第二十二話 漂着
「副長、船底に閉じ込めていたこの娘、まだ生きていやしたぜ」
船底部屋の頑丈な扉をこじあける大きな音で、私は目を覚ました。
そう。私はまだ生きていたのだ!
部屋から水が抜けて、私は幸運にも溺れ死なずに済んだらしい。
けれど、いっそ死んでいた方がましだったと思えるような現実が、私を待ち構えていた。
「痛い!乱暴にしないで!」
あちこちを打撲して弱りきった私は、二人の男に引きずられるように梯子を上らされた。
連れ出された甲板には修羅場を生き残った男たちがたむろしていた。
屈強な海賊たちがぎらついた視線を向けてくる。
船は無残にも真っ二つに割れて砂浜の上に座礁しており、ともに乗船していたはずの商会の者たちの姿はもう、どこにもなかった。
「ふん、まだ小便臭そうだが、十分役に立ちそうだな…」
副長と呼ばれた男が言った。
頬に傷のある凶悪な面構えの男だ。
「だが、まずは食い物と水を集めるのが先だ。そいつはあとの楽しみに帆柱にでも繋いでおけ」
そうして私は太い帆柱に縛り付けられ、男たちは幾つかの組に分かれて砂浜の向こうに散っていったのだ。
◇
船の見張りを言いつけられた男が二人、疲れ果てた表情で甲板に座り込んでいる。
彼らは足を怪我しているようだった。
「…俺たち、これからどうなるんだ?」
海賊たちのあらかたが去ったなか、男の一人がぽつりと言った。
「わからねえ。この船はもう無理だろ。おかしら達が助けに来てくれるのを待つのか…」
「でもよ。ここはどうみたって幻海の真っただ中だぜ?こんなところに助けになんて来れるのか?」
「じゃあ、自力で歩くしかないだろ」
「歩くって、どんだけ歩くんだよ?え?いったい何日?」
一人の男が感情を昂らせた。
「知らねえよ。副長たちはそれを探りに行ってんだろうが!」
問われた男も苛立って声を荒げる。そう言う彼もまた不安なのだ。
「…幻海に雨は降らねえっていうだろ?飲み水、どうすんだ?」
「…」
「こんな足になって、俺、歩けねえよ。きっと足手まといで捨てられる」
「よせよ」
「いや、違いねえよ。お前の足も、他人事じゃねえんだぞ?」
「…」
柱に縛りつけられた私は男たちの会話を絶望の思いで聞いていた。
そして、
「どうせ死ぬなら…」
そう呟いて顔を上げた男の、狂気を孕んだ視線がこちらに注がれているのに気づいた時、私は恐怖で身が竦んだ。
「なあ、嬢ちゃん、お前もどうせ殺されるんだ。どうせ死ぬなら俺と楽しいことしようぜ」
「お、おい、やめとけ…。副長に殺されるぞ!」
「もういいんだよ。お前は見てな、俺は楽しませてもらう」
狂気の目をした男は、いきなりのし掛かってきて、私の胸を乱暴に揉んだのだ。
「やめて!痛いっ!」
手枷を嵌められ、身体を縛られた私は、されるがままに何一つ抵抗できない。
「ぐへへ、嬢ちゃん、いい乳してるじゃねえか。たまんねえ」
「嫌っ!やめて!」
揉みしだかれながら必死に泣き叫ぶ私に、男はかえって鼻息を荒くするばかり。
調子に乗った男の手がスカートの中をまさぐり、脚があらわにされた。
「嫌!いやーっ!」
「くそ、ロープが邪魔だ!服を脱がせられねえ」
「お、俺も手伝う!俺にもやらせろ」
もう一人の男まで加勢しはじめて、私は帆柱から縄を解かれた。
「ほら、手荒に服を破かれたくなかったら大人しくしてろよ」
「観念して自分で脱いでもいいんだぜ?手枷は外してやれねえけどよ!」
「け、けだもの!」
後退る私を追い詰めるように、男たちは薄笑いを浮かべて迫ってくる。
その時だ。
「ひっ!?な、何だ」
男の一人が悲鳴をあげた。
「ぎゃ!?」
たちまちもう一人の男も腰を抜かす。
訳が分からず後ろを振り向いた私の目に映ったのは、巨大な黒っぽい物体だった。
蠢く長い触手。
黒光りする甲殻。
船の裂け目から突如甲板に姿を現したのは、人よりも大きな虫の魔物だったのだ!
凍りつく私は、黒く大きな魔物の目が、はっきりとこちらを見ていることに気づいた。
シャアッ!
魔物が動きだすのと同時に、私は空に跳び上がっていた。
無鉄砲な跳躍。
私は結構ジャンプが得意だ。
頑張れば助走なしでも身長の三倍ぐらいの高さまで跳ぶことができる。
けれど着地が大の苦手。
子どもの頃からいつもあさっての方向に大ジャンプしては、溝に落ちたり、柱にぶつかったり、碌な目に遭ったことがない。
だからそこそこの歳になってからは、自分でもめったなことで跳ばないように自制していたし、姉からもレプレはジャンプ禁止といつも言われていたのだ。
最後に跳んだのは帆柱に引っかかったロープがどうしても取れなかった時。
あの時もそのまま海に落っこちて、お姉ちゃんにひどく叱られたっけ…。
でも、今回ばかりはジャンプするしか道はなかった。
しかも手枷を嵌められ片足に足鎖を巻かれた不安定な状態で。
驚きのあまり全力で跳んだ大ジャンプのお陰で、魔物は私のいた場所を素通りして、そのまま二人の男に襲い掛かったように見えた。
そして私は案の定、船べりを越えてその向こう側に落っこちる羽目になったのだ。
はるか下の地面が目に入ったとき、私は完全に死んだと思った。
ここは海じゃない。
甲板から船底まで、目もくらむほどの高さがあった。
地面に、激突する!
そう思った瞬間、ガクンと身体に衝撃が走って、私は船縁の下の何かの突起に引っかかって宙づりになったのだった。
…た、助かった?
「ギャアァァァ!」
甲板の上から男の悲鳴がこだました。
シャクシャク、ぴちゃぴちゃと、虫の魔物が何かを咀嚼し、何かを啜る音が聞こえてくる。
何も見えない。何も見ることが出来ない。
けれど、私はほんのすぐそこで繰り広げられているだろう酸鼻極まる光景を想像して、気が遠くなった。
そこで私の記憶はふつりと途絶えた。




