過去 3
あたしはしばらくの間、準一の体に両腕を巻き付けてしがみ付いていた。
彼も嫌がりもせず、黙ってされるがままになっていた。
彼の胸にくっついたあたしの耳に、熱と鼓動が伝わってくる。
時が止まったみたいな静寂の中で、あたしはただ、彼の体温を感じていた。
やがて、団地の一階の一室から子供の手を引いた女性が現れ、抱き合っているあたし達をギョッした顔で見たので、彼は真っ赤になって慌ててあたしの体を押し返した。
今だに中学生みたいな彼のリアクションに、あたしは泣きながら笑って、嫌がらせのようにまたしがみ付く。
「照れる事ないじゃん?あたし達、付き合いだしたんでしょ?」
『ゴメン オレは慣れてない まだはずかしい ミユキはモテるだろ?』
「え、あたし?」
突然、自分の事に触れられて、今度はあたしがギクっとして退いた。
男には慣れてるけど、モテるかと言えば違う気がする。
真剣に告白された事なんか今までなかったし。
相手から言われて、まともに恋人として付き合う事になったのは、これが初めてかもしれない。
つまり・・・。
「・・・モテなかった。準一くらいだよ、あたしが好きだなんて言ってくれる物好きなのは」
ブスっとして頬を膨らませたあたしを、彼は何故か嬉しそうに笑って引き寄せると、来た時のように手を握って歩き出した。
「・・・もう、いいの? ここ来て、気が済んだ?」
手を引っ張られながら、先を歩く準一の背中にあたしは問い掛ける。
彼は、「ダ・イ・ジョウ・ブ」と唇を動かし、親指を立てた。
何が大丈夫なのかよく分からないけど、彼の心の中で何かが整理できたんだろう。
彼の背中に、来た時には無かった自信のような強さが感じられた。
・・・こんなあたしでも、彼の支えになれたのかな?
自惚れだったかもしれないけど、あたしはそう思って嬉しくなった。
冬空の下、あたし達は手を繋いで寄り添って歩いた。
彼に触れている肩や手はとても温かくて、冷え切ってたあたしの心までほんわりと心地良い。
・・・もっと、彼を近くで感じたい。
もちろん言葉にできずに、あたしは彼の顔を見上げて一人で赤面する。
すぐにこんな事を考えてしまうのは、やはりあたしが依存症なのか?
もしくは、ただの変態なのか?
それとも、もう夢中になるくらい準一の事を好きになってしまったのか・・・?
あたしがそんな事を妄想していることなど、よもや考えていないだろう準一は、あたしの顔を見下ろしてニッコリ笑った。
◇◇◇
その後、あたし達は当時よく立ち寄った学校前の駄菓子屋に立ち寄り、当時の人気商品だったヤキソバパンとコロッケパン、200mlパックの牛乳を買った。
あたしの家に続く通学路を歩きながら、昨日、ノブリンと待ち合わせしていた小さな公園に辿り着いた。
この寒いのに、公園には半ズボンの子供達がサッカーをしていて、あたし達はベンチに座ってそれを観戦しながらランチを始めた。
相変らず、準一は何も話さない。
あたし何も聞かなかった。
でも、彼の心の内を聞いた後のこの沈黙は、前にも増して心地良いものだった。
コロッケパンを咥えている彼の横顔を、あたしはチラリと見上げる。
意外に敏感な彼は、あたしが凝視しているのに気付いて、同じようにチラリと見下ろす。
目が合ったのが気恥ずかしくて、あたしはオタオタしながら視線を逸らした。
・・・何なの、この少女マンガみたいなシチュエーションは?
柄にもなく照れている自分が、別の人間みたいに思える。
あたしの不審な行動の意味が分からなくって、準一は首を傾げながら曖昧な笑みを浮かべた。
その顔を正視できなくて、あたしはヤキソバパンに齧り付いた。
ヤバイ。
完全に好きになってる。
そう自覚したのは、冬の早い夕暮れが近づく頃だった。
そろそろ帰る時間だとノートに書いてきた彼に、あたしは首を横に振った。
まだ彼と離れたくなかった。
家の近くまで送ってきてくれた彼の手を、あたしは離す事ができずにこねくり回す。
困った顔で苦笑しながら、準一は仕方なく片手で器用にノートを開く。
『明日 仕事が終わったらマクドナルドで待ってる だから 今日は帰ろう』
「嫌! まだ今日は終わってないじゃない! もう少し一緒にいようよ」
初日と同じようにダダを捏ねてしまう学習のない自分に嫌気が差すが、そんなプライドも維持できないくらいあたしは彼と離れたくなかった。
『でも もう遅い ミユキの家族が心配するよ また明日』
「大丈夫だよ、ねえ!もう少しだけ」
『ダメ』
なかなか強情な準一は、どうしても首を縦には振らなかった。
この年になって門限5時とか、有り得ないのに。
中学生の時から時が止まっている準一には、思春期の女の子を遅くまで引き止められないという信念があるようだ。
不服ではあったが、彼があたしを純情な女の子扱いしてくれるのは悪い気はしなかったので、渋々頷いた。
「じゃ、お別れのキス。してくれる?」
仕返しに背伸びをして、彼の前で目を瞑ってやる。
しばらく待っていたけど、彼はやっぱり応えてくれなかった。
薄目を開けて彼の顔色を窺うと、申し訳なさそうな、悲しそうな、複雑な表情の顔があった。
取り繕うように、慌ててノートを広げる手を、あたしは遮る。
「・・・冗談だよ。ゴメン。焦らなくていいから。じゃ、明日仕事終わった頃、マクドナルドで待ってる」
あたしの言葉に、彼は安堵した顔で嬉しそうに笑った。




