エピローグ
時は、2011年12月23日。
待ちに待ったこの日がやってきた。
病院指定の看護学校を今年の四月に無事卒業した準一は、そのまま大阪府内の市民病院に就職した。
医療分野の知識が全くないあたしは、正直、男が看護婦!?と疑問を抱いたが、年々増加の傾向にあるらしい。
特に、準一が入学した史上最悪の不況の年には、リストラされた若い男性の応募者が一気に増えたそうだ。
そういえば、今まで見向きもされなかった介護の現場にも、リストラされた男性が押しかけていると ニュースでやってたっけ。
生きてく為には、偏見もプライドも邪魔になるだけだと、あたしは妙に納得した。
そして、就職してから半年経った今、準一はいよいよ、あたしの家に挨拶に来てくれるのだ。
勿論、あたしの父親から結婚のお許しを得る為に、だ。
なかなか休みの取れない準一だったが、神様が味方してくれたのか、今年はクリスマスを挟んで3連休という都合の良さだ。
今夜は林家で父親とお酒を飲みながら「娘さんを僕に下さい」なんて言ってもらうべく、実家では宿泊の用意までしてあった。
駅前はクリスマスモード全開だ。
準一が乗っている新幹線は11時到着だった。
あたしは少し早めに家を出て、いつものコインパーキングに車を止めた後、ブラブラ街を歩いていた。
どこからともなく聞こえるクリスマスソングが、自然にテンションを上げてくれる。
準一と再会した運命のマクドナルド、苦い思い出のくだんの噴水。
あれから丸三年が経ったんだ。
思えばあの日、あたしがマクドナルドに立ち寄らなければ、準一と再会する事もなかった。
そういう意味では、当時不倫してたノブリンに金一封贈呈したいくらいだ。
あれから、彼からの連絡はプッツリと途絶えた。
「嫁にバレたらもう会えない」と最初から明言してた彼だから、やっぱり、バレてたんだろう。
それについては、少しあたしも同情した。
・・・奥さんに。
この三年間、準一は約束通り、あたしを寂しがらせなかった。
まめにメールをくれたり、時にはここまで会いに来てくれた。
でも、もうその必要もない。
これで、結婚すれば、あたしはこの街を離れて大阪に行く事になる。
色々としがらみの多かったこの小さな街とはもうすぐお別れだ。
・・・でも。
嫌な思い出ばっかりじゃなかったな。
この街であたしは準一と出会って、再会したんだ。
そう思うと少し寂しくなって、あたしは感慨深く街並を眺めた。
◇◇◇◇
小さな駅の改札で、あたしは準一が到着するのを待った。
電光掲示板では、準一が乗っている筈のこだまが既に到着している。
もう、出てくる頃かな、なんて思った矢先に、一斉に下車した乗客の群れが改札に押しかけて来た。
あたしは背伸びして、その中から準一の姿を探す。
デジャブのようなシチュエーションに、あたしは可笑しくなった。
その時、第一弾の乗客の群れから少し離れて歩いてくる、懐かしいシルエットが目に入った。
それは、確かにあたしの捜し求めていた準一だったんだけど、いつもと違った雰囲気にあたしは目を疑った。
お馴染みのダウンジャケットにジーンズ姿ではなく、今日は黒のスーツに品のいいストライプのネクタイを着用している。
シャレっ気の無い髪は短くなってて、何とワックスで今風の若者っぽくセットされてる。
3年前より、少し体格もよくなった準一にスーツ姿は良く似合っていた。
そのまま営業にいけそうなカッコ良さだ。
彼はビジネスマンよろしく、ケータイを片手にキョロキョロ構内を見回しながら、こちらに向かってくる。
その視線が、あたしを捕らえて、相変らずの黒い目が大きく見開かれた。
嬉しそうな顔で改札を飛び出すと、あたしの元に駆け寄ってくる。
あたしも思わず駆け出して、向かってきた彼に抱きついた。
「久し振り!準一!会いたかった!」
抱きついたあたしの手を、彼は返事の代わりにギューっと握り締める。
営業マン風の準一は、あたしを抱き締めて優しく微笑んだ。
最後に会ったのは3ヶ月も前で、今回は久し振りの再会だったのだけど、のんびりしていられない。
何しろ、結婚の申込みという最大の難関を、今夜、準一に越えてもらわなければならないんだから。
「スーツで来るとはいい覚悟じゃん?今日はお父さんとゆっくり話せるように、泊まってっていいからね」
そう言ったあたしに、準一は少し青褪めて硬直する。
ケータイのメール画面に素早く文字を打ち込み、あたしの目の前に突き出した。
『分かっている もうすでに緊張していて パニックになりそうだ これ以上 脅さないでくれ』
「大丈夫よ。今日は皆で夕ご飯食べる事になってるんだ。お父さんとお母さんと、お兄ちゃんとその奥さんと子供も来るから、よろしくね。皆、準一の事、待ってるよ」
『ハードル 上げないでくれ 最初より 人数増えてるじゃないか 』
「だって、博史も奥さんも結婚したら親戚だし、準一の事、見たいって言ってるからさ」
『オレは見世物ではない 久し振りに発作が起きたら どうする』
一々、ケータイで文字を打つ彼に、あたしは可笑しくなる。
だって、準一はもう喋れるようになってるんだから。
「ねえ、どうして喋らないの?」
『ミユキと話す時は この方が 落ち着く それにオレは自分の声が好きではない』
「そんな事ないよ。準一の声はかっこいいって。難点は若干あるけど」
準一は眉間に皺寄せて、あたしを見下ろした。
「ほらぁ、ミユキかって、オレは喋らん方がエエって言うたやん」
・・・関西弁。
今までの彼のイメージからかけ離れたその口調に、あたしはまた吹き出した。
言語訓練やら、心療内科やら、カウンセリングやらの効果か、準一はこの3年間でハスキーながらも人並の声で話せるようになった。
一番の効果は勿論、セックスと殺されかかった事に対するトラウマが薄れた事、そして何より、彼が自分から治そうと前向きに努力した為だった。
ところが、感動的な筈の初めての会話で、彼がいきなり関西訛りで話し始めたものだから、あたしは大笑いしてしまったのだ。
「・・しゃーないやん。大阪在住歴長いねんから。同居してる敬一もムッチャ訛ってるし。そら、うつるよ」
そう言って、彼は不貞腐れて頭を掻いた。
話すほどに面白い、生真面目準一の関西弁にあたしは必死で笑いを堪える。
「いや、変じゃないよ。ただ、今までとのギャップが激しすぎて慣れないだけ。そんな準一もかっこいよ」
『無理して褒める必要はない オレは やはり ミユキとはこの方がいい』
完全に凹んでしまった準一は、またケータイに文字を打ち込み、あたしに見せた。
クリスマスソングが鳴り響く駅の構内を横切って、あたし達は思い出のマクドナルドに入った。
3年前に再会した時と同じように、ハンバーガーセットの載ったトレイを二人分持って、あたし達は二階の席に座った。
準一は嬉しそうに胸ポケットからペンを出すとクルクル回してから、トレイの上に載ってる広告にサラサラ書き始める。
『やはり この方が落ち着く ペンを持ってる事が落ち着くみたいだ』
「・・・変らないね、準一。これからあたしと結婚するのも気が変らない?」
準一は自信有り気に、大きく頷いてみせる。
『もちろん 変らない 二人で住むアパートも 大体決めてある 君さえよければ もう いつでも結婚できる』
「・・・その、二人で住むアパートだけど、さ。もう一回探してくれる?もう少し大きめの所を、ね」
しどろもどろに言ったあたしに、準一は、えええ!?とばかりに怪訝な顔をする。
そりゃ、そうだ。
あたしだって、そのアパートで良いって同意したばっかりだった。
確かにそこで良かったんだ。
想定外の事が発覚するまでは・・・。
意を決して、あたしは顔を上げた。
「準一、あたしね、妊娠してるんだ。準一の赤ちゃん。だから、もう少し大きい部屋、お願い」
準一は一瞬、大きな目を見開き、ポカンとしてあたしを見つめた。
やがて、その顔が嬉しそうに緩んで、細めた目から涙が零れ落ちる。
何も言わなくても分かる。
準一は喜んでる。
それが嬉しくって、あたしの目からも涙が溢れ出した。
「ね、あたし達もう、迷子の子供じゃないんだね。パパとママになるんだから」
あたしは彼の大きな手を取って、きゅっと握り締めた。
「準一、あたしの事、好き?」
返事の代わりに、準一は両手であたしの手を包み込んで、ギューっと握り返す。
「大好きって事?」
泣き笑いしながら、準一はもう一度、力強く握り返した。
クリスマスソングの鐘の音が、あたし達をお祝いしてくれてるみたいに店内に鳴り響いた。
Fin.
ここまで読んで下さった方々、ありがとうございます。
メリークリスマス&良いお年を!