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トラウマ 3

 玄関を入ると右手に小さなキッチン、反対側がユニットバス。

 中は6畳くらいの一部屋だけで、シングルベッドがその半分を占拠している。

 カーテンのかかった開き戸の向こうは小さなベランダで、そこからマンションの裏を流れる川が見えた。

 ハンガーにかかった作業着が2枚くらいとTシャツがカーテンレールに引っ掛かっている。

 殺風景な男の子の部屋という印象だった。


 フローリングの床に座り込むのも変な感じだったので、あたしはベッドの縁に少しだけお尻を乗せて座った。

 彼は黙ったまま、キッチンに立ってお湯を沸かしている。

 お茶でも出してくれるんだろう。

 ヤカンを見つめる彼の横顔を眺めながら、あたしは自分がやっと若い男の子の部屋に押しかけてしまった事に気が付いた。


・・・ふしだらな女の子だと思ったかな。


 まさか平成のこの時代にそんな固いコト言う人はいないだろう。

 再会したのは8年ぶりだと言っても、知らない間柄じゃないんだから。

 そりゃ、キスまでだったけど。


 気が付かない内にブツブツと独り言を言ってたあたしの前に、突然、ヌッとコーヒーカップが差し出された。

 顔を上げると至近距離に本田君の顔がある。


「うっわあ!」


 びっくりしたあたしはベッドに仰け反りながら後ずさった。

 声を出さずに笑顔を作りながら、彼はあたしの隣に座ってもう一度カップを差し出す。

 インスタントの粉にクリープが入っているコーヒーだって、あたしにもすぐ分かった。

 まるで学生の一人暮らしだ。


「ありがと・・・」


 彼からカップを受け取って口にすると濃厚な甘さが広がった。

 冬並みの冷気で冷えた体に熱いインスタントコーヒーは五臓六腑に染み渡った。

 肩が触れ合いそうなくらい隣に座ってる本田君を感じて、あたしの胸は勝手にドキドキし始める。


 8年ぶりに会ったばかりなのに。

 あたしったら、何を期待してるんだろう。


 カップに口を付けながら、あたしは上目でこっそり本田君の横顔を観察した。

 中学校の時はまだ女の子みたいだった綺麗な顔が、シャープなラインを残したまま男らしくなっている。

 端正な横顔だけど、相変らずの青白い顔色に黒い髪がかかっているのが病的な印象だ。


 この部屋で一人で住んでいるんだろうか。

 ご飯はちゃんと食べてるのかな。


「・・・本田君、ここで一人暮らし?何の仕事してるの?」


 あたしの問いかけに、彼は口を開いてから、思い出したように照れ笑いを見せた。

 自分でも時々、声が出ないことを忘れているみたいだ。


 ジェスチャーで返事をするにはハードルが高い質問だった。

 玄関のドアの郵便受けから出張エステやらエロビデオ配達やらのチラシを引っ張り出して来て、その裏面に返事を書き始める。


『一人暮らし ここは派遣会社の寮 自動車部品工場の請負 オレは期間工』


「ちゃんとご飯食べてるの?自炊してるの?」


『しない 弁当ばっか』


「ダメじゃん。だからそんなに細いんだよ」


『生まれつき 食べても オレは太らない』


 彼はペンをクルクル回しながら、可笑しそうに笑った。

 尤も、それは顔の表情だけで、笑い声は出てこなかった。

 その代わりに、喉の奥から吐息のような呼吸が聞こえた。


「・・・ねえ、もう声出ないの?一生治らないの?」


 声のない彼の笑顔を見ているのが辛くて、あたしは思わずその質問をした。

 彼は少し目を伏せて考えた後、再びペンを走らせる。


『わからない 心因性のモノだから 首しめられて ころされかけたのがトラウマになってる 時々息ができなくなる』


 それを聞いて、あたしは背筋が寒くなった。

 そして、あの時の噂を思い出す。

 一週間、DV男の暴行され続けた15歳の本田君は声を失うほどの恐怖と苦痛を味わったに違いない。

 誰にも助けてもらえなくて、きっと絶望で声が枯れるまで泣き叫び続けたんだろう。


 彼の書いた後のチラシがどんどん増えて、ベッドに散らばっていく。

 あたしはそっと彼に体を寄せた。

 二人の肩が触れ合ったけど、彼は動かなかった。

 どうやら嫌がっていない事を確認してから、あたしはその端正な顔を両手で包み込む。

 目を伏せたまま本田君は抵抗もせず、されるがままになっていた。

 あたしは顔を近付けて、唇にそっとキスをした。

 でも、乾いた彼の唇は冷たくて固くて、そして、あたしを受け入れようとはしなかった。


「・・・どうして? 嫌だった?あたしの事、軽蔑した?」


 マネキンに口付けたみたいな無意味なキスにあたしは悲しくなった。

 彼は申し訳なさそうに、首を横に振る。

 そして、再びペンを手に取って、メモを書き始めた。



『オレできないんだ 期待にそえなくてごめん』



 目の前に差し出されたメモを見て、あたしは愕然とした。









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