4.抱いてくれと言われても
ベッドに横になる雛原を見やって、俺はため息をつく。
参った。
あの時あんなことを言うべきじゃなかった。
たとえ――本当だとしても。
堰を切ったように泣き出した雛原を放っておくおわけにはいかなかった。そういえばこいつ、下戸なのにワイン飲んでなかったか。泣き上戸かよ、面倒だ。
なんとか注文分をテイクアウトにしてもらうと、雛原を連れてあまり迷惑にならないところを捜し歩いた。
でも夜になって車も人通りも少なくなった界隈では、彼女の泣き声は大きく響いた。
……たしか雛原って鶏の妖怪だったよな。鶏の声はよく響く。
帰りたくないと泣きわめく雛原に仕方なく、通り道にあったビジネスホテルを取った。
今考えれば、タクシー拾って俺の家に戻ったほうが良かったんだよな。
雛原は京都市内からの通いで、タクシー代を考えればホテルに泊まったほうが安いと思っちまった。
まあ、そのあとの話を考えると、俺の家に戻らなくて正解だったとは思うが。
泣き疲れたのか酔いが回ったのか、部屋に入ってベッドに倒れこむなり寝ちまったのはまあ、仕方がないだろう。
着替えも何もないから風呂に入ったところで気持ち悪いだけだし、テイクアウトしたピザを半分平らげて残りは雛原の分として置いておく。
ジャケットをハンガーにかけたところで雛原がそのままの格好で寝てるのを思い出した。
「おい、雛原。スーツしわになるぞ」
揺り動かしてみたが反応はない。
ていうかなんでこいつは私服オッケーの職場にリクルートスーツ着てくるかな。
営業や打ち合わせで客先行く時以外、社長でさえスーツなんか着ないのに。
ごろりと転がして、なんとか上のジャケットだけ脱がせる。
さすがに前後不覚な女のスカート脱がす趣味はない。
何より雛原は俺の理想とは違いすぎてるし。ひよこみたいにちんまいのよりは、すらっとしたふるいつきたくなる美女がいい。
ベッドに戻ってスマートフォンを拾い上げると、この間妹から無理やりゲットした彼女の写真を開く。
長い黒髪にスラリとした体。出てるところは出てて無駄な肉がない。
隣に写ってる妹に比べたらまじ月とスッポンだ。もちろん彼女が月な。
今度妹の寮に押しかけてってみようかな。寮には住んでないって言ってたけど、もしかしたら生で拝めるかもしれないし。
そんなことを考えてたら滾ってきた。ここんとこゲームやるのに忙しかったからな。妄想する暇もねえ。
「先輩、変態」
寝言かと雛原の方を見ると、うっすら目を開けていた。
なんでそこで変態呼ばわりなんだ。ズボン脱いでねえし、てか滾っただけで、寝てる雛原から見えるはずねえのに。
「なんだ、起きたのか」
「なんで先輩と相部屋なんですか。とっとと出てってください」
「ツインしか空いてなかったんだよ。心配するな。お前に何かするつもりはない」
「ほんっと失礼ですよねっ、先輩って」
「じゃあ何か、お前、俺に抱かれたいわけ?」
そう口にした途端、青ざめた雛原は起き上がってベットの一番端っこに移動した。
「とにかく、一人で帰ります。ありがとうございましたっ」
「家に帰りたくないって言ったの、お前だろうが。もう終電ないぞ。それに、結局話をまともに聴けてないんだが」
「もういいです。先輩に頼ろうとした私が馬鹿でした」
「……婚約解消されたのか」
埒があかないと見て核心をつくと、雛原は動きを止めた。
「お前の様子を見てりゃわかる。……浮気でもされたか?」
「……男って愛してなくても抱けるんですよね」
「ああ、そういう時もある。でもお前は抱かないぞ」
「……ほんと、先輩ってズルい」
壁に背を預けて、雛原がつぶやく。俺も反対側の壁に背を預けた。
ズルいわけじゃない。長く生きてる分、経験値が高いだけだ。
こいつは男に振られて自棄を起こしてるだけで、俺に抱かれたいとかは全部当てつけだってことくらい、分からないはずがない。
「……彼、女がいたんです。婚約は婚約で、わたしと結婚する気はあったんだって。でも、寄ってくる女は拒まなくて。何人と関係してたかなんてわかんないくらい」
おいおい、それは随分舐めた話じゃないか。婚約者は恋人ではないってパターンの男は確かにいるけど、数は無制限ってないだろ。
「で、そのうちの一人が妊娠したんだって。ほっとけないから責任取るって話になって。……このことを知らされたの、彼の結婚式も何もかも全部終わった後だった。わたし、何にも出来なかったんですよ? 殴り飛ばしに行くつもりだったのに、両家の間で話はついてるから顔をあわせるのも禁止だって。……わたしの怒り、どこに持っていけばいいんですかっ」
そう口にした途端、雛原は泣き出した。
「……お前、そいつのこと好きだったんだな」
「悪いですかっ、家同士の婚約だからって、彼は一ミリもわたしに興味を持たなかったみたいだけど、わたしはっ……」
俺はベッドから降りると雛原の頭に手を乗せた。
「お前、ほんとにいい子だな」
「……結婚までは清い体のままでっていうのが婚約の条件だったのに……」
「それ、どっちから言い出した条件?」
「……今となってはもうどうでもいいです」
枕を抱きしめて顔をうずめ、ぐすぐす泣きながら、雛原は答える。
田舎では花嫁の純潔を尊ぶ風習があるところがある。おそらくは相手の家から求められたのだろう。
もしその枷がなく、婚約者との縁を結ぶことができていたら運命は変わっていたかもしれない。
「で、俺の誘いに乗って、何したかったんだ」
「……もう、いいです」
顔は青白いまま、雛原は固まっている。
「先輩、好きな人いますよね。さっき見てたの、そうでしょ?」
「ただの片思いだがな」
「じゃあ、いいです。……わたしってほんと男運ない」
「お前なぁ……好きだった婚約者に裏切られて、怒りのやり場がなくてあてつけたいとか自分を傷つけたいっていうの、やめろな」
「っ……」
雛原は枕をぎゅうぎゅうに抱きつぶしている。やはり図星だった。
「相手は俺でなくてもよかったってことだろ? お前のことだから、どっかで変な男に引っかからないとも限らねえし」
「そんなバカじゃありませんっ」
「……婚約者のために大事にとっといた処女をただ飯に誘っただけの俺に捧げようとか思うだけで十分バカだろ」
途端に雛原は枕で俺に殴りかかってきた。何回か受け止めて奪い取ると、雛原はもう一つの枕を抱き込んで顔をうずめる。
「どこまで鈍いんですかっ……そんなに軽い女じゃありませんっ!」
それはつまり。
「……バカだなやっぱり」
雛原の頭に手をのせてくしゃりとかき混ぜると、上目遣いでぬれた瞳が俺をにらんでくる。
わかってるのか? それは、オスを滾らせるだけだって。
腕から枕を奪い取って放り投げると、顎に手をかけて上を向かせる。
白いブラウスを押し上げる二つのふくらみ。思ってたよりデカいな、こいつ。
雛原は涙をにじませたまま目を閉じて素直に唇を差し出している。
俺は唇を寄せると、額に軽くキスを落とした。
「なっ、先輩ひどいっ」
目を開けた雛原は俺の胸元をぐいぐい引っ張った。が、雛原の力に俺が負けるはずもなく。
「男は愛がなくても抱けるんだって証明させたいのか?」
「っ……」
雛原の顔が真っ赤になって、すぐ真っ青になった。
俺に婚約者と同じようなことをしろと言ったのだと気が付いたのだろう。ボロボロ泣き始めた雛原に枕を渡すと雛原は元のように枕を抱き込んで顔をうずめた。
「ごめん、なさい」
「……わかればいい」
俺は雛原を好きじゃない。
雛原がやけになって俺なら抱かれてもいいと思ったのだとしても、俺の思いは存在しない。
それは、元婚約者に群がって一夜の愛を希っていた女たちと全く同じだ。誰一人幸せになんかなれねえ。
「自棄になんな。……お前だけを見てくれる奴がいずれ現れる」
「でもっ……」
「お見合いが嫌なのはわかるが、その相手が実は運命の相手かもしれねえんだぞ?」
「そんなの、都合のいい嘘ですっ」
「だとしてもだ」
雛原の額にデコピンをくれてやる。
「いたっ」
「もっと自分を大事にしろ。……まあ、片野を誘わなかったのだけは褒めてやる」
何のかんのいいながらあいつは俺より固い。今の俺と同じ状態になったら、やっぱりホテルを取ってやるんだろう。彼女に言い訳できない状況になってたりしたらそれこそ大ごとだ。
……いや、もしそうなってたら、やっぱり俺が呼び出されてたんだろうな。
「誘うわけないじゃないですか……」
まあ、実際のところ誘ったのは俺なわけで。
ため息をつくと、俺はベッドにもぐりこんだ。
「とにかく俺は寝る。……襲うなよ」
「……ほんと、最低です」
そこでなんで詰られなきゃならんのだと思いつつも、もし雛原が俺を本気で好きだったとしても、俺は応じてなかっただろうことは確信をもって言える。
「最低で十分だ。……朝飯つきだから、八時に起こしてくれ」
先に帰るなよと暗に釘を刺して、俺はさっさと意識を手放した。