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過去 2

・・・性的虐待。

 と、いうことになるんだろうか。

 それ自体には、あたしは驚かなかった。

 寧ろ、そういう事があったんじゃないかと予感はあった。

 彼が突然いなくなったあの中学三年の三学期、学校内には既にそんな噂が流れていた。

 尤も、田舎の子供だったあたし達には、それが実際どういう事を意味するのかまで理解できていなかった。


 あたしがショックだったのは、彼が母親の事を言い出したからだ。

 まず、「体を売ってこづかい稼ぎ」という言葉が、あたしの胸に突き刺さった。

 なぜかって・・・言うまでも無い。

 トラウマになるほど彼が辛かった事を、あたしは現役でやっているのだから。

 もし、バレたら・・・という不安が頭をよぎった。

 あたしが彼を軽蔑するどころか、彼があたしを軽蔑して去って行くに違いない。


 あたしの沈黙を勘違いしたのか、彼は再びペンを走らせた。


『不愉快な話ならゴメン オレはミユキみたいな普通の家庭でそだってない 母親は男がいないとダメな女だった つなぎとめるために何でもやってた 息子のオレまでつかって』


 フォローのつもりで書いてくれる彼の言葉は、皮肉にもあたしを更に追い詰めていく。

 息子はいないけど、あたしは間違いなく彼の母親と同類の女だ。

 コメントのしようがなくて、あたしは唇を噛み締めたまま、彼の手が紡ぎ出す文章を見つめていた。


『生活保護受けながら 母親は男をかえては金もらってた DVうけたのは 昔 結婚してた男 完全に狂ってた オレはここで その男に殺されかけた』


「・・・もういいよ、準一」


『ここに来てから何度も暴力ふるわれた 母親がにげて オレは児童施設にいれられた もどってきてやっと中学校にもどれて そしたら 冬休みにヤツはふくしゅうしにきた オレはそいつに』


「ねえ!もうやめて!」


 見るのに耐えられなくなって、あたしは思わず彼にしがみ付きノートを奪った。

 それを胸に抱き締めて、あたしは彼から守るように後ずさりする。

 会話の手段を奪われた準一は、困ったように苦笑してペンを回した。

 あたしが、返さないと言うようにノートを抱いたままブンブン首を振ったので、彼はゆっくり口を開いて声を出そうと試みる。

 喉の奥から溜息のような呼吸音が響くだけで、それは声にはならなかった。

 それでも懸命に何かを伝えようと口を開閉している準一が痛々しくて、あたしはノートを放り出して彼に駆け寄るとその細い体にしがみ付いた。

 悲しいまでに実りの無い彼の試みを、すぐに止めさせたかったのだ。


 しがみついたあたしに拘束された準一は、困ったような照れ笑いを浮かべて見下ろす。

 その唇が「ゴ・メ・ン」と動いた。


「謝んなくていい。でも、もう悲しい事言って欲しくないよ。言いたくなかったんでしょ?あたしこそゴメン。もう聞かないから。そういう約束だったんだから、もう言わないで」


 思わずそう言ったのは、彼の為だけじゃなかった。

 あたし自身が、彼の背負ってきた闇の部分を支えられる自信がなくって、これ以上聞くに堪えられなかった。

 準一はそっとあたしの腕を掴んで体から離すと、10m程先に放り出された大学ノートを取って戻ってきた。

 これがないと、あたし達は意思疎通をする事も困難なのだ。

 当然の事を思い出して、あたしは目の前にいる彼がとても遠い所から帰ってきたような気がした。


 土埃を払うようにノートをバタバタと手で叩いてから、彼は再びノートにメッセージを書き綴る。

 今までの筆談の中で一番長い時間だった。

 時々、文章を考えているかのように上を見たり、横を見たり、ペンを回したりしながら、準一は懸命に書き続ける。

 あたしはその間、バカみたいに彼の手の動きを観察していた。

 やがて、ギッシリ書き綴られたノートの見開き2ページをあたしに差し出した。

 宿題を提出する子供みたいに、少し緊張した顔であたしを見た後、「ヨ・ン・デ」と唇が動いた。


 駐車禁止の鉄の柵に軽く腰掛けてから、あたしはそれを読み始めた。



『ごめん 昨日まで過去のことは言いたくなかった 


きらわれるのが怖かったから 


でも、やっぱり考えなおした 


オレはまたしゃべれるようになりたいから 


声がでなくなったのは あの時のことがトラウマになってる 


だから なるべく思い出さないようにしてた 


今までは話相手もいなかったから 声がでなくても かまわなかった


それが、ミユキに会って 昨日 話して オレはやっぱりこのままじゃいけないと思った


治したい 前みたいにふつうに戻りたい ミユキと話したい


ミユキがついててくれたら オレは変れるかもしれないと思った


だから 昔のこと 聞いてほしかった 


へんなこと話してゴメン


オレはぶっこわれてるけど ミユキがいてくれたら 大丈夫な気がするんだ


お願いする 一緒にいてください 』



 読み終わったあたしの目から涙がポロポロ溢れてきた。

 準一は緊張した面持ちのまま、あたしの様子を窺っている。

 母親の優しい答えをドキドキしながら待ってる子供みたいだ。


 彼の傷ついた心を、汚れ切ってるあたしが癒せるのかは分からない。

 そもそも彼があたしの過去を知ってしまったら、逃げていってしまうかもしれない。

 それでも、こんなあたしで良ければ、彼が必要とする限り傍にいてあげたい。

 そう思って、あたしは準一をギュっと抱き締めた。


 それが答えだと分かった準一は、やっと表情を和らげて、声のない笑みを見せた。



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