再会 1
クリスマスも近い11月の半ば。
事務所の壁時計の針が5時半を指したその瞬間、あたしはデスクから勢い良く立ち上がった。
「お先に失礼しますっ!」
これから残業モードに入ろうと、のんびり席を立ってコーヒーを入れ始めた同僚達を尻目に、あたしはそう言い放ってデスクの中からバッグを掴んで引っ張り出す。
零細企業の給料計算が仕事というしがないOLのあたしが、たった一時間残業したところで会社の利益に繋がることはない。
寧ろ、無駄な経費だ。
明日できることは今日しないのが、あたしのライフスタイルだった。
しかも、今日は待ちに待った金曜の夜。
あたしには大切な約束がある。
「美由紀、やけに急いでんじゃん?何かいいことあるわけ?」
隣のデスクでパソコンと睨めっこしていた同僚、田中裕美がチラリと目だけ動かしてあたしを見た。
彼女の鋭い視線に、あたしはドキっとするも平静を装って笑顔を作った。
「何にもありませんよーだ。期待してもムダだよ。男でもできたらユミにも紹介するって。」
「じゃ、何で週末の仕事上がりに急いでんの?」
ニヤリと笑いながら意地悪く突っ込んでくるユミを、あたしは軽くあしらう。
「できる女は残業しないんだよ。あたしは会社が嫌いなの。じゃ、また月曜日にね。」
まだ訝しげにあたしの背中を見つめるユミの視線を無視して、あたしはオフィスを飛び出した。
◇◇◇◇
この会社に入社して早5年。
地元の商業高校卒業と同時に入社した地元零細企業は、毎月同じことの繰り返しで、もう既に飽き飽きしている。
給料計算という仕事は、時々社員の入れ替わりがある他は決まった事を締め日までに行えばそれで事足りた。
会社が高卒の若い女の子に大した責任を負わせる筈もなかったが、あたしも仕事に情熱など感じた事などない。
ただ生活の為と割り切って、業務を淡々とこなす毎日だ。
23才にして人生に夢も希望もないあたしが、死ぬほど心待ちにしていることが一つだけあった。
それが毎週一回だけ訪れる金曜の夜、まさに今夜だ。
チョコレートブラウンの小さな軽自動車に乗り込み、あたしは会社の駐車場を飛び出した。
まだ6時前だというのに日は完全に落ちて、街灯があちこちにつき始める。
晩秋の風が肌身に染みて、人肌恋しい季節の到来を感じる。
薄暗い夕闇の中、あたしは今夜の逢瀬に思いを馳せる。
そうだ、お酒とつまみでも買っていこう。
アイスクリームと甘いチョコレートも。
お腹が減った時のために冷凍のピザでも用意しよっかな。
明日の朝食べるクロワッサンとコーヒーも・・・。
遠足の用意をする子供みたいに、あたしの胸は楽しみで高鳴っている。
今夜の事は楽しみだけど、こんな風に考えながら買い物したりするのも、あたしは好きだった。
遠足当日より前日までの方が楽しいのと同じ心境だ。
大好きな人の為に何かを用意するって、こんなに幸せなことなんだ。
あたしは道路沿いにスーパーを発見すると、車をそこに滑り込ませた。
仕事帰りの主婦達で混み合うスーパーの駐車場をしばらくウロウロした後、やっと見つけた軽専用の一角に車をバックで入れた。
何とか入ったものの、真っ直ぐになっていないので運転席のドアが隣に車に接触しそうで開かない。
運転が下手な私には日常茶飯事のことなので、助手席側から降りようとお尻をずらした。
その時。
とんでもない光景があたしの目の前に繰り広げられた。
車の前をゆっくりと通り過ぎていく子供連れの夫婦。
赤ちゃんを抱いた上品な若奥様が5歳くらいの男の子の手を引いている。
それに寄り添うように歩いていく買い物袋を一杯抱えたハンサムな男性。
甘いマスクが美しい妻を見つめて、柔らかな微笑みを浮かべている。
よくある微笑ましい風景だ。
ある一点を除いては。
私は車の中で硬直したまま、目の前を通り過ぎていく夫婦をバカみたいに見送った。
そのハンサムな旦那こそ、あたしが今夜遭うことになっていた筈の男性だったのだ。