第二話
突然の悲劇から1年が経った。
エロウィンは帝都から東に位置する山に移り住み、狩猟を嗜みつつ豊富に手に入る薬草から薬を作って生計を立てていた。
幸いにも帝都では薬が不足しており、薬師である父親に学んだ薬学が多いに役立った。
むろん帝都にも薬師は大勢いる。
しかし自ら進んで山に入る者は居らず、専門知識の乏しい狩人や使用人に薬草を採取させているため、なかなか効能の良い薬を作れずにいるようだ。
おかげでエロウィンの作る薬は評判となり、入荷するや否や瞬く間に売り切れてしまうほどだった。
「今度は多めに作ってきてくれよ」
燭台の光で鈍く輝く金貨を愛おしそうに眺めながらチョンダールは言った。
チョンダールは帝都で手広く商売をしている豪商で、とても自尊心の強い男だ。
その証に、今エロウィンが居る豪邸は貴族の邸宅に負けず劣らずの規模と優雅さを兼ね備えている。
とはいえ、やはり文化の違いか。石造りという点では同じだが、赤を基調とした壁や柱、格子状の欄間、瓦を敷き詰めた屋根は風変わりだ。
とくに男は団子状に髪を結い、メイドは作務衣のような白い衣服を着るなど、随所に異国情緒が漂っている。
チョンダールや使用人達は東方に位置する半島の出身らしい。
黒髪黒眼で肌は浅黒く、平たい顔に切れ長の眼が特徴的だ。
そのせいかチョンダールは35歳とは思えぬほど老けて見える。
これで豚のように肥えていたら最悪だが、幸いにもチョンダールは中肉中背だった。
「それは無理だね」
エロウィンは報酬の金貨3枚を受け取りつつ拒否した。
本当なら金貨5枚は受け取れる位の売り上げがあったはずだ。
しかしチョンダールは弱者救済のため薄利多売しているという。
だから金貨3枚しか渡せないというのがチョンダールの主張だが、どうにも嘘臭い。
そもそも汚い手を使って成り上がったなど、悪い噂の絶えぬ男だ。
薬を売る当てが無く、たまたま知り合った人間にチョンダールを紹介されただけで、懇意にしているわけではない。
エロウィンにしてみれば、日々の生活の糧を得られればいい。それだけなのだ。
「まあそう言わずに、頼むよ。薬を作って欲しいと頼む人間が多くてな、医者なら患者を救うのが当然の務めだろ?」
「俺は薬師で医者じゃない。薬草の採取と薬の調合が薬師の仕事だ。治療は専門外だ」
「でも、俺の腹痛を直してくれたろ?」
「あれはただの食当たりだったからな。解毒剤で十分に対応できたが、手術が必要だったら完全にお手上げさ」
「ふ〜ん……そういうもんかね」
納得いかない顔でチョンダールは仕切りに顎を撫でた。
「とにかく、薬の量は今まで通りだ。それ以上を望むなら、他の薬師にかけあってくれ」
「よく言うぜ。他の薬師じゃ満足な薬ができないから頼んでるのによ。ふん、まあ、いいや。無理強いする気は無いからよ。また、よろしく頼むぜ」
エロウィンは背を向けたまま右手を軽く振って応えると、足早に豪邸を後にした。
「やれやれ、やけにしつこかったな」
街中に出たエロウィンは気怠そうにため息をついた。
すでに陽が落ちて月が帝都を照らしている。店の灯りが街中を煌々と照らし、仕事を終えた職人達が酒肴を楽しもうと街道に繰り出していた。
いくら山を知り尽くしたエロウィンといえど、今から山に戻るのは少々厳しい。
今夜は帝都で一泊するしかなさそうだ。
「今夜は懐も暖かいし、久々にあそこに行くか」
エロウィンは活気に沸く飲み屋街に足を向けた。
石畳の街道を早足で歩く。別に急いでいるわけでは無い。山暮らしで自然と足腰が鍛えられ、都会人より歩みが早いだけなのだ。
さらに1年の山暮らしは早足になっただけで無く、腕っ節も強くした。
街のチンピラなど軽くあしらえる。傭兵でも凄腕でない限り互角に渡り合う自信があった。
薬が評判になるに連れて利権を狙うものが現れる。家を襲撃されたのは1度や2度では無い。その度に一人で敵を撃退してきたのだ。生半可な腕っ節では生き残ることはできなかった。
帝都の中心部から外へ向かって歩いて行くと徐々に喧騒が静まっていく。
代わりに誘うような薄明かりが一本の道筋を照らし、近付くほどに甘い香りが漂ってきた。
通りを抜けると別世界に迷い込んだ錯覚に陥る。
異様な雰囲気と誘惑的な魔力が支配している、そんな非現実的な感覚がヒシヒシと伝わるからだ。
「おっ、久しぶりだねダンナ」
長い黒髪を大きく結い上げた美女が声をかけてきた。
着物と呼ばれる美しい染め着を身に付け、唇に紅色の染料を塗った、妖艶と優雅さを兼ね備えた気立ての良い美女である。
彼女はチョンダールより更に極東の島国から来た異国人で名をユウギリといい、皆からは花魁と呼ばれている。
煙草が好きらしく、紫色の煙管はユウギリの愛用品だった。
「一晩世話になるよ」
「ダンナならいつでも大歓迎さ。ダンナのおかげで色街の花達は梅毒から救われたんだからね。いっそ此処に住んじゃあどうだい?」
ユウギリは紫煙を吐き出すと誘うように笑った。
「あいにく山暮らしが性にあっていてね」
「そうかい。まあ、気が変わったらいつでも来なよ。アタイが面倒見てやるからさ」
「考えておくよ」
答えをはぐらかすとユウギリは微笑した。
「だれか!」
色街の元締めであるユウギリの一声で瞬く間に30人ほどが集まった。
いずれも腕っ節の強そうな男達だ。色街だけに狼藉者も多く、暴力沙汰も多いため、警備の意味合いも兼ねて屈強な男達が多く働いていた。
「いつもの所でいいかい?」
「ああ、よろしく頼む」
「お前ら、ダンナを男娼宿まで案内しな!」
ユウギリの命令に丁稚達は歯切れの良い返事で応えた。