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パニック 2

 準一はペンを手が白くなるほど強く握り締め、ノートに濃い字で書き殴っていく。

 まるで、自分の心に抱えている怒りや悲しみをぶつけるかのように。

 鬼気迫るその様子をあたしは体を硬くしてじっと見守っていた。

『近寄るな!』というメッセージが、彼の体全体から発せられているのを感じた。


 まだ苦しいのか、肩で大きく息をしながら準一は上目遣いであたしを見上げた。


『あいつの言ったことは本当だ オレは母から強要されて 大人の相手をしてた オッサンだったりオバサンだったり 誰とでもした その最中に なぐられたり 首しめられたり 熱湯かけられたり 何度も死ぬかと思った』


『SEX=暴力 死ぬ 恐怖 オレの頭の中でリンクしてしまう トラウマからくるパニック障害だって診断された あの時から声も出なくなった オレは普通に恋愛できない』


『発作がひどくなると 呼吸できなくなる 何してるかわからなくなって あばれて ケガさせたこともある 自分がいやで 何度も死のうとしたけどダメだった 体のヤケドのアト見ると 昔のこと思い出す それでまた死にたくなる オレはもう壊れてる』


『ミユキはオレのこと知らないから 好きだって言える でも そのうち絶対イヤになる オレはミユキの期待にそえないし 普通じゃない いつ発作がきて たおれるか分からない 自殺してしまうかもしれない』


 彼の心の内を吐き出すような激しい文章に、あたしは絶句する。

 言いたい事だけを書き殴っていく文章は、少しの嘘も込められていない。


 そこまで目を通して、あたしは準一を見つめた。

 絶望的な彼の瞳に涙が浮かんでいる。

 傷ついた少年みたいな準一を抱き締めてあげたかった。

 でも、彼を傷付けたのは、紛れも無くこのあたしだった。

 思わず、触れようとしたあたしの手を彼はパン!と振り払った。


『ミユキはどうしてそんなことしてた? オレは好きでもない相手とするのは 死ぬほどいやだった どうして遊びでそんなことができる? 金欲しさでないなら オレには理解できない 』


 彼の言葉はあたしの胸に突き刺さった。

 裏切られた彼の黒い瞳は、潤んで強い怒りの火が灯っている。

 もう弁解できる余地は残されていなかった。

 普通の男の子だったら、「もうすんなよ」で済んだ話だったかもしれない。

 準一は汚れたあたしを受け入れるには、純粋で傷つき過ぎていた。


「・・・ごめんなさいって、言ってもしょうがないね。あたしの事もうキライになった?」


 小さな声で問いかけたあたしから、彼は目を逸らした。

 それが彼の正直な気持ちだ。

 あたしは心臓がギュっと掴まれるような息苦しさを感じた。


『分からない オレは君を抱けない それがつらいし 君はそれがイヤになる オレも君をうけいれられるのか 自信がない いいたくないけど 今でもオレは母をゆるせない』


 唇を噛み締めて、準一は辛そうな表情であたしを見た。


 彼が言いたいことはよく分かったし、バレたらこういう結末になる事は予想していた。

 トラウマの一因になってる彼の母とあたしは似過ぎてて、下手をすると、あたしが彼のパニック発作の引き金になってしまうかもしれない。

 純粋な彼の恋人になるには、あたしは汚れ過ぎている。

 そんな事は分かってた。


・・・分かってたけど。


 あたしの頬に涙が再びポロポロと零れ出した。


 二人で一緒にいた短い日々があまりに穏やかで、もしかしたら、何も云わずにずっと一緒にいられるんじゃないかって、錯覚してしまっていたんだ。

 中学校の時に別れてからの空白の8年間は、あたし達をあの頃には戻れないくらいに変えてしまっていた。

 最初からあの頃に戻るなんて無理だったのかもしれない。

 汚いものの上に蓋をして、気が付かないフリをしたまま、その上で平穏に暮らそうなんて虫が良過ぎた。


「・・・いいよ。分かった。あたし達、やっぱり無理だね。今までありがとう。もう会わないから、安心して。体に気をつけてね」


 涙を拭きながら、あたしははだけたジャージの胸元を閉めた。

 立ち上がって、途中まで引き摺り下ろされてるズボンをお腹までグイっと引っ張り上げる。

 さっきまで忘れていた寒さが突然襲ってきた。

 彼の心が離れてしまったその隙間に、風が吹き込んできたみたいに。


 ノロノロと立ち上がって、来た時に持ってきたスポーツバッグを手に取った。

 職場の制服を中に突っ込んでジッパーを閉めると、他にする事は何もなくなった。

 後は潔くここから出て行くだけ。


 準一は黙ってあたしの行動を観察していたが、本気で出て行くつもりなのが分かると、少し顔を曇らせてペンを回した。


『出て行って どこにいくの? 家に帰る?』


「大丈夫。準一は何も心配しないで。それより自分の事、大事にしてね。準一は何も悪くないんだから。きっと治るから、自殺なんて絶対しちゃダメだよ」


 無理矢理作った白々しい笑顔。

 半泣きで、声は震えていたけど、あたしは何とか餞別の言葉を口にした。

 準一は少し躊躇うように視線を泳がせたが、やがて唇を噛んで俯いた。


 それでいい。

 傷ついた準一の心を癒してくれる女の子は、あたしじゃダメなんだ。


「準一、元気でね。中学校の時、助けてくれて嬉しかった。この一週間楽しかった。さよなら!」


 あたしは狭い玄関のドアを押し開け、マンションから飛び出した。







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