図書館にて
本を読み終わった。これで三冊目だ。坂上高校に入学して初めての休日を、僕はいつものように、本を読ん過ごした。
本を読み終わると気持ちがいい。その愉悦の感覚を拭えないまま、僕はいつもの食卓についた。二人しかいない食卓。僕がテレビを見ていると、母はカレーライスを置いた。
「コウタ、学校はどう?坂上高校はいい学校でしょ?」
「さぁ、まだ分からない」
一週間も経ってないのに分かるわけないだろう、と内心で反抗した。
「これからよ。高校生活は」
母が諭すように言った。これから高校生活が始まるのは自明のことである。わざわざ母に言われることではない。
僕はすばやくカレーを食べ終える。学校給食で大好物のカレーが出たけれど、おかわりに行けずに注がれた物だけ食べる内気な小学校のように。立ち上がろうとした時、母が再び口を開いた。
「コウタ、明日はどこか行くの?」
「図書館に行くよ」僕は呟くように言った。
高校生になれば何かが変わる。そんなことを期待していたわけではないけど、あまりにも変わらない日常だった。歯磨きして、風呂に入って、本棚から本を取り出し、布団に入った。
明くる日、僕は図書館に向かった。太陽が少し眩しいけど、爽やかな風を受けながら自転車をこいだ。
ゆらゆらと自転車をこいでいると、図書館についた。田舎町にあるこの図書館はあまり大きくない。けれど、職員が親切で、雰囲気が穏やかだ。少し歩くと、僕に気づいた自動ドアが開いた。中に入ると、二人の職員がアルカイックスマイルのような微笑をしてお辞儀をした。本を返すやり取りは職員にとってお手の物で、息をするように自然とやっていた。
「昔は母さんにやってもらってたなぁ」
と僕は思い返した。昔はよく連れてきてもらったなぁ。
コウタは母子家庭で育ち、兄弟がおらず、親とふれあう時間も少なく、友達も少なかったので、よく本を読んでいた。
本を返すと、まっすぐ奥の方へ向かった。借りたい本は文学コーナーにあるのだ。本を探していると、1人の青年が視界に入った。
「またあいつか」
と僕はいぶかしく思った。そして、気づかぬうちに彼を睨んでいた。彼は僕の視線など全く介さず、本を読んでいる。食事に気を使っている老人のような健康的な痩せ方をしており、ヒジキのように濃くて、抜けにくそうな黒髪は、ボリュームたっぷりでかつサラサラしている。
こじんまりと椅子に座っているが、縮こまっていない。彼はよく見かける。僕よりも頻繁にここに来ている。それも昔から。前途有望はイケメンが、図書館にこもって本を読むなんてけしからんと思いませんか?鳥に生まれたからには鳥らしく空を飛んで生きるように、イケメンはイケメンらしい生き方があるのでしょう。にも関わらず、本を読むなんて……。
気を取直して再び本を探し始めた。目星を付けた本が一冊なくて、米粒くらいのショックを受けた。
本を借りて図書館を出ようとした時、向こうから1人の少女が入ってきた。僕は目を奪われた。つややかな黒髪に澄み渡った瞳、端正な顔立ち、目が覚めるような美しさだった。僕の横を通り過ぎる間も彼女に見とれて、きづくと彼女はカウンターまで行っていた。僕は赤い顔で小走りで駐輪場に向かった。
「なんだろう、この気持ちは」
高鳴る胸を抑え自転車に乗った。あまり日が昇っていないが、太陽は熱く輝いている。
家に着いた。10時を知らせる音楽が、かつてないほど大きな音で、はっきりと聞こえる。耳にではなく、心に響いたのかもしれない。耳じゃなくて、胸が裂けそう。
気を紛らわすべく、借りた本を読もうとする。しかし、字面を眺めるだけで、何も読めない。何か読めそうなものは……あった、恋愛小説。少し古めかしいし、子供向けの本だ。けれど構わない。埃を落として読み始める。
主人公が手を尽くして、好きな女性にアプローチし、遠く離れた女性と結婚する話。何より主人公の行動力とひたむきさに心打たれた。そしてきゅんきゅんした。なんていい話なんだ、これは世界的な名作に違いない!と思った。しかし、このストーリーと現実の僕には大きな違いがあった。それは、黒髪に会う、アプローチする方法が無いこと。通い続けて10年の、図書館歴の長さなら定評がある僕でも、彼女に出会ったのは初めてだった。
おそらく図書館に行くことが少ないのだろう。かといって、普段彼女がどこにいっているかも分からない。ストーカーになる気もない。つまり何もできない。こうして僕の初恋は一旦幕を閉じた。




