捜索 1
「すいません!教えて欲しいことがあるんですけど。」
あたしはさっき出てきたばかりのマンションのドアを乱暴に開けて、中に向かって怒鳴った。
部屋の中からさっきの女性がピョコっと顔を出し、またか、とうんざりした顔をする。
その反応は想定の範囲内だったので、あたしは怯むことなく、今度は靴を脱いで部屋の中に上がり込む。
「まだなんか用ですか?」
心底面倒臭そうな返事だったが、そんな事構っていられる余裕はあたしにはなかった。
「あの、どんな事でもいいんです。彼がどこに行ったのか、手掛りないですか?誰か、仲のいい友達がいるとか、一緒に派遣切りにあった人とか。あたし、彼をどうしても探したいんです。お願いします」
そこまで一気に言い切って、あたしは女性にペコっと頭を下げた。
若いバカ女にしては謙虚な姿勢だと思ったのだろうか。
女性は少し表情を和らげて、あたしを見た後、腕を組んで考え込む。
「私達って派遣会社のスタッフだから、現場にいつもいる訳じゃないのよ。彼は口が利けなくて何かと不自由だったから印象深いんだけど、交流関係まではねえ。仕事も真面目だったし、職場の人間関係は良かったと思うけど、この時期に頼れる程の親密な友人がいたかどうかは分からないわ」
「でも、彼、昨日出て行ったんでしょ?誰かの所で泊まってなかったら、今頃どこにいるんですか?」
「知らないわよ。この年末にかけて全国的に解雇されたホームレスが増えるんだから。あ、もしかして、名古屋に行ったんじゃない?」
「名古屋!?」
あたしは名古屋と聞いて、朝、目を通してきた新聞記事を思い出した。
年越し派遣村なる一時的な避難所が名古屋に何箇所かできているらしい。
今朝のTVのニュースでもやってたっけ。
ボランティアの炊き出しに行列になって待っている無職になった人々の群れ。
でも、考え深い彼がいきなりマンションを出て、知らない人々の群れの中に飛び込んでいくとは思えなかった。
「・・・でなけりゃ大阪?彼、大阪の夜間高校卒業してから、こっちに来たのよ、確か。向こうに誰か親戚でもいるんじゃないかしら」
女性はハタ、と思い出したように言ったが、あたしはそれだけは在り得ない事を知っていた。
大阪には彼のお母さんがまだいる筈だ。
わざわざここで仕事を始めたのは、大阪を離れたかったからに違いない。
仕事が無くなったからと言って、彼が帰っても受け入れてくれるような家庭ではなさそうだ。
あたしが黙っていたので、彼女は再び考え始める。
「・・・でなけりゃ、漫画喫茶?最近、一晩中いられるネットカフェとかで家出少年が長期滞在してるじゃない。彼も遠く行ってなけりゃ、その辺のネットカフェに潜伏してるかも」
「それじゃ、ホームレスじゃないですか」
「ホームレスよ」
彼女は最後にキッパリと言った。
「経済的に自立してる後見人もいない、仕事もない、収入がない、それじゃまず住居は手に入らないわ。人間って生きてるだけでもお金が要るのよ。屋根があるところで寝ようと思ったら、収入がなくちゃ。今の彼は多分、何も無いと思うの。現実的に考えて、ネガティブな方面もシュミレーションするべきね」
厳しいけど、現実的な彼女の言葉にあたしはグゥの音も出ない。
あたしだって、仕事辞めちゃったらどうなるんだろう。
収入のある家族の家にいるから、のんびりしてられるんだ。
準一はそんな時に頼れる人は誰もいない。
黙り込んだあたしを彼女は見て、少し優しい顔で言った。
「年内に人員募集する企業はもうないわ。始まるとしたら年明けだけど、今年はどうなるか分からない。失業保険の申請には必ず行く筈だから、職安で見張ってたら確実かもね。それより、あなたも会社員でしょ?無断欠勤するとクビ切られるわよ。今年はどの業界も業績悪いんだから。彼が見つかった時にあなたが無職になってないように仕事は大事にしたら?」
派遣会社のスタッフらしいお言葉に、あたしは大人しく納得してコクンと頷いた。
その態度が気に入ってもらえたのか、彼女は制服のポケットから会社の名刺を取りだし、あたしに手渡す。
「あなたのケータイも教えて。もし、彼がこっちに電話くれたらあなたにすぐ連絡するから」
そう言って笑ってくれた彼女は、意外に綺麗だった。
◇◇◇◇
彼女に別れを告げた後、猛ダッシュで職場に向かって走り、9時ジャストに何とか到着する事ができた。
彼女の言う通りだ。
彼を探すのも大事だけど、自分がまず自立していなければ。
いい年した二人が子供みたいに無職で路頭に迷う訳にはいかない。
家出したあたしを彼が温かく迎え入れてくれたように、今度はあたしが迷子になった彼を受け入れるんだ。
その為には自分がしっかりしていなければ。
年末に向けて大した仕事はなかった。
が、準一と一緒に生きていくという目的を持ったあたしには、今までのつまらない仕事が急にやりがいのある事に思われた。
つまらないけど、仕事をすれば、お金が入る。
それはつまり、生きていく力を得ていくという事なんだ。
今まで、お金を使う目的もなかったあたしには気付くことができなかった労働の意味。
働くって、誰かの為、生きてく為なんだ。
そう思うと、何故かすごくやる気が出て、あたしは汚れたパソコンの液晶画面を拭いたりしてみた。
仕事が終わると、いつも通り定時に飛び出したあたしは市内の職業安定所に足を伸ばした。
まだ失業も転職もした事のないあたしには、入り口で入り切れずに群がる無職になった人々の姿は衝撃だった。
この年末をどこで過ごせばいいのかと、ヤクザみたいな形相で職員に凄んでいる人も少なくない。
庁内の喧騒の中、あたしは小走りに一回りして彼がいないのを確かめると、そのまま立ち去った。
彼が現れるとしても、いつ来るかは分からない。
かと言って、仕事を放り出して一日中ここで待ち伏せしている訳にはいかなかった。
次にあたしは駅前に何軒かある漫画喫茶なる場所に足を運んだ。
マンガなんか長いこと読んでないあたしにはその存在意義が良く分からなかった。
どうして、お金を払ってまでマンガを読みたいのか。
そもそも、勉強嫌いで、活字を読む習慣のないあたしが、マンガだろうが本だろうが読む筈がない。
・・・いや、準一なら行くかも。
物静かで頭の良さそうな準一は意外にマンガ喫茶の雰囲気に合っているかもしれない。
そう考えて、何軒か回ったみたが、彼はいなかった。
後、考えられるのは、友人の所に転がり込んでいる事。
それが一番有力候補だとは分かっていたが、だとしたら、あたしに探す手掛りは全くない。
電話も持っていない彼の交友関係を、あたしが知る由もなかった。
今更ながらに、ケータイを持たせておかなかった事を後悔する。
まだ、仕事もしてて住所もあったあの時なら、即日手に入っただろうに。
仕事も定住所もなくなってしまった彼に、ケータイを新規契約する事は非常に困難に思えた。
・・・じゃあ、どうする?
よほどの奇跡的な偶然が起こらない限り、準一と再会できる可能性はなさそうだ。
真っ暗になった夜の駅前を、あたしは必死で考えながらトボトボ歩いて家路についた。




