迷子 2
再び眠りに落ちたあたしが目を覚ました時、そこは病院だった。
真っ白な天井に、パーテーション代わりの白いカーテンに囲まれた小さなベッド。
頭の上からぶら下っている透明の液体が、チューブを通って、あたしの腕に注入されている。
どうやら、点滴を打たれているらしい。
足元を見ると、折り畳みのパイプ椅子に腰掛けてまま、変な姿勢で眠りこけている博史の姿があった。
カーテンの外では看護婦さんと思しき女性達の声と、バタバタ歩き回る足音がひっきりなしに続いている。
救急外来に連れて来られたようだ。
考えたら今は土曜の夜で、普通の病院では診て貰えなかった筈だ。
博史は疲れて口を半開きにしたまま、時々カクンカクンと揺れながら眠っている。
あたしは柄にもなく感謝の気持ちを持って見つめた。
「・・・博史、起きて」
小さな声であたしが呼ぶと、彼の体が一瞬、ビクンと揺れた。
ガバっと反射的に立ち上がると、博史は体を起こしたあたしに気が付き、表情を緩める。
「大丈夫か? 今、点滴やってるからもう少し寝てろ。医者が言うにはインフルエンザだそうだ。前から体調悪かったのか?」
「ううん。今日噴水で水浴びしたから、それで多分・・・」
「は? 噴水で水浴び!?」
あたしの言葉に博史は眉を寄せた。
説明するには話が長くなりそうなので、あたしはまたベッドに体を横たえた。
博史は椅子を持って、あたしの顔が見えるところまで移動して座った。
「言いたくないなら聞かねえけど、今までどこにいたんだよ? 男のとこか?」
「・・・うん、まあ。そんなとこ。嫌われちゃったけど」
責める風でもない彼の口調に、あたしも案外素直に返事をした。
博史はあたしが真っ当に返事したので、もう少し突っ込んだ。
「彼氏か? 別れて追い出されてきたワケ?」
「・・・まあ、そんなとこ。もう会えないの」
そう言った途端に準一の顔が浮かんできて、あたしの目頭が熱くなった。
泣き顔を見られたくなくて、慌てて掛け布団を引っ張り上げたけど、博史には気付かれてしまった。
慰めてくれるつもりなのか、彼にしては珍しく優しい口調で、布団の上から話しかけてくれる。
「ま、そんな事もあるさ。点滴終わったら家に帰ろう。ツッパるのもそろそろ潮時じゃね?」
「・・・あたし、サイテーだね。バカみたい。一人じゃ何もできなかった。お父さんに迷惑かけて、博史に迷惑かけて、準一を傷付けて・・・子供みたいに皆を振り回しただけだった」
準一?と博史は一瞬、首を傾げたが、彼の名前だと察したのか突っ込んではこなかった。
「・・・いいんじゃない?自分が子供だって悟っただけでも、この一週間は有意義だったな。ま、お前だけじゃなく、俺も含めて誰でも子供なんだよ。一人じゃ生きていけないんだから。だからこそ、家族はお互い助け合うべきだと、俺は思うわけ」
優等生らしい博史の説教は、不思議とあたしの頭に入ってきた。
自分が一旦、家を出たら、ご飯もまともに作れない事実を身を持って経験してしまった。
あたしには守ってもらえる家族がいて、帰るべき家がある。
当たり前だと思っていたその事実が、実はとてつもなく貴重で神に感謝するべき事だって思い知った。
・・・何故って。
守ってもらえる筈の親から酷い事されて、帰る場所もなく、一人で生きていかなければならない人もいるんだから。
準一のヤケドだらけの細い体が目に浮かんだ。
あたしはどれだけ恵まれて、ぬるま湯の中でのうのうと生きていたんだろう。
帰るべき場所も、守ってくれる人もいない準一の境遇を思えば、あたしは幸せ者だったんだ。
できる事なら。
あたしが、彼を守ってあげたかった。
でも、それはできない。
準一はもう、あたしを受け入れる事はできないだろう。
ギュっと瞑った両目から涙がポロポロ溢れてきて、あたしは顔を覆った。
声を殺してしゃくり上げるあたしの頭に博史の温かい手がポンと置かれる。
その手があたしの髪をクシャっと撫でてから、低い声がした。
「・・・まだ寝てろよ。俺、一服してくるから。点滴終わったら帰るからな。父さんの事は心配するな」
・・・ありがと、博史。
自分のふがいなさと情けなさ、そして大事な人を傷つけ失ってしまった事に、あたしはひたすら泣き続けた。