二話
「あの子は心の優しい人なのかな……」
ほっかむりをかけた女の子は言った。口元には、先ほど悠一と話したときの笑みが残っているが、目が笑っていなかった。
悠一は、急いで走って、最後列の男子と並んだ。運動はあまり出来ない方なので、少し走っただけでも息が弾んでしまう。
「どこに行ってた?」
「あそこにいる人と……!」
悠一が後ろを振り返ると、真っ直ぐな道が消えていた。なくなったのだ。悠一は真っ直ぐ走ったのに、今目の前に広がっている光景は、蛇行している道。曲がる度に高く並んでいる木に阻まれ、一度曲がるとその奥が見えない。
もちろん、地蔵や女の子はどこにもいなかった。
「なぁ、俺たちが来た道って……」
「なんだか不気味だよなぁ。あの地蔵のあとからずっとうねうねした道ばかり……どうした?」
悠一は、なにか得体のしれない恐怖を感じた。
――そうだ……本!
悠一は恐る恐る手をみると――そこには、しっかりと「笠地蔵」の本が握られていた。少しほこりっぽく見えるのは、気のせいだろうか。などと、考えている場合ではない。
「おい、俺ら遅れとってんじゃねぇかよ!」
「え、またかよ!」
少しペースを落としただけで置いてかれそうになる。先生も、少し焦っているせいで歩くスピードが速くなっているのだろう。足が遅い女子なんて、小走りをしないと追いつけていない。悠一は話していた男子と一緒に走り、列に戻った。
もう、後ろの事なんて気にしない! ……今は眠るところも決まっていない事態。地蔵がなんだ。本だってあとで読めばいいし……
心の底で引っ掛かっていたものがあったが、悠一は足を休めることなく先へ進んだ。
村の前には、ゲートらしきものがあった。何か書いていたが、雪が積もっていて――初めからすすけているのもあるが――文字一つすら見えなかった。
先生はなにより生徒のことが心配で歩いてきたので、村の前に立った瞬間「よかった」と呟いていた。
「よし、ここから班行動にする。先生は村の役場に行って村長さんと話をつけてくる。その間、民家で泊まらせてもらえないか聞きまわってくれ。泊めてくれる家が見つかったら先生に報告するように。質問がある人はいるか?」
質問する人もいなかったので、先生は後ろにいた列にも声が聞こえているか確認した後、先生を先頭に村へと足を運んだ。
思っていたより、民家はずらりと並んでいた。ずらりと言っても隙間なくあるわけではなく、ぽつりぽつりだが、数百メートル以内には家が少なくても一軒ある。そんな程度だ。
本来決まっていた班構成は、一チーム六人。だが、いきなり六人も泊めてくれる人はそうそういないと先生が判断し、さらに半分にわけ、今は三人で行動している。
悠一の班でリーダーの女子が、周りを見回してからどうしよう、と呟いた。
「うーーん……皆ここら辺の人たちに頼むだろうから、もう少し奥に行こうか」
その意見に、悠一たちはうなずいたので、奥へと足を進めた。先ほどから舞っている雪は、激しさをまさない分、体にまとわりつくようだった。
「ここの家なんてどうかな?」
その女子が指――ではなく手を裏返して何かを差し出すようなポーズで――家を指した。もし窓などから外を見ていた時にも無礼がない様に女子は配慮した。
「いいんじゃねぇか? さ、行くぞ……って、言うのはリーダーか」
先ほど悠一と会話していた男子も、同じ班だった。「寒い。どこでもいいから早く止まるところ決めようぜ」今はそんな態度に見えた。
「すみません。失礼します」
「あら、ここらでは見かけない顔。どちら様?」
「私たち、この先にある目的地に着く前に事故に遭い、今日はもう進めない様な状況なのです。一日だけ、泊めて頂けないでしょうか?」
「いいわよ。寒いでしょう? 早くはいりなさい」
その人はとてもニコニコしていて可愛げがあるおばあさんだった。初めて会ったにも関わらず、少しも躊躇なく家に招いてくれた。
「有難うございます! あ、先生に連絡してこないと」
「それなら俺も行く……ここじゃ、つまらねぇから」
同じ班の男子が、おばあさんに聞こえない様な声でボソッ言った。結局は俺一人かよ、悠一はそう言いたかったが、おばあさんに失礼だと思って言葉を飲み込んだ。
「悠一、少しの間、待っていてね」
といい、おばあさんに礼をしてから男子を引っ張っていった。
「あら、それ……」
悠一が家に入って、自分のコートについていた雪を降ろしている最中、おばあさんが悠一の手にある本を指差した。
「これですか?」
「それ、どこで手に入れた?」
「……さっき、もらいました。この村に来る前の道の間、知らない人に声をかけられて」
おばあさんはそれを聞き、少し困った表情を浮かべた後に、
「少し、私の話を聞いてくれ。さ、中に入って」
おばあさんがまねく方に行くと、昔話の中にしかないような囲炉裏がど真ん中にある、リビング――とは言えない、床の間についた。
「その本、読んだか?」
「いえ。これから、読もうと思っていました」
「……やめたほうが、いいとおもうがなぁ……」
「……え?」
「聞きたいかい? 『本当の』笠地蔵」
おばあさんの周りの暖かい雰囲気ががらりと変わった。そう感じたのは悠一だけなのだろうか。今ここで聞かなかったら、寝れなくなってしまう――怖いと言うわけではない。気になって寝れないのだ。
「聞きたい……です」
だが、一般人が知っているような笠地蔵の話なんてとっくに知っている。悠一は、おばあさんが強調した『本当の』部分が知りたかったのだ。
「その態度だと、大体は知っているようだね。じゃあ、正月後の話から始めよう……」
おじいさんとおばあさんの間には、一人の孫がいたんだよ。ちょうど今のあなたの歳くらいだったかな。その孫は、おじいさんとおばあさんがお正月にあった出来事を孫に自慢したんだよ。だが、その子は信じなかった。それどころか、おじいさんたちの頭がついにおかしくなったんじゃないかと思ったらしい。
「そんな事、あるわけないじゃないか」
「本当だよ。なんなら、あなたも拝んでくればいいじゃないか。そのお地蔵さまを」
「……」
孫は返事もしないで、家を飛び出した。あぁ、そういえばこんな不思議な雪が降った日だったらしいよ。そして、例の地蔵を見に行った。
おじいさん達が言っていた場所に、地蔵はなかった。
「なんだ。やっぱりウソかよ……」
変えようとすると、崖の下で声が聞こえた。
「ん? ……人じゃないか!」
下で、雪に足をとられ身動きができない少女が泣いていた。なぜか、頭には紫のほっかむりをしていたそうだ。
え? そんな人を知っている? ……気のせいじゃないかい? ……話をすすめようかね。
孫は勇気を出して、その崖から少しずつ足を滑らせて下へ向かった。下に降りるにつれ、少女の横に一つの地蔵が転がっているのに気づいた。
「大丈夫ですか!?」
「助けて! 動けないし、お地蔵さまが……」
孫は衰弱している少女を助け、なぜか少女が執着している地蔵も共に助けた。少女を背負い、地蔵を両手に持って道があるところまであるいた。
ついに木と木の間から道が見え、ひざ先まで積っていた雪がほとんどなくなった。先に、地蔵を底に降ろした。小さいからって重いのなんの。倍に手間がかかったと思ったが、
「有難うございました!」
少女の笑顔で疲れは一気に吹っ飛んだそうだ。
「いいえ、当然ことをしたまでです。でも、なんであんなところで?」
あまりにも可愛い笑顔に、つい敬語を使ってしまう。
「……突き落とされました」
「誰に?」
「…………後ろからだったので、みていません」
何かを聞くたびに、少女の声はだんだんと小さくなった。これはまずい、と思った孫は、慌てて謝った。
「ご、ごめん。問い詰めるつもりはなかった」
「いいえ! 全然気にしていません。そうだ! これ、あげます」
少女は孫に一冊の本を渡した。表紙の文字には、力強い筆で「笠地蔵」とかかれていたそうだよ。少女はその本を渡し、どこかへと消えてしまった。
「なんだろう、これ」
孫は早速家に持ち帰り、本を開いた。だが、文字が見当たらなかった。
「あれ、なんだよこの本……」
パラパラと全てのページをめくっているうちに、唯一文が書かれている所があった。
片方のページには、こんな言葉が。
『この本をもっているものは、好きな時に念じるだけで人を殺めることができる。絶対にばれない、自然の災害が、その人に降りかかるだろう』
もう片方のページは、
『だが人を一人でも殺めるとあなたは…………』
その先は、読みとることができなかった。なぜ、こんな新しい本なのに。どうしてなのだろう。そんなことが頭をよぎったが、先に書いていた文のほうが孫のことを興奮させた。
『人を殺める能力』それがこの本にある。それは事実だ。好きな時に、殺したい人を殺す事ができる。
すごいことじゃないか!!
孫は本をいつも持ち歩いているバックにしまった。絶対に、誰にも渡したくない。絶対に………
「すぐに使っても面白くない。なにに使おうかな……」
次の日から、孫は用事がなくてもブラブラと外をあるいた。なにかあっても、この本が全て守ってくれる。なんて思うと、家にはいられないのだろうねぇ。
「おい、そこのガキ」
孫より体が二周りほど大きな男が、孫に話しかけた。孫と同じ年齢だ。だが、いつもそいつに虐められていたので、前々から嫌いだった。
「欲しいもんがあるんだよ。金貸せ」
「嫌にきまっているじゃないか」
「お前、俺に逆らったらどうなるか分からないのか?」
「…………」
前、村の外れに呼び出され、一日中ボコボコにされた日があった。泣き叫んでやめてくれと頼んだが、そいつはやめなかった。
あぁ、こういう時に使えばいいのか。
孫は微笑み、本に念を込めた。
――死んでしまえ!
「……何しているんだよ」
「え?」
何も起きず、そいつはただ目の前で孫をポカンと見つめていた。変な奴、そう吐き捨ててその場を去った。殴るような気持ちも失せたのだろう。
「やっぱり、ウソかよ……」
捨ててしまおうと本を取りだした瞬間、大きな岩が落下したんだよ。
「わぁぁ!!」
目の前の光景に、その孫はひどく驚いただろうね。いとも簡単に、ぐしゃっと音を立ててそいつが死んじまったんだから。
急に怖くなった少年は、家へ急いで帰った。だけど、よくよく考えると自分が念じておこった出来事。別に、自分が手を出したわけじゃない。
人は、一度自信がつくとどん底に突き落とされるまで心が強くなってしまうんだよ。
孫はその後も気に入らなかった人をすぐに念じては殺した。もう、ビビりもしなかったらしいよ。おそろしやおそろしや。
そしてついに、孫は自分のおじいさんとおばあさんにも手を出した。
「いつまでも俺を子供扱いするな!!」
「そういうわけじゃないよ。気を悪くしないでくれ」
最近自分の孫がおかしい、そんなのはとっくに気づいていた二人は、孫が恐ろしかった。いつ、何をされるかわかったもんじゃないからね。
「うるさい! もういい!」
孫はわめきちらし、外へ出た。そして、少し離れた場所で本を手に取った。
――あの爺と婆を……殺せ!
そう思ったとき、後ろから声をかけられた。
「それはダメだよ」
あの、紫のほっかむりをかけた女の子が、とても悲しそうな声でいった。
「あのときの……」
「あの優しいおじいさんとおばあさんの孫だったら、こんな誘惑にも乗らないとおもったのに……残念」
その声が聞こえた瞬間、孫は腰を抜かした。
「な、な、な…………」
そして……――
「ど、どうなったんですか?」
「それはね……」
おばあさんが口を開いた瞬間、ドアが開いた音がした。悠一の班メンバーが帰ってきたのだ。リーダーの彼女は先に会釈し、「おじゃまします」と言って入ってきた。彼女は本当に目上の人に対して敬意の表し方が上手だな、と称賛した。
「おばあさん、続きは……」
「また今度だねぇ。とにかく、その本は捨ててきた方がいいよ」
おばあさんはコロコロと笑って立ち上がった。
悠一は持っている本をもう一度見た。古びた、ただの本。パラパラと本をめくると、本当に何も描いていない真っ白なページばかり。だが、おばあさんが言っていた所のページを見つけた。
「それ」は、確かに書いてあった。見た瞬間、思わず本を落としそうになった。
「……なんでそんな昔の話、あのおばあさんは知っているのだろう……」
おばあさんの後ろ姿を見た。背中が丸まっている、どこにでもいそうなおばあさんだった。疑問が浮かんだが、今はこの本をどうするかだ。選択権は、悠一にある。
――人を殺す事ができる本。でも、使い方を間違えれば自分にも不幸が降り注ぐ。……おそろしい本だな。捨てるか? ……いやいや、こんなチャンス……
逃すなんて、もったいないじゃないか。
俺が殺されないで…………あいつを殺すことが出来れば、いいことじゃないか。おばあさんが話していた孫はバカだな。しっかりと考えて行動すれば、こんなことにはならねぇのに……
悠一の口元に、笑みが浮かぶ。もう、怖いなんて感情はなくなった。変わりに、あいつに対しての殺意が湧きあがった。
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