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同居 1

 準一は駅前に停めっ放しのスクーターを取りに行くからと、バス停に向かって去っていった。

 車で送ろうかと言ったあたしの申し出は断わった。

 女の子の車で送られたくないというプライドを持っているのかもしれない。

 そう思って、あたしもしつこく言うのを止めた。


 久し振りの徒歩デート。

 今まで知らなかった彼の事が少し分かったのと、ついでに自分の気持ちも分かってしまった。


 楽しかったね。

 明日も会いたいよ。

 

 そんなありきたりな会話さえもできないあたし達だけど、その時、あたしの心は不思議な程満たされていた。

 無言のまま手を振って去っていく彼の細長い後姿を、見えなくなるまであたしは目で追いかけた。



◇◇◇◇



 築20年、木造2階建ての自宅が見えた時、時刻は6時近かった。

 冬至前の真っ暗な空には既に星が瞬いている。

 強くなってきた風が顔を突き刺して、あたしはポケットに両手を突っ込んだまま、家に向かって駆け出した。


「ただいま・・・」


 小さな声で一応そう言ってから、あたしは玄関に入る。

 その途端に、カレーの匂いが鼻を掠めて、あたしは自分が空腹だったのを思い出した。

 今日はカレーか、なんて考えながらスニーカーを脱いでいると、背後に人の気配がした。


「美由紀、ちょっといらっしゃい。お父さん、話があるって・・・」


 背後にやってきた母親が話し出すのと、ビックリしたあたしが振り返るのは、ほぼ同時だった。

 ジャストタイミングでそこに立ってたという事は、あたしが帰ってくるのをずっと待ってたんだろう。

 そう言えば、確か出かける時も話があるとか言いかけてたっけ・・・。

 嫌な予感を感じつつ、あたしは眉間に皺寄せて母親を見上げた。


「えー、何、話って?あたし、お腹空いてんだけど?今じゃなきゃダメ?」

「ダメ。お父さん、もう昼から家であんたが帰ってくるの待ってたんだから」

「はあ?昼から?」


 何の話か知らないけど、娘の帰りを6時間も自宅待機で待ってたなんてよっぽど暇なオヤジだ。

 重役なんて、大して仕事持ってないのかもしれない。

 お腹は空いていたけど、母親ののっぴきならぬ表情に気圧されて、あたしは渋々父親の待つキッチンに向かった。

 昨夜、あたしが博史と言い争ったダイニングテーブルに、博史が20年くらい年取った風貌の父親が苦虫を潰したような顔で座っていた。


・・・何かがあったに違いない。


 いい話な訳が無い。

 あたしはこっそりとキッチンを通り越して、二階の自分の部屋に向かおうとした。

 その時。


「美由紀!待ちなさい。話があるから、ここに座りなさい」


 既に怒りを含んだ父親の低い声が廊下に響いて、あたしは諦めて溜息をついた。


「何か用?」


 仏頂面でキッチンに入ってきたあたしを、父親は負けないくらい不機嫌な顔で睨みつける。

 そして、黒い携帯電話を開きながらあたしの前に突き出した。

 その画面を見て、あたしは青くなった。

 そこには駅前で男と抱き合ってキスしてるあたしが、ハッキリ写っていたのだ。

 父親はあたしの反応を見て、更に不機嫌な顔で詰問を始めた。


「これはお前なのか、美由紀?この写真はお父さんの携帯電話に匿名の人間が写メールで送ってきたものだ。娘さんは売春してますって御丁寧にメッセージまで付いていた。お前は毎晩、遅くまで遊んでいるらしいが、こういう事を本当にしているのか?」


 父親の話を聞きながら、あたしは懸命にこの男の事を思い出そうとしていた。

 確かノブリンと付き合う前に、駅前でナンパされてホテルに行ったオタク男だ。

 ブラブラしてたら声掛けられて、全く好みじゃなかったから5万円って吹っかけてやったのにアッサリ快諾した、金だけは持ってた男だった。

 誰かが嫌がらせに撮ったに違いないが、売春をしていた事実は事実なので言い逃れもできなかった。

 あたしは唇を噛み締めて、黙って写真を睨む。


「・・・だったら、何?相手だって大人だよ?合意の上なら問題ないじゃん。お金貰ったかどうかなんて、誰が立証できるの?それとも、誰かがお金貰うとこまで見てたの?」


「・・・誰かが見てたんだろうな。しかも、お父さんの会社の人間だ。この写メールはお父さんの部署の人間全てに送られてきたんだ。でも、問題はそこじゃない。お父さんが知りたいのは、お前がこういう事を本当にしているかどうかだ」


「だから、関係ないじゃん?お父さんだって、娘が売春してたかどうかより、自分が恥かいた事が問題なんでしょ?そんな事、ほっといてよ!」


「やってないって言えないのか?」


「何でそんな事、言わなきゃなんない訳?」


 その途端に左頬に衝撃が来て、目の前がチカチカ光った。

 何が起こったのか分からなくて、あたしは椅子の背もたれに掴まってよろける体を支えた。

 さっきまで座っていた父親が、鬼の形相で立ち上がって右手を振り上げている。

 その手はブルブルを震えていて、あたしはやっと頬に熱と痛みを感じ始めた。


 お父さんがぶった。

 その事実に気が付くのに時間がかかった。


「お前はどうして・・・。いい年して何やってるんだ!?何が不満なんだ?そんなに金が必要だったのか?」


「・・・あたしもう子供じゃないんだから。何をしようと勝手でしょ?どうせ、あたしなんかバカでしょうもないOLで、さっさと出てけって思ってるくせに!」


 父親の怒涛の迫力に気圧されながらも、あたしは必死で反撃した。

 でも、軍配は完全に彼の方に上がっていた。

 そもそも彼の言う事の方が正当で事実なんだから。

 初めてされた平手打ちのショックで目頭が熱くなって、視界がぼやけてくる。

 あたしは最初の涙の一粒がこぼれない様に、ゴシと腕で顔を擦って怒鳴った。


「もういい!出てけばいいんでしょ?あたし、この家から出て行くから!」


 完全なるノープラン状態で、あたしは瞬時に家を出る決意をした。




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