期待 2
速くなる鼓動を感じながら、あたしはマクドナルドのガラスの自動ドアを通り抜けた。
目の前のカウンターに並んだ3人の店員が「いらっしゃいませー!」と無駄なスマイルと大きな声で挨拶してくれる。
が、今回の目的はハンバーガーではなかったので、あたしはそれを無視して二階に続く階段に直行した。
狭い螺旋状の階段を駆け上がると、昨夜と同じ風景。
ただ、今日が土曜日だという事で、昨日よりは少し客が多い気がした。
本田準一は昨日と同じ場所で座っていた。
暗い窓の外を眺めながら、頬杖をついてボンヤリしている。
まるで、誰かと待ち合わせしているみたいだ。
・・・もしかして、あたしを待っててくれたのかな?
そう思いたかったけど、彼が昨日と同じモスグリーンの工業系作業着を着ているのを見て、今日も仕事帰りなんだって分かった。
あたしはゆっくり近寄ると、窓の方を向いてる彼の肩をチョンとつつく。
ビクっと肩が揺れて、本田君は反射的にクルリと顔をこちらに向けた。
その驚いた顔が、あたしを認めると柔らかく綻んで、声の無い笑みを浮かべる。
嫌がってなさそうなのを確認したあたしは、昨日と同じように、テーブルを挟んだ反対側の席に座った。
「偶然だね。ここ、仕事帰りにいつも来るの?」
あたしが先に聞いてやると、彼はウン、と頷いて椅子に乗っていた黒いリュックからA4サイズの大学ノートを引っ張り出した。
そのノートに胸ポケットから出したボールペンでサラサラと書いていく。
『偶然ではない ここで君に会えるかと思って待ってた 今日 仕事終わってからずっとここにいる』
彼のメッセージに、あたしは嬉しくなって思わず微笑んだ。
筆談用のノートまで持参しているんだから、あたしと会うことを想定して待っててくれたと思っていいだろう。
あたしが表情を崩したので、彼もホッとしたように笑みを見せた。
ペンをクルクルっと指の周囲で回してから、再びノートに書き始める。
『昨日はごめん あやまりたかった みゆきがイヤとかじゃない オレは精神に問題がある いろいろあって 行為が苦手 ごめん 今でも好きだというのはうそじゃない』
彼の言いたい事が箇条書きで文章化されると、分かりやすいような、分かりにくいような・・・。
とにかく本田君が言いたい事は伝わったので、あたしは彼が心配しないように笑顔を作った。
「いいよ。あたしもゴメン。色々あって、あたしも拒絶されると凹んじゃうの。でも、昨日は会えて嬉しかったんだ」
『オレも』
そう書いてから、ノートをあたしの前に突き出して見せる彼は本当に嬉しそうで、邪気のない笑顔を見ているとこっちまで穏やかな気持ちになれた。
『お腹すいてない? なんか食べる?』
再びノートに書いてあたしに見せると、彼は席を立って床を指差す。
一階のカウンターを指しているらしい。
あたしは首を横に振った。
「大丈夫、今、お腹減ってないの。お昼にイタリアンバイキング食べ過ぎて・・・」
そこまで言ってから、あたしはさっき別れたノブリンとの今日の情事を思い出した。
本田君には知られたくなかった。
あたしの素行の悪さがバレたら、逃げてしまうに決まっている。
彼はそれについてはコメントすることなく、またノートに書き始める。
『じゃ 出ない? 少し歩こう』
ノートを見せてから、彼はあたしに右手を差し伸べた。
嬉しそうな、少し緊張したようなその面持ちに、あたしまでドキドキしてしまう。
「・・・いいよ」
小さな声で応えてから、あたしは彼の手をそっと握った。
◇◇◇◇
海が近いこの街は、冬場の風の強さが尋常ではない。
外は寒かったが、今夜は風が止んだせいで少し緩和されていた。
この時期には珍しい程の風のない夜の街を、あたし達は中学生みたいに手を繋いで歩いた。
並んで歩くと、彼はあたしよりずっと背が高かった。
痩せているのが可哀相なくらいだけど、さっきのノブリンの中年太りに比べたら遥かに健康そうだ。
考えたら、本田君はあたしと同じ23歳なんだ。
こんなに若い男性と付き合った事は、今までになかったかもしれない。
妙にドギマギしている理由がやっと分かった。
お金やセックスが絡まない純粋な恋愛に、あたしは全く慣れてなかった。
彼はあたしの歩幅に合わせるようにゆっくりと歩いていく。
時々、あたしの顔を覗き込んでは、優しい笑みを見せる。
言葉がない分、彼は全身を使ってあたしを気遣ってくれるのが嬉しかった。
それが、逆に彼にとっては面倒なんじゃないかって心配になる。
「本田君、気を遣わなくていいよ。あたし、喋れなくても気にしないし」
安心させるつもりでそう言ってみたけど、それは真実だった。
初めから体目的で出会う男性なんか、まともな会話もしないで終わる事も多かった。
本田君は少し考えて、手に持ったままだったノートを開くとまた書き始める。
『オレはミユキと話せなくてツライ デートだから気のきいたこと言いたい ミユキを笑わせたい つまらなかったらゴメン』
箇条書きの彼の本心は、あたしの胸に突き刺さった。
一番辛い思いをしているのは本田君なんだって、改めて思い出した。
「大丈夫。中学校の時みたいで楽しいから。デートだもん、ね」
腕に巻きついたあたしの頭を、彼は嬉しそうに笑ってクシャっと撫でた。
そして、新たなるメッセージを書いてあたしに突きつける。
『デートなら名字でよぶのよそう 名前でよんで欲しい オレの名前 準一 おぼえてる?』
「当たり前だよ。じゃ、準一。デートしよう?」
あたし達は腕を組んで、普通の恋人同士みたいに笑いあった。