預言と堕天使と少女と天使
――――「彼女」を初めて見た時、彼は「恋」に堕ちた。
それはこの世に創造されて初めて感じるモノで、だからこそ鮮烈で、彼の胸を抉る程のモノだった。
その時、その瞬間から……彼は「愛」を識った。
「――――視えるか、シエルよ」
彼の隣に立つ男は、不思議な身体を持っていた。
外見こそ髪と眉まで白髪で覆われた老人だが、ギリシア彫刻をそのまま現実にしたかのような筋骨隆々のガッシリとした肉体に、その背中には白い羽毛の翼まである。
翼人――――3対6枚の羽根持つ彼は、見る者が見れば「天使だ」と評したであろう。
彼らの眼下には、「闇」がある。
世界の果て、地の底と呼ばれるそこは全ての闇の溜まり場であり、彼らにとって忌避されるべき存在の全てが押し込められた場所だった。
闇が蛇のように蠢き、邪が蛆のように這い回り、影が虫のように羽音を立てる地底の世界。
俗に言う、「地獄」である。
「あそこに在る女こそ、我らが父祖、我らの主たる創主に弓引いた者達の女王だ」
天使のような姿を持つ男が、傍らの若者に見やすいようにだろう、薄く白く輝く足場をより透明にする。
そう、彼らは空に立っている……ように、見える。
翼持つ2人が空に立ち、地の底で蠢く者達を見下している。
それはまるで、神のように。
「『堕天使』だ」
闇と邪と影の蠢きの中心に、その女はいる。
あまりにも暗いので肉眼では見えないが、彼らの眼には確かに視えている。
おぞましくも美しい――――そんな女の姿を。
その女は、下半身が見えない。
汚泥のような汚らわしい何かで出来た地面に腰から下を埋められ、上半身のみが地表に露出している。
何も身に着けていない剥き出しの細身の上半身が、天を仰ぐように胸を逸らしている。
「……師よ、彼女はいったい?」
「この世に終わりをもたらす者だ。今は我らが全能なる創主によって封じられ、「目覚め」を阻止されている」
「……創主に」
「アレの封印の監視が我ら熾天使の役目。シエル、私の次はお前があの者の千年の牢番となるのだ」
シエルと呼ばれたのは、男に比べて随分と若い外見の少年だった。
金髪碧眼、白い肌の華奢な身体は少女のようにも見える。
彼の背にも白い翼があるが、しかし師と呼ぶ男よりも4枚も少ない。
どうやら、彼はまだ見習いのようだった。
しかし今は、そのガラス玉のように美しい瞳を眼下の女に向けている。
剥き出しの胸を天に仰がせる、女を。
瞳を閉じ、唇を引き結んだその顔は美しい……しかし、土と泥、そしてよりおぞましい何かで黒く汚れて美貌が台無しになっている。
地面に広がる長い黒髪は乱れ、元は美しい褐色だったろう肌は薄黒く汚れて見る陰も無く、しかも下半身が埋まって動けそうもないが、飽き足らずに無数の鎖で縫い止められているように見える。
「……綺麗だ」
隣の男には聞こえぬ程小さな声音で、シエルと呼ばれた少年が呟く。
魅入られるように、汚れ、穢れた眼下の女を見つめている。
汚らわしくも何故か美しい、その女を。
「あの……彼女の封印が解ければ、世界が終わるのですか?」
「そう言われている」
眼下を見下ろしている男は、隣の若者の視線に気付かない。
ガラス玉のようだった瞳が、今は柔らかな光を激しく燃焼させていることに気付かない。
無理も無い。
その感情は、本来なら彼らには無いはずのものだから。
「師よ、彼女の封印はどのようなことが起これば解けてしまうのでしょうか?」
「ふむ……お前に教えるのはまだ早いやもしれぬが……」
顎を撫でながら、男が足元を軽く打つ。
するとどうしたことか、景色が変わった。
それまで空の上にいたはずが、いきなり場面が変わったかのように。
彼がいるのは、どこかの白い神殿のような場所だった。
丸い不思議な紋様の描かれた床に、表面が白亜に輝く不思議な石を積んで築いた建造物だ。
どうやら先程の光景は、遥か彼方、どこかの場所を投影したものだったらしい。
「師よ」
「……我らが創主によれば……」
顎先を指で撫でながら、男が弟子たる少年に告げる。
『堕天使』が世界を終わらせる、そんな日が来るかもしれない条件を。
告げて、しまった。
「創主の残された5つの預言が成就された時、あの女は目覚める」
……5つの、預言。
師に教わったそれを、シエルは胸に留めた。
未だ瞼の向こう側に見える女の姿をそれに重ねて、留める。
永遠に代わらぬ誓いのように。
何かを考え込んでいる弟子の姿に何を思ったのか、男は満足そうに頷いた。
もしかしたなら、役目について考え込む弟子を頼もしく思ったのかもしれない。
……しかし。
(5つの……預言で……目覚める)
それがとんだ――致命的なまでの勘違いだと男が気付いたのは。
それから、ずっとずっと先のことであった。
具体的には、このしばらく後――――。
――――彼が後継者と定めた弟子が、彼の下を出奔する、その時に。
◆ ◆ ◆
――――世の中なんて、つまらない。
西暦2013年の春、高校2年生になった少女……南城紀子は、通う高校の教室の窓際の座席で机に肘をつき、窓の外を見つめていた。
桜の花がチラホラ見える校庭は美しいが、それが紀子に何かの意味を与えているとは言い難い。
黒地の赤リボンのセーラー服を着て、級友と朝のお喋りをし、座席についてホームルームの教師の話を聞き流す。
いつも通りの朝の時間で、そこには何の変化も無い。
地元の小中学校に通い、県外の私立高校に進学しても、進級しても何も変わらない毎日だ。
(――――……退屈)
頬に流れた長い黒髪を指先で払いつつ、そっと溜息を吐く。
昔から、そうだった。
皆が楽しいと言うことを楽しめず、熱中することに醒めた目を投げかけ、それでいて周りに合わせて楽しみ、熱中するように見せる、そう言う子供で、人間だった。
もしかしたらそれは皆がそうなのかもしれないが、いや、だからこそ。
意味を見出せない。
退屈で、飽いていて、何かを求めているが何を求めているかがわからない。
そして結局、無気力になるしかない。
(我ながら、まさにイマドキの若者って感じ)
自分で自分を嘲弄するように頬の肉を引き攣らせて、窓際最後列と言う特等席で身じろぎする。
気だるげに視線を上げれば、そこにはクラス担任の女性教諭が何事かを言っている。
どうせいつもと同じくどうでも良い連絡事項だけだろうと、聞く気も無しに耳を向ける。
「はい、今日は皆に新しいお友達を紹介します」
「転入生ですかー?」
「ううん、外国からの留学生です。日本とアメリカのハーフで、日本語は出来ますから緊張しなくて大丈夫ですよ。さぁ、入って来てください」
転入生、いや留学生か、どちらでも良い。
確かにいつもと異なるイベントではあるが、それで何がどうなるわけでもない。
だから紀子は、机に肘をついたままの体勢で教壇の方を見続けた。
やがて、クラスメートのざわめきと共に、その教壇に同年代の少年が立つ。
金髪碧眼、華奢な身体。
一見女子にも見えるが、だが纏っている雰囲気のせいかそんな風には見えない。
ちゃんとした男の子、しかし外国人。
クラスはやや緊張気味、ただ留学生は気にとめた風も無くニコニコしている。
「…………?」
何故だろう、と、紀子は思う。
留学生が、自分を見ている。
最初は気のせいかと思ったが間違いない、こっちをガン見してくる。
まさか一目惚れか? いやいやそこまで綺麗な造形はしていないと自分に言い聞かせる。
では、何だろうか。
そう思って内心で首を傾げていれば、留学生が笑顔を強くした。
にっこりと、何が嬉しいのかニコニコと。
他の女子などは、それで黄色い声を上げているが。
少なくとも、紀子にその気は無い。
「さ、自己紹介してくれる?」
「わかりました」
声まで澄んでいて、どれだけ王子様だと紀子は思った。
ある意味、一番苦手なタイプ。
でもまだ視線は紀子に、何なんだろうか。
「僕の名前は――――」
その時、「彼」と紀子の視線が絡まり。
「――――天使シエルです」
声が音となって耳朶を打ち、それは理解として脳に追いつき。
「どうぞ、よろしくお願いします」
「じゃあ、天使君の席は……一番後ろの、窓際から二番目です。南城さん、何かとお世話してあげてくださいね」
「え……あ、はい先生」
何故か。
「……よろしく。名前を、聞いても良いかな?」
「……南城、南城紀子」
心臓を、掴まれたかのような……心地に、なった。
細められた瞳に、ガラス玉の中で揺れるようなその心に、笑みの形に歪められた唇から紡がれる言の葉に。
射抜かれたような、そんな心地だった。
そしてそれが、全ての始まりだった。
退屈な日常が塗り替わる瞬間、運命の分岐点、始まりの始まり、その瞬間。
紀子がそれに気付くのは、もう少し後の話だ。
もう少し後……具体的には――――。
――――「第一の預言」に関わる事件に、巻き込まれる、その時に。
お久しぶりの方はお久しぶりです、初めましての方は初めまして、竜華零と申します。
ふと思いついたままに書いたお話です、何と言うかプロローグ調です、これだけでは何とも言えないような……。
イメージとしては、堕天使(女性)に恋した天使(男性)が堕天使を地獄から解放するために人間界に赴き、必要な条件を整える……みたいな。
で、条件(預言)に関わる人間の少女を巻き込んで天使の追っ手達と戦いながら預言の成就を目指す、みたいな話をイメージしてました。
しかし書いてみると難しい、むむぅ、オリジナルは難しいです、やはり。
今後もこう言う形のお話をちょくちょく投稿して行きますので、これからもよろしくお願いいたします。