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7.落とし物

 眠れなかった。こんなことは初めてだ。

 脳裏にあのほくろがちらついて離れない。酒も飲んだがまったく眠気が来ない。

 仕方なく、五時ごろに起き出してシャワーを浴びた。冷水を浴びても頭はすっきりしない。

 まるで盛りのついた猫だ。普段は意識しないと全く出てこない耳としっぽが出っ放しだなんて。

 耳はまだいい。帽子で何とか隠せるし、帽子なら持ってきている。

 だが、問題は尻尾だ。

 ジーンズでは隠すほど余裕はないし、尻尾をぷらりと出しても誰も気にしないような都会でもない。

 コスプレだと主張しても通用しないだろう。

 何とか気合で尻尾だけは消すと、帽子できっちり耳を隠して下に降りた。

 ホテルのモーニングを平らげて、チェックアウト時間ぎりぎりまで心を落ち着けることに集中してからホテルを出ると、雛原の到着時間はそろそろだった。確か今日の見合いはランチだと聞いている。

 改札近くにあった構内の喫茶店で時間をつぶすことにする。ちょうどいいことにこの喫茶店から改札はよく見える。一番改札寄りの場所に腰を据えた。

 暇に明かして外を眺めていると、子供連れの家族や老夫婦が構内を歩いていくのが見える。あまりビジネスマンらしい姿の人物がいないのも、この地方都市ならではなのかもしれない。

 時間ちょうどに喫茶店を出ると、雛原はいつものリクルートスーツにショルダーバッグの恰好でやってきた。


「お待たせしました、先輩」

「……お前、今日もその恰好か」

「いいんです、どうせ向こうで着替えさせられると思いますから」

「ああ、成程な……」


 これもよくあることだ。きっとホテルではご両親が一張羅を準備して待っているのだろう。


「先輩はこのあとどこで待ちます?」

「ああ……そういえばどっかにネットカフェあったよな。そこにいるわ」


 昨日ぶらついた時に駅前で一軒だけ見かけたんだよな。あそこなら暇つぶしは困らないだろう。


「そうですか。ここから十分ぐらいのところですね。じゃあ、終わったら電話します」

「おう。……がんばれよ」


 頭を上げた雛原の顔は、昨日よりはすっきりしていた。何かはわからないが踏ん切りがついたのだろう。

 手を振って見送ると、俺はネットカフェの方へ歩き出した。

 が。


「あの、すみません」


 気弱そうな声をかけられて振り返った俺は、そこに昨日土産物屋で見たあの黒髪美人が立っているのを見た。真正面から見たのはこれが初めてだが、昨日見たあの青いニットボレロは見間違えようがなかった。


「……俺?」


 どきりと胸が高鳴った。帽子の中で耳がピンと立ちかける。尻尾だけは出ないように心を抑え込む。

 彼女は――妹から見せてもらったあの写真の女性に非常によく似ていたのだ。


「昨日、お会いしましたよね……?」

「えっと……」

「土産物屋にいらっしゃった」


 桃色の唇に吸い込まれるように視線が行く。


「ああ、はい」

「あの、その時にこれを落とされたと思うんですけど」


 差し出されたのは、見覚えのない袋だった。昨日買った土産の袋に似ていて、肩にかけたカバンを開いて確認する。案の定、袋は一セットしかなく、彼女が差し出していたのは妹の分だった。


「すみません、俺のだと思います」


 それにしても、昨日偶然あそこで見かけただけのはずだ。店の中で落としたのなら店の人に届けて終わりだろうし、俺が今日もこのあたりにいるとはわからないはずだ。

 受け取ろうと手を出したが、彼女はひょいと手を引いた。


「え?」

「わたしが待ってたのを不審に思ってるでしょう?」

「あ、ああ……」


 すると、桃の唇からちらりと赤い花びらが覗いた。


「実は、追いかけたんです、昨日。……でも、ホテルに入ったところまででわたしのほうが時間切れで……。きっと今日電車でお帰りになるんじゃないかと思って、待ってたんです」

「えっ……それは申し訳ない。あの、お礼に、お茶でもいかがですか」


 いったいどれぐらい待たせたのだろう。自分の不注意で落としたものを、わざわざ届けてくれるためだけに、何時間も……?

 こんなことなら、さっさとホテルをチェックアウトしておけばよかった。そうすれば、彼女をそんなに待たせずに済んだろう。

 時計を確認する。さっき雛原を送り出したところだ。着物の着付けもするようなことを言っていた。一時間ぐらいは余裕があるだろう。


「はい、構いません。……でも、さっきのお嬢さんと約束があるんですよね?」

「あ、ああ。まあ」


 ずっと待っていたのなら、気が付いていたのだろう。俺が誰かを待っていること。

 待ち人が来るまで、待っていたのだ。そのあとの俺がどう動くのかも。

 ある意味怖いタイプの女性だ。


「じゃあ、そこの喫茶店でいいですか? 彼女から連絡が来るの、待たなきゃいけないんで」

「……もしよければ、わたしの行きつけの喫茶店に行きませんか?」

「いいですよ」


 少し考えて、どちらにせよ雛原から連絡が来るまでの話だからと俺はうなずいた。

 彼女は袋を手にしたままくるりと踵を返す。背筋ののびた姿勢のいい歩き方。くびれたウェスト、豊満なヒップ。思わずその背中に視線がくぎ付けになる。

 やべえ。

 何でここにいるのかわかんねえけど、マジでやべえ。

 頭のねじが吹き飛びそうな衝動を必死で押しとどめて、歩きながら雛原に電話を入れる。おそらくもうマナーモードになっているのだろう。

 留守電に、二時間後に必ず電話をくれと伝言を入れて通話を切った。

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