その瞬間 2
人目も憚らず、無我夢中でお互いの体を抱き締めあった後、準一は改めてあたしの顔を見つめた。
変わらない優しい眼差しに、あたしも思わず微笑み返す。
「イ・コ・ウ」
声のない声で準一はあたしの手を引いて歩き出した。
「ちょっと、待って!行こうってどこ行くの?」
準一はあたしの問いに、立ち止まってケータイのメール画面を開いた。
ノートに書き殴る代わりに、今日はケータイに文字を打っていくつもりらしい。
持っていないと言っていた割には、思いのほか慣れた手つきで、彼はケータイに文字を打ち込んでいく。
『名古屋駅から徒歩五分 ビジネスホテル ネットで予約した 今からチェックインできる ミユキとゆっくり話したい』
ケータイからネットで予約!?
彼だって平成に生きる若者なんだから、そのくらいできるのは当然なんだろうけど。
今までアナログなイメージだった準一が、意外にネットも使い慣れてる事にあたしは少しビックリした。
しかも、今まで直筆で書いてたセリフが、液晶画面にデジタル化されて表記されるのは何とも不思議な気分だ。
ワープロみたいな固い文字に、ロボットが喋ってるみたいな印象すら受ける。
あたしがマジマジと顔を見上げるので、勘違いした準一は顔を赤らめた。
『ホテルというのはそういうためではない 泊まるわけではないし 今日はあまり時間がない だから少しでも長く二人きりでいたいから 』
「・・・もう、どこでもいいよ」
勿論、依存はない。
少しでも長く彼に触れていたかったのは、あたしも同じだった。
彼も同じ事を思ってくれていたのが嬉しくて、あたしは彼の腕に巻きついた。
途端に、グウっとお腹から変な音がした。
「・・・ごめん、その前にお腹減った」
『オレも』
準一は笑って、地下のレストラン街の中の『味噌煮込み専門店』を指差した。
◇◇◇
駅に隣接している目立たないビジネスホテルで、あたし達はチェックインした。
観光目的のホテルではない為、外観も内装もシンプルだった。
受付をした女性も実務的で、事務所のOLのような制服だ。
フロントで準一にチェックインに必要な事項を書かせて、キーを渡すと「ごゆっくり」と業務的に言った。
ラブホとはまた違った雰囲気のビジネスホテルに、あたしはキョロキョロしながら準一の後をついて行く。
彼が予約したのはダブルの部屋だった。
ダブルベッドが敷地の半分を占拠している白い部屋は、彼と過ごしたあのマンスリーマンションを思い出させた。
暑いくらいに暖房の効いた部屋で、あたし達はまずダウンジャケットを脱いで、壁に掛かっていたハンガーに吊るす。
どちらともなく、あたし達はいつものようにベッドの縁に並んで腰掛けた。
見覚えのあるパーカーにジーパンの準一は、以前よりは多少肉付きが良くなった気がした。
今、悪い暮らしはしていない。
血色の良さからも、あたしはそう感じてホっとした。
準一は、ビジネスホテルらしく部屋に設置されていたデスクにメモ用紙とペンがあるのを発見して、嬉しそうに飛びついた。
お得意のペン回しを早速始めて、メモ用紙にサラサラと書き始める。
『改めて 久しぶり 元気だった?色々あやまりたかった あの時 ミユキを否定してしまったこと 急にいなくなったこと 何も連絡しなかったこと オレは君から逃げてた ごめん』
「いいの。もう、いいの。あたしこそ、お給料差し押さえたりしてゴメン。あたし、準一の事、年末からずっと探してたの。これしか方法なかったんだ。今、電話のお兄さんの所にいるの?」
『そう 敬一はオレの母親の最初の結婚の息子 子供の頃から時々会ってた 今 彼のところにおいてもらってる どうして オレのこと 探してくれたの?』
「どうしてって・・・好きだからに決まってるじゃない。準一こそ何でこんなとこまで来てくれたのよ?」
『ミユキが好きだから 』
準一は照れ臭そうに笑って、ペンをクルっと回した。
「ねえ、こっちにはもう帰ってこないの? このまま大阪のお兄さんのところにいるつもりじゃないでしょ? 良ければ、その、あたしと・・・」
・・・一緒に暮らそう?
最後の一言を言うに少し躊躇して、そこで言葉を濁す。
彼さえ良ければ、あたしが家を出てアパートを借りてもいいと思っていたのだ。
しがないOLと無職の準一だけど、二人で頑張れば、何とかやっていける。
これから、また離れ離れになるのは耐え難い事に思われた。
語気が弱くなった言葉の先を察したように、準一は黙って首を横に振った。
少し考えるようにペンをクルクル回した後、書き綴ったメモ用紙をあたしに見せる。
『気持ちはありがたい でもオレ男だから ミユキの世話になるわけにはいかない それにオレね 四月から専門学校に行くことに決めた この先2年間 大阪で敬一のとこに住まわせてもらうことにしてる』
「えええっ!!!? ちょ、ちょっと待ってよ! 聞いてないよ、そんなの!」
あたしは思わず立ち上がって準一のパーカーの襟を掴んだ。
せっかく会えたのに。
もう離れたくないのに。
この先、2年も会えないなんて酷すぎる。
準一は落ち着いた顔で、襟首にかかったあたしの両手をそっと掴んだ。
そのままぐいっと引き寄せられたあたしは、彼の膝の上に跨る格好で抱き締められた。
目の前にある準一の顔が優しくあたしを見つめて、そして、あたしの長い髪をかき上げると耳元に頬を寄せた。
首筋に彼の熱い息がかかって、あたしは思わずドキっとする。
耳元に寄せられた唇が、確かにこう動いた。
「ダ・カ・ラ・ケ・ッコ・ン・シ・ヨ?」