Ⅲ , 男
男は薄ら笑いを浮かべながらへたり込んだ俺を見て言った。
「俺が誰だかわかるか?」
見た目は俺だった。声も同じだ。だからあの苦しみのなかで親しみを覚えたのだ。
だが俺はここにいる。この男がもし俺ならば,同じ空間に同じ人間がいるという二重の存在となる。パラドックスが生じるのだ。
男は腰を落とし,目線を合わせてこう言った。
「俺はな,お前なんだよ」
無言を貫く俺に,男は更に言う。
「俺とお前は同一の存在だ。ただ,一つだけ違うことがある」
男は俺に立つように促した。
「持っているものが,違うのさ」
「持っているもの...?」
「お,やっと口を聞く気になったか」
男の顔がぱっと明るくなった。そして口角を思い切り上げて白い歯を見せて笑った。
「だいたい相手は自分なんだから遠慮するなよな」
俺はおかしな気分になった。俺はこんな奴だったのだろうか。あんまり男が気さくなので,俺もつられて笑った。
男は俺が笑ったのを見て満足げに2,3回頷き,それから表情を引き締めた。
「話を戻すが,俺とお前は互いに欠けているものがある」
男の目を見ると,そこには真剣さしかなかった。
「お前に欠けているものを俺は持っているし,俺に欠けているものをお前は持っている。
それはな...」
少し間を置き,男は言った。
「命と記憶なんだ」