイの切れ端が活性化した時から、俺はこの水に何か癒しの効果があるんじゃないかと思っていたんだ。
さっきは唇を湿らせただけで、瀕死のこの子がみるみる蘇った。
俺もこの水の恩恵に随分とあずかっていたのだろう。
命を救う水に違いない。
「ま、ちょっとした聖水ってところかな?」
俺の血入りだけどな。
そしてこれを飲んで平気ということは、この子が魔物でないことも証明されたことになる。
「…聖水」
うさ耳ピンク髪の彼女は、水筒を両手で抱えて呆然としている。
「ところで君が言ってた海賊…っていうのはまだどこかにいるのか?」
はっと少女は我に返った。
「…わからない。でも…私を襲った海賊は多分魔物に食べられたんだと思う」
少女は少し考えて言った。
「魔物?」
「うん。私は船縁に引っ掛かっていたから、助かったの」
少女は恐怖の体験を思い出したのか、表情をこわばらせた。
「ね、早くここから逃げた方がいいわ。きっと海賊たちも戻ってくるし、あの魔物が来るかもしれない…」
怯えを隠せない声で、彼女は慌てて立ち上がった。
「わかった。でもちょっと待って。その手枷、何とかしよう」
水筒をひしと抱える両手が痛々しすぎる。
船縁に手を置かせると、俺はヤドカリのハサミで彼女の両手を拘束していた頑丈な木製の手枷を断ち切った。
一刀両断だ。
「…すごい、切れ味」
彼女は目を丸くしている。
「足は?」
「これ…鉄の鎖だけど」
素足の細い足首に、無慈悲に鎖が巻き付けられていた。
「切れるかな?試してみよう」
はたして、ヤドカリのハサミは鉄の鎖も軽々と切り落としてしまった。
…手枷と鎖は、見つからないように処分した方がいいな。
「キミは一体…」
赤くなった足首をさすりながら、彼女は信じられないという顔で俺を見上げた。
「私は…レプレっていうの。助けてくれてありがとう。キミは神様?天使様?それとも白馬の王子様かな…」
冗談が言えるようになったなら何よりだ。
俺はにこりと笑って答えた。
「俺は…」
そこまで言いかけて、愕然とした。
俺、名前なんだっけ?
俺の記憶から、自分の名前がすっぽりと抜け落ちていた。
何か月も喋らなかったせいか…。
まさかね!
転生したら前世の名前を忘れるのか…。
確かツナギの胸に名前入りの社員証を付けていたはずなんだけど、無くなっていたんだよな。
レプレが不思議そうな顔で俺を見ている。
「…すまん。どうやら自分の名前が…思い出せないんだ」
「名前が思い出せない!?もしかして、記憶喪失…とか?」
「わからない…。でも、今は…」
名前を思い出すなんて、後でゆっくりやればいい。
「…とにかく逃げよう」
「うん!」
俺はレプレの手をとって走り出した。




