依存 1
彼はペンを回しながら、申し訳なさそうな顔で項垂れた。
『期待に沿えない』という真意をはかりかねて、あたしは彼に詰め寄る。
「・・・できないって、それもトラウマ? それとも、あたしとはそういう気にならないって事?」
『いいたくない とにかくできない ごめん』
再び広告にペンを走らせると、彼は悪霊退散のお札の如く、あたしに突きつけた。
・・・って、あたしは悪魔か!?
ムカついたあたしは彼の手から広告を奪い取って、目の前でビリビリと破り捨てる。
「失礼ね! 別にあたしだって、今更本田君と何かしようって思ってるわけじゃないんだから! もういい! 帰る!」
勢い良くあたしはベッドから立ち上がった。
彼も慌てて立ち上がって、クルリと玄関に向かって背を向けたあたしの背中に追いすがる。
あたしの手がドアの取っ手に触れた時、彼の長い両腕があたしを背中から抱き止めた。
あたしの背中に、ピッタリくっ付いた彼の胸の温かさが伝わってくる。
抱き締める両腕に力を込めながら、彼はあたしの耳元に吐息のように囁いた。
「ゴ・・・メン・・・」
声にならない彼の息は、確かにそう言った。
頑張って声を出そうとしてくれてるんだ。
彼の思いは痛いほど伝わってくる。
なのに、あたしは素直じゃなかった。
結果的にあたしからの誘いを断わられた形になった事に、プライドを傷付けられたからだ。
「・・・帰るよ。あたし達、会わなきゃ良かったね」
その言葉に、彼の手からスっと力が抜けた。
首に巻きついているその両腕を、あたしはそっと外す。
チラリと目だけ動かして後ろを見ると、悲しそうな顔で彼は腕を下ろしていくところだった。
腕が完全にダラリと降ろされた時、あたしはドアを開けて、木枯らしが吹き荒れる外気の中に飛び出した。
◇◇◇◇
翌日。
聞き慣れた携帯の着信音であたしは目を覚ました。
ピンクの遮光カーテンの隙間から差し込む明るい日差しが、ちょうど、あたしの目の上に直撃している。
本田君のアパートから飛び出してから、結局、あたしは自宅に戻ってきて自分のベッドで不貞寝してしまったんだ。
昨日の出来事が少しづつ、頭の中で再形成されていく。
その間も携帯の着信音は鳴りっ放しで、目を閉じたまま、あたしの手は無意識に携帯を探してベッドの中を這い回った。
やがて枕の後ろに放置されていたストラップが手に触れ、あたしはそれを手繰り寄せて着信ボタンを押した。
「もしもし?ミユちゃん?俺。昨日はごめん。まさか、突然、戻ってくるとは思わなかったから。」
あー・・・聞き覚えのあるこの声・・・。
誰だったっけ?
昨日までメチャクチャ好きだった声の持ち主は本田君との一件によって、あたしの脳裏からキレイサッパリ削除されていた。
「・・・ノブリン?どーしたの?朝早いじゃん?」
「もう遅っせーよ。今11時だぞ?昨日はお前こそ他の男と遊んでたんじゃないのか?」
携帯の向こうから、朝型人間ノブリンの甲高い笑い声が聞こえた。
ノブリンというのは、会う筈だった妻子持ちの三十路のイケメンの事だ。
本名が河合信彦だから「ノブリン」
今となってはどうでもいいけど。
「・・・ノブリンにカンケーないし。約束すっぽかしといて、今更、何か用?」
「嫁が子供連れてまた実家に帰ったんだ。今度こそしばらく帰って来ないから、今から来いよ」
「・・・めんどくさ・・・。いいよ、もう。気が乗らないもん」
「怒るなよ。埋め合わせするからさ。いつもの場所で待ってろ。車で向かえに行くよ」
「・・・なら、ご飯はイタリアンがいい」
「じゃ一時間後、いつもの場所で。いい?」
こうなると、もう抗えない。
あたしは観念して彼の誘いに乗る事にした。
彼が言う『いつもの場所』というのは、あたしの自宅から徒歩15分程にある小さな公園の駐車場の事だ。
妻子持ちのノブリンのマンションの近くであたしを車に乗せる訳にはいかなかったし、自宅前まで迎えに来て貰うこともできなかったので、いつもそこで待ち合わす事にしていた。
夜になると全く人気がない公園の駐車場なら、車内で済ます事もできる。
何かにつけて便利な場所だった。
昨日は化粧さえ落とさずに寝入ってしまったので、あたしはノロノロとベッドから這い出してシャワーを浴びた。
そして彼好みの服をチョイスする。
この寒いのに肩が出た黒のシャツとショートパンツ。
ロングブーツに足を捻じ込み、レザーのショート丈のジャケットを羽織る。
お化粧はバシバシの付け睫毛でアイラインを強調。
濡れたような唇にする為、ベタベタのグロスを塗りたくる。
ノブリン好みのバカ女の完成だ。
あたしは玄関の鏡で全身チェックしてから家を出た。
『オレはできない 期待に沿えない いいたくない とにかくできない』
公園に続く歩道を歩きながら、あたしは昨日の彼が書いたメッセージを頭の中でパズルみたいに組み立てていた。
あたしが嫌なんじゃなくて、もしかしたら本当に精神的な問題の為にできないって意味だったんだろうか。
だとしたら、あんな風に飛び出してきたのは申し訳なかったと思う。
でも、その結果、もう会う事がなくなれば、それはやっぱり良い事になるだろう。
彼がセックス恐怖症だとしたら、あたしはセックス依存症だからだ。
相反し過ぎて、あたし達が付き合うのはもう無理だ。
付き合ってたあの頃は、まだ二人とも健全な中学生だった。
自分達が将来こんな大人になるなんて想像もしなかったのに・・・。
どこであたし達は迷子になっちゃったんだろう。
あたしは一人で自嘲しながら、彼の待つ公園に向かって足を速めた。