トラウマ 2
マクドナルドの二階の窓から見える駅前の夜景は、風俗店のネオンだけが派手に光り輝いていてチープな事この上ない。
あたし達はそのシケた夜景を眺めながら、お互い無言でハンバーガーを食べ続けた。
彼が喋らないのは仕方がないとして、日頃お喋りなあたしが無言でいられるのは自分でも驚きだった。
思えば彼と付き合ったのは、中学時代のたった4ヶ月間だ。
その4ヶ月の間、あたし達は一緒にいてもお互い黙っていることが多かった。
あの頃、その沈黙が寧ろ心地良かった。
サイトで知り合った男性を前にすると、あたしは素の状態よりテンションが上がって喋り続けてしまう。
それは相手を喜ばそうと無意識にやっているあたしのパフォーマンスの一つだった。
喋っていないと飽きられる。
つまらない女だってバレてしまう。
そんな脅迫観念から、あたしのテンションは常に高かった。
だから一緒にいるだけで落ち着くなんて関係は今までになかったのだ。
今、目の前で黙ってハンバーガーを食べている本田君にパフォーマンスは無用だって分かってる。
中学時代のあたしを知ってる彼に見せかけのハイテンションは通用しないし、そんな事をしなくても彼はあたしを見てくれる。
そんな安心感をあの頃と変わらない彼の笑顔に感じていた。
10時の閉店を知らせに高校生バイトが二階に上がって来た時、あたし達は紙屑ばかりになったトレイをダストボックスに持っていきながら店を出た。
外に出た途端、真冬のような冷たい風が肌に刺さって、あたしは思わず身を竦める。
隣接する店舗のシャッターの前に黒いスクーターが留めてあるのを彼は黙って指差した。
「何?あれ本田君のスクーター?」
質問してやると、彼は自分を指差し頷いた。
キーを作業着のポケットから出すとそれをあたしに見せて、バイバイと言うように手を横に振った。
「えっ! もう帰るの? 久し振りに会ったのに?」
さっき、あたしの事まだ好きだって言ったばっかりなのに。
ご飯食べたらバイバイって、中学生じゃないんだから・・・。
あたしは驚きを通り越して、半ば憤慨して抗議した。
「何で?連絡先も聞いてくれないの?もう会うつもり無いって事?このままバイバイでもう会えなくてもいいってことなの?」
矢継ぎ早に詰問するあたしを見下ろして、彼は困った顔で唇を噛む。
口を開いて何かを話そうとはするのだが、出るのは溜息のような息の音だけだった。
本当に声が出ないのは見ただけで分かった。
でも、それとこれとは話が違う。
「あたしと会えて嬉しかったんでしょ?だったらもっと一緒にいてよ。まだあたし話してないこと一杯あるんだから。今からどっか他の店行ってもいいし、今日がダメなら他の日に会うとか・・・てか、携帯くらい教えてよ。とにかくこれでバイバイなんて認めないから!」
あたしは鼻息荒く言い切った。
これは嘘偽りない言葉だった。
あたしはまだまだ彼と別れたくなかったし、このまま二度と会えなくなるのは絶対に嫌だった。
彼は目だけ上を向いて少し考えてから、さっきのボールペンを胸ポケットから出して自分の掌に何かを書きつける。
困ったような少し照れたような顔で、彼は手をあたしに向ける。
『ウチくる?』
開いて見せた掌の言葉に、あたしはやっと納得してコクンと頷いた。
◇◇◇◇
パーキングから車を出して、あたしは前を走る本田君のスクーターの後をついて走った。
「ウチ」と言ったが、誰とどこに住んでいるか何も聞かないまま、あたしは彼の後を追っかけている。
喋れない事がこんなに不自由だとは思わなかった。
波乱万丈な彼の身の上を逐一紙に書いていたら、明日になっても終わらないだろう。
そのまま出版したら印税が入るかも。
この街に戻って2年って言った。
どうしてすぐにあたしに会いに来てくれなかったんだろう。
2年間、どんな生活をしてたんだろう。
前を走る彼の背中を眺めながら、あたしはアクセルを踏み続けた。
駅前の繁華街を抜けると静かな住宅街が広がっている。
田舎の駅前が栄えているのは半径1Km以内だけだ。
真っ暗になった住宅街の細い道路をスクーターは縫っていく。
やがて、彼のスクーターは2階建ての小さな白いマンションの前で停まった。
入居者募集の立て看板に書いてある不動産会社の名前を見て、ここが敷金礼金0のマンスリーマンションだと分かった。
僅かばかりのスペースの自転車置き場にスクーターを突っ込むと、本田君はあたしの車に向かって駆け寄ってきた。
窓から車を指差し、その後マンションの裏手を指差す。
裏側には歩道を挟んで川があるらしく、ガードレールの前には違法駐車の車がズラリと並んでいるのが見えた。
そこに停めろと言うことか。
案外、ジェスチャーで何とか通じるものだ。
あたしは妙なところで感心しながら車を移動させた。
彼の部屋は201号室。
つまり角部屋だ。
薄暗い電灯がついたコンクリートの廊下をあたしは本田君の後について歩いた。
彼は作業着のズボンのポケットからチェーンでベルトに繋がっているキーケースを引っ張り出した。
慣れた手つきで鍵を開けると、ドアを開いて、後ろにくっ付いていたあたしに手招きする。
「・・・お邪魔します」
恐縮しながら、あたしはドアを支えている彼の前を通って中に入った。