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第2章「フールズ・ゴールド」13

 届いていた。

 そのシャーリーのつぶやきは、確かにキーラへと届いていた。

「あぁそうさ、お前は間違っちゃいねぇ!!」

「でもそんなの、勘かもしれない」

「あぁそうさ、勘だっ!!!!」

「――自分勝手すぎる!!!!」

「自分勝手がどうした、お前らみんなそうだろうが!! 第八に入るなら、自分勝手にぐらいなってみせろ!! そのたびにオレが、文句言いに行ってやるからよ!!!!」

「くそッ、なんなんだ、なんなんだッ――」

 シャーリーは叫んだ。

 彼女の中で衝動がほとばしって溢れ出しそうだった。

 何か、とめどない思いのようなものがあった。それは、彼女がここにやってくるまで心を縛り付けていた、あの氷にも似た諦観と理性とは真逆のものだった。

 しかし、悪い気はしなかった。

 キーラの言った言葉すべてが、シャーリーの中の何かを変えていた。

 ……確実に、着実に。

 

「そんな。お前――エンゲリオじゃ」

 あと数秒。

 ここまで鉄面皮をおおよそ崩さなかったモニカが、鋼線の濁流の中で、はじめて動揺を見せる。

「へへへ、誰がそうだって言ったよ――」

 あと10秒。

 キーラは歯を見せて、獰猛に笑った。その笑みは、鋼線の嵐のさなか、その合間から見える存在に向けられる。

 彼女の腕が振るわれて、拳が鋼線を殴りつけた時。モニカの身体から生まれたそれはバラバラにほどけ、砕け散って力を失う。繰り返していくうちに、彼女の拳も血に染まっていく。だが、痛みを意に介している様子はまるでなかった、まるで。

「じゃあ、お前――」

「バカが、教えるわけねぇだろう。教えたところでてめぇは、そいつを聞くことなく終わるけどなぁッ!!!!」

 そう――知る者は僅かしか居ない。

 それを知る者は例外なく、彼女の拳を喰らい、お縄についている。


 キーラ・アストンはフェアリルである。

 食らったダメージを『力』として自らの拳に溜め込み、その接触を通じて解放することが出来る。

 感じた痛みの数だけ強くなる。それが、彼女の力であった。


 あと五秒。

「……――ッ」

 血の薔薇を浴びながら特攻する――キーラ。

 その様子を、ただ見ているシャーリー。

 彼女の内側に巻き起こった衝動はもはやとめどなく溢れ、言葉になって口から出始める。

「――戻れ……」

 そうだ。

 見ているだけで終わるのか。

 もし、キーラ・アストンの言ったことが本当なら。

 自分が今ここで何もしないことこそ、彼女たちにとって最大の迷惑になるはずだ。

 だからこそ、シャーリーは願う。その拳に、激情を込める。

 歯を食いしばって、目をひん剥きながら、キーラを向く。

 彼女を最初に見たときに思ったこと――『あんなふうになれたら』。それを今、現実にする時だ。

「戻れ、戻れ――…………」


「お前、お前、お前は――…………」

「……覚えておく名は唯一つッ!! オレの名は!! LAPDの、キーラ・アストンだッ!!!!」


「――――戻れええええええーーーーーーーーッッッッ!!!!!!!」

 その叫びが、シャーリーの中にある何かを呼び戻し、彼女の内側で溢れて、熱い血のようなものとなって全身に広がっていくのと、キーラ・アストンが何重にも重なっていた鋼線のジャングルを突破してのけたうえで、モニカ・シュヴァンクマイエルの横面を――その拳に残った最後の力で見事に殴りつけたのは。

 ……ほぼ、同時の出来事だった。


「…………っっっ」

 シャーリーは右腕に急激な重みを感じ、持ち上げていた上体を地面にへたり込ませる。その場で押しつぶされるかのように。

「が……はッ――――」

 そして今。

 キーラ・アストンが、モニカ・シュヴァンクマイエルを――吹っ飛ばす。

 その刹那の時間。

 彼女は笑い、その豊かな髪とフリルが、空中で舞い上がった。血の薔薇とともに。

 その刻の中で、シャーリーは……自分の腕に何が起きたのかを、否、何が戻ったのかを正確に把握した。

 その刻の中で、オデールはただただ唖然とし、足元が崩れていく感覚を味わいながら口をあんぐり開けていた。そのまなこには、自分が信じ雇った女が為す術なく吹き飛んでいくさまが刻み込まれている。

 その刻の中で、グレースは……オデールを見て、それからシャーリーを見た。そして、彼女の内面に起きた変化から、何かを感じ取っていた。もとより、彼女に対して全くの無視を決め込むことが出来ていなかった。そのツケが、今まさにやってきていた。

 それから――モニカ・シュヴァンクマイエルは。

 ……今自分がぶん殴られ、吹き飛ばされようとしているのだということを、極めて冷静に認識していた。


 ――時間が戻り、どうじに、世界に音が戻った。

 次の瞬間には、轟音が起き。モニカのモノトーンの衣服に包まれた身体は倉庫の暗闇の端へと、へし折れたようにひん曲がって吹っ飛んだ。

 ……その衝突が、もうもうとした煙を立て込めさせ、それを顔面に少し浴びながら、キーラは拳を残身させながら、攻撃を終了させた。


「な……あ……」

 オデールの口から、情けない、喉に引っかかるような声が出る。

 キーラはそれを無視して――とはいえ、視界の隅に留め置いて――モニカの吹き飛んだ場所へと向かおうとするが……その場で、急激に膝が折れて、うずくまる。

「ぐッ……――」

 彼女の身体は麻痺したように小刻みに震えている。

 シャーリーには分かった。この勝利の代償は、彼女へのさらなるダメージだったのだ。

 キーラは力のない目で、煙の向こう側を覗こうとした。

 そこにはぶっ飛ばされたモニカが、何らかの姿勢でうずくまっているはずだった。

 ……そう、はずだった。


 煙が晴れた後には、何も残っていなかった。

 倉庫の壁面に大きな穴が空き、その奥に、夕暮れの終焉とともに広がった藍色があるだけだった。

 殺し屋、モニカ・シュヴァンクマイエルの痕跡は、その場には何もなかった。

 キーラとの戦いによって倉庫内に散った、あの銀色の残骸以外は。

「……逃がし屋だ……雇ってやがった。あいつならそうする。くそっ、予想できなかったオレがバカだった」

「キーラさん…………」


 こうして、キムとチヨを拘束し、キーラ・アストンを苦しめた敵は、いずこかへと姿を消した。

 だが――生きている。散らばる鋼線が、その存在の残り香となっていた。

 のたうつ銀色が、奇妙なまでに一つの形を描いている。

 キーラはそれを見て、小さく悪罵を零した。

「あの女……英語、出来んじゃねぇか……」

 鋼線は――床の上で、一つの文章を作り上げていた。極めて適当、かつ無機質な別れの言葉。


『See you later, Alligator.(さよなら三角またきて四角)』


 その言葉通り。

 ……のちにシャーリーたちは、また別の形で彼女と出会うこととなる。

 しかし、それはまだ先の話。



「…………っっっっ、、、、」

 持ち駒が、一つ減った。

 言葉にすればそれだけのことであったが、オデール・ジャクソンにとって致命傷となりうる事実。

 彼は立ちすくんだまま、しばし喉の奥からうめきのような声を出した。目は、貼り付いたように前方に向いていた。

 ――……たった今、敗北した。

 計画を完璧なものとするはずだった、自分の持ちうる最高の戦力が。

 そして、いずこかへと去っていった。

 ツキは、消えた。彼の足元から、愛想を尽かして去っていった。

 その事実が否が応でものしかかり、彼は……全身に冷ややかな針を突き刺されたような気持ちに苛まれる。

「は、ははは――……」

 口の端がひきつって、乾いた笑い声が出る。

「あいつしか雇ってなかった、ってのがてめぇの“いつもの”詰めの甘さだ、オデール」

 キーラはふらつきながらも、そう指摘した。

「せめて後払いにしとけ。もっともそれなら、あの油断ならねぇ女は乗ってこなかっただろうがな」

 呆れ気味の、キーラの口調。

 そこに責める調子はない。ただ淡々と事実だけを告げていた。

 ――しかし、それこそが、オデールの心に素手で触れた。

 彼の中で何かが沸騰した。

「……はは、ははははは」

 手を叩く。震えながら、それでも『まるで感じていない』を装いながら。

「ははは、ははははは!!!!」

 そのまま、ゴールドの銃口をキーラに突きつけながら……彼は、歩いた。

「まだ終わっちゃいねぇ、まだ、計画は終わっちゃいねぇ……ぞ!!」

 キーラはまるで動じていない。

 オデールは何度か転倒しそうになりながらも、銃を構えたままテレビのほうに移動した。

 それから、演説するように両手を広げながら彼女たちを見つつ、電源をつける。

「これじゃ終わらねぇさ……街にはまだ、俺とディプスによって暴れてる奴らが大勢いる、そいつらがもうじきに……」

 ――映像が、映し出される。

 キーラが、手を顔に当てて、深く息を吐く。


『――こちらダニエル・ワナメイカー!!!!』

 情勢は、すっかり変貌していた。

 ――暴れ続けていた者達の大部分は警察によって(無論そこには、第八機関の活躍もあるわけだが、当然ニュースでは取り上げられない)沈静化されつつあり、街の破壊活動は終息に向かっているという報道。

 いかなる時も『報道』を第一とする『コウモリ野郎』ダニエル・ワナメイカーによって、それが告げられていた。

 確かに、街は未だ破壊の痕が目立っているが、それ以上の炎も煙も、どうやら起きそうになかった。


「な…………あ…………」

 彼は、足元から崩れ落ちていく。

「ディプス、どうして…………どうしてだ…………」

 小さく、呻く。

 キーラはため息をつきながら、どことなく憐れみの混ざった目でオデールを見ている。


『どうしても何も――僕ははじめから君の計画を完遂させるつもりなんてありませんでしたよ』

 そんな声が、オデールの中に響いた。

 それは彼にしか聞こえていないらしい。

 突如耳を塞ぎ、膝をついた彼を見て、キーラは怪訝な顔をする。

「どういうことだ……答えやがれ」

『そのままの意味ですよ。君の計画は、僕の考えている物語の流れの要素エレメントに過ぎないということ』

「な……」

『君は、僕が暴走させた無数のアウトレイス達によって街を完全に混沌に陥れることが出来ると踏んでいたようですが……そもそもの見通しが甘すぎる。混沌の申し子は僕であって、君ではない。僕ははじめから――警察と第八でギリギリ対処可能な騒ぎしか街に起こさなかった』

「ふざけんなてめぇ、なんでそんなことしたッ、約束が違うじゃねぇか……このッ!!」

『だから言っているでしょう。物語のためだ、と』

「物語!? どういう――」

『シャーロット・アーチャーの挫折。それから再び立ち上がるという劇的な物語。ドラマで言えば、第二話と言ったところか。君はその展開のための添え物に過ぎないんですよ』

「ふざけんな、じゃあ俺が今までこれだけ屈辱に耐えてきたのも、何もかも、全てが……」


『えぇそうです――……愚か者の黄金フールズ・ゴールドというやつですよ』

 その言葉が、よりダイレクトに彼の耳に届いた。

 この時、彼の目には、嘲笑するように目を歪ませる――ぞっとするほどに美しい青年の姿が見えていた。それは空気の隙間から時折サブリミナルのように映っているに過ぎなかった。その在り方そのものが常軌を逸していた。彼は本能的に恐怖し、抗う意志をなくし……そして、完全に四肢をついた。

 ディプスの声は消えていき。

 彼の中で、全てが……粉微塵になっていった。


 グレースは、力のない瞳で、崩れ落ちる彼を見ていた。

 自分をこの運命に縛り付け、抗えぬようにしていたあの忌まわしい男。

 その彼から何かが抜け落ちて、彼女の縛めを解きほぐしていくようだった。

 ――彼女はそれを、『何か』の終わりであると感じた。

 ……だが、何も変わらない。

 未だに、そう思っていた。


「オデール……もう諦めろ。てめぇは最初っから、あの魔人に利用されてたのさ」

 キーラの口調。そこにはもはや怒りさえなく、哀れみと、呆れだけ……。

 信じられないというような顔で、オデールは彼女を見た。

 見下している。

 あの女が、再び自分を見下している。

 ――あの時と、同じように。

 ……彼の中で、後先考えない激情が沸き、行動が起きた。


「てめぇふざけんじゃねぇぞッ!!!!」

 彼は立ち上がった。

 その拍子にテレビのリモコンが踏みつけられ、別のチャンネルに切り替わる。古い音楽のPVをエンドレスで流す局だ。今回は70年台のグラムロック。瀟洒に飾り付けられた男が、猫なで声でマイクを逆さまにしながら歌っている。オデールは銃をキーラに構えた。そして、彼自慢の早撃ちで――撃った。

「死ねぇ!!!!」

「うるせぇッ!!!!」

 ――弾丸は、彼女の拳によって弾き返され、彼のつま先に命中した。

「ギャアアアアアアア!!!!」

『彼女はキラークイーン♪ 弾薬とゼラチン♪ ダイナマイトとレーザービーム♪』

「痛えッ、痛え畜生ッ!!!!」

 音楽が軽妙に流れる中、彼は悶えながら転がる。どこまでも滑稽に。

「……」

 シャーリーは転がり続ける彼を見ていた。

 ――あらためて。

 こんなくだらない男に、自分は捕まっていたのか。

 その思いがこみ上げてきて、彼女は大いに幻滅すると同時に、どうしようもなく情けない気持ちになってきた。

 ……だが、それも中断される。


「――っっっっ、う、動くんじゃねぇッ!!!!」

 前触れもなくそれは起きた。オデールは駆け出し、憂いを帯びたままのグレースを自らの胸元へと抱き寄せ、その頭に銃口を突きつけたのである。

「やめろてめぇッ、……」

 当然キーラは駆け寄ろうとするが、駄目だった。

 彼女は口から血を吐いて……その場で崩れた。戦いでのダメージが蓄積していたのだ。

「卑怯な……」

「ははは、もう手段なんか選んでられるかよ、もうどうにでもなれだ!! ははは!!!!」

 オデールが狂気を帯びた瞳でキーラ達に訴えかけた。歯噛みするキーラ。何もかもを諦めたような表情で、奇妙に落ち着いているグレース。

 ……ならば。


 …………ならば。シャーリーは、どうするか。

 答えは、決まりきっていた。


 キーラが……シャーリーを見た。一瞬の邂逅だった。

 その瞬間で、全てが了解された。

 満身創痍の彼女は、瞳で訴えていた。


『――往けるか』


 応じるシャーリーの行動は決定していた。


「ひゃははははははは!!!!」

 ――彼女は駆け出した。自分の中で再び沸き起こった、確かな力とともに。



 身体を無理矢理起こして、つんのめりながら駆ける。目の前には力なく無抵抗なエスタの母。助けなど求めていない様子だった。いや、それでも関係なかった。その光景は、かつてのいつかを再演していた。その情景そのものが、彼女に語りかけていた。

 ――救えるのか。お前は再び、救えるのか、と。

 シャーリーの答えは一つ。衝動が起きて、それが力に結実した。

「――動いたな、バカがッ!!!!」

 オデールは叫んだ。それから、デザートイーグルのトリガーを引く……。


 その瞬間に、右腕は伸ばされていた。

 いや、それよりも早く。

 彼女の首に巻き付いた、あの赤いマフラーが変化を起こしたのだ。

 波打ち、のたうち回り、蛇のように形を変質させて、前方に流れる。シャーリーが驚愕する間もなく。一瞬の出来事。


 ……放たれた弾丸は、グレースの頭を貫かない。

 その瞬間には、シャーリーのマフラーに絡め取られていた。それから地面に打ち捨てられ……彼女の右腕が、伸びた。

 力の変化にも成長にも気づく暇のない、一瞬の出来事。彼女の力は、『進化』していた。


 次の瞬間。

 シャーリーの離脱し、射出された『右手』は、グレースの身体をオデールから浚い、自分のもとへ引き寄せていた。そして、その時既に彼女は疾走し、男の眼前に迫っていた。マフラーが弾丸を無効化し、その右手がグレースを救っていた。


 全ては一瞬の出来事。

 残ったのは左腕。


 ――どこかで、ディプスが笑った気がした。

 それでも、構わなかった。

 

 目の前に、状況を飲み込めずに口をあんぐり開けている男の顔があった。

 ……怒りがこみ上げる。シャーリーはその左手で、彼を殴りつけようとした。


 ……だが、一秒後。

「ぐあッ!!??」

 ――左腕の指先は、オデールの額を激しく弾くだけに終わった。

 いわゆるデコピンである。


 ……時間が戻る。

 オデールが後方に倒れ込んで、尻餅をつく。


 シャーリーが、グレースを右腕に抱えたまま着地する。

 ――彼女と、目が合った。

 だがグレースは、その目をそらした。


「……この、」

 オデールは額をおさえながらよろよろと前に進もうとした。手から離れていた銃を掴むために。

 ――だが。


「……」

 既にそれは、シャーリーの左手が掴んでいた。

 そしてそのまま、弾丸が全て抜き取られ、地面に落ちていく。ぱらぱらと。

 彼の終わりを、象徴するように。

 オデールはそのさまを、呆然と見ていた。


「あ……あ……――」

 シャーリーはグレースを抱えながら、怒りの籠もった、だがどこか凪のように落ち着いた目で見下ろしながら、男の銃を無力化した。

「あなたに……この黄金は、必要ない」

「…………」


 男の体から、全てが抜け落ちていく。

「……――ま」


 男はかすれた声で、だがはっきりと――こう言った。

「参った…………」


 ……キーラが、よろよろと歩いてきて、男のそばに寄った。

 シャーリーの肩に手を乗せた後、静かに、見下ろしたまま、告げる。

 もはやそこには、怒りなどありはしなかった。

 むしろ、奇妙な優しささえ滲んでいるようだった。


「――……オデール・ジャクソン。お前を、逮捕する」

「…………」

 彼は、どこか皮肉な、疲れたような笑みを浮かべて彼女を見た。

 それから、両手を上げて後ろに持っていった。


 ――事件は、終了した。

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