プロローグ -影宮直刀は夢をみるー
例えば、自分の足元にある影が突然消えたとしたならば、君はどうするだろうか?
何を訳のわからないことをいうのだろう、と思うことだろう。しかし、そこは暫し我慢してほしい。なぜなら、俺はいつも通り正常で、この上なく真剣である。もしこの質問に対しておかしいと思うのなら、きっとそれは俺ではなく、まして君がおかしいのではなく、この世界がおかしいのだ。
物理法則を無視した人間、即ち異能者が闊歩するこの世界を正常と呼べるのなら、この世界の「正常」は常に異常である。
――そう、俺は信じている。
さて話が逸れてしまったが、「影」と聞いたらなにを思い浮かべるだろうか。影とは人や動物、無機物にまで、この世界にある全てのものに存在を与えるものだ。強烈な光に掻き消されていない限り、漆黒の闇に溶け込まれていない限り、必ず存在するものだ。
存在を与えるなどと、影にそんな大層な役回りをつける人間などそう滅多にいないのかもしれないが。俺はそう考える。否、そう考えざるを得ないのだ。
さあ、先程の質問に戻ろう。突然自分の「影」が離れていったらどうするか。
答えは、
『どうすることもできない』だ。
君たちの中に正解者はいただろうか?
もちろん、答えはこれ一つとは限らないだろう。
この答えに納得できない人をいることだろう。
そういうわけだから、解説がてらに少し前(…といっても数ヶ月前のことだが)俺の経験した話をしよう。
俺の人生を変えてしまった、影の話。
俺を消してしまった、影の話。
*
自分の影が消える。
それは自身の存在が一時的にこの世界から「消失する」ということだ。意識はあれど、何にも干渉できない。己の意識すら虚像かと疑いかねない状況に立たされる。
それこそ、この世界に隕石が降ろうが、酷い天災に見舞われようが「どうすることもできない」のである。
中二病と思われるだろうが、先程いった通りこの世界は俺から見ても「異常」なのだ。だから敢えて堂々と言わせていただこう。
俺には『影を操る』という能力がある!
…この二つが、これから語る物語のまずもっての話をするための前提である。
それは、高校一年の期末試験当日のことだ。
俺はいつも通り、朝の支度をして軽く朝食をとって家を出た。いつもと違うところがあったとすれば、少々試験に不満がありイライラしていた事くらいだろう。
登校中は家の近所の大きなドーベルマンに吠えられたし、駄菓子屋のおばさんに挨拶をされたりして、この時はちゃんと「俺」は存在していた。
だが、学校へ入った瞬間に、校門を潜ったと同時に、この世界から「俺」という存在が消えたのだった。何の前触れをなく、ただ存在そのものが消失してしまったのだ。
だが、俺はそのことをその瞬間に察した。
足元にある影が消えることは今まで体験したことはなかったが、俺は「俺」という存在が消えるという異様な状況をいとも簡単に、鳥が空を飛ぶことのように、植物が光合成をするかのように、受け入れることができた。
何ということはない。ただ、あぁ、消えたなぁ。としか感じなかったのだ。
それから一週間、俺はずっと存在が曖昧だった。
両親は海外転勤をしているため、家に帰っても誰も俺の存在がないことに気がつかないし。物に触れることもできなくなってしまったので、助けを求めることもできなかった。
一応、試験期間中だったので諦めながらも登校をした。普段とは違う、ドーベルマンに吠えられることもなく、おばさんに挨拶されることもない登校であった。
だが、ちょうど一週間が経った日、俺は一週間ぶりにドーベルマンに吠えられた。
そして、駄菓子屋の前を通ると、
「おはよう。最近見かけなかったけど風邪でもひいてたの?」
と、一週間前のように駄菓子屋のおばさんから声をかけられた。
学校に着いて教室へ行くと、クラスメイトが口々に「サボりかよ」とか「逃げやがったな」とか「馬鹿めw」と悪態をつかれた。
こうして、何事もなかったかのように「俺」の消えた生活は終わりを告げ、平穏な日常に戻ることができた。
──はずだった。
俺が登校した日の昼休み、クラスメイトとの久方ぶりの他愛のない雑談に感謝をしていた中、予鈴にしては早すぎるチャイムがテスト返却後の浮足立っている教室に鳴り響いた。
『一年二組の影宮直刀さん。至急校長室に来なさい。繰り返します。一年二組の...』
教室は静まり、クラスメイトの視線は俺に集まった。
何事かと思い、校長室に向かうとそこには校長と学園長、そして俺の運命を大きく変えることになった紙切れ一枚があった。
昼間だというのに、ほの暗い校長室は俺の入室で空気の重みがぐっとかわった。
その上で、校長は両手を口元で組み、一言。
「期末試験を無断で欠席したため、君は来年度から五組への移動が決定した。」
―――さて、以上が俺と「影」のお話だ。
何か質問はあるだろうか?
五組への移動に何が問題なのかって?
よくある話だろう。生徒の成績順にクラス分けされる、という制度。バリバリの進学校とかではないから学校中から虐げられるなんてことはないが、良くない話はよく耳にする。
もちろん、超生物のいる教室、とかではないが。
そこそこの成績を保ち続けていた俺が、突然一番下へと墜落する。こんな簡単に落とされるものなのか、と我ながら痛快な気分になった。
教員からすれば、素行のあまりよろしくなかった生徒を落とすいい機会だったのだろう。
まぁでも、正直なところ普通のクラスには飽き飽きしていた。
何の事件も起こらない、静かな教室。俺からしたら馬鹿馬鹿しい事この上ない。
それに、五組にはこんな噂があるのだ。
『一人、また一人と生徒が消えていく。理由は一部の教員らによる人体実験によるものだ』
俺はこの手のゴシップには興味のある。
確かに大きく変わってしまった俺の学校生活だが、同時に俺はそれが非常に愉しみで仕方ないのだ。
人間として、最低且つ不謹慎かもしれないが、
俺には所謂、事件に巻き込まれてみたいという夢がある。