明治維新の始まり
とある説を元に構成してみました
植民地というと何となくニュアンスが違うと思ったので略奪地としました
外圧の到来
19世紀半ば、世界は欧米列強の「略奪地の拡大」という飢えた欲望に飲み込まれつつあった
産業革命を成し遂げた欧米の蒸気船は、石炭と捕鯨の補給基地を求め、太平洋の端にある小さな島国・日本へ狙いを定める
1853年、浦賀沖に現れたペリーの黒船、それは日本にとって、単なる外国船の到来ではなく「近世から近代への強制的な引きずり出し」であった
アメリカの主目的は捕鯨船の拠点(鯨油)と中国交易の中継地だったが、のちに本国の南北戦争で進出は停滞する
しかし、大砲の轟音に恐れおののいた徳川幕府は、二百年以上守り続けた「鎖国」の門を開けざるを得なかった (砲艦外交)
列強のチェス盤
開国した日本は、すぐさまアメリカに不平等条約を結ばされ、世界経済の波に晒された
金銀の流出、激しいインフレ、国内の混乱、
日本人は気付く
「このまま幕府に任せていては、アヘン戦争で負かされ、列強の略奪地になった隣の清国(中国)のようになってしまう 」と
しかし、ここから日本国内は、二つの巨大な海外資本の「代理戦争」の場と化していく
幕末、日本の貿易利権は先行したイギリスにその大半を独占されていた
この劣勢を逆転するため、出遅れたフランスはイギリスとそりの合わない徳川幕府の後ろ盾となる
フランスが近代的な横須賀製鉄所を作り、最新の武器を貸し付けたその真の狙いは、当時ヨーロッパで激減していた日本の生糸の独占である
フランスは巨額の援助と引き換えに、日本の生糸貿易を独占する有利な金融契約を結ぼうと暗躍し、日本を経済の鎖で縛り上げようと画策していた
一方のイギリスは、フランスの台頭を阻止すべく、幕府の無策を見限って倒幕を狙う薩摩藩・長州藩に接近
裏から最新のミニエー銃や蒸気船を売りさばいた
だがその裏で、イギリスの武器商人は幕府側の藩にも平然と武器を売っていた
どちらが勝っても恩を売り、常に自国が優位に立てるよう立ち回る――それこそが、イギリスの冷徹な二枚舌の計算だったのである
日本人は、自分たちの意志で戦っているつもりだった
しかしその実、手にある武器も、戦う資金も、すべて欧米列強の掌の上から供給されていたのである
危機感が生んだ「維新」
1860年代後半、列強による日本分割統治の足音が、すぐそこまで迫っていた
このまま幕府と雄藩が内戦を長引かせれば、国力が疲弊し、漁夫の利を得た列強に国を乗っ取られる──この強烈な危機感こそが、日本の指導者たちを突き動かした
彼らは、列強が「中立」を装いながら、金銀や物資を吸い尽くしたり、日本人が互いに殺し合って共倒れする瞬間をじっと待って支配するという、その冷徹な意図に気づいたのである
「異国に付け入る隙を与えるな、身内同士で血を流している場合ではない」内戦を早期に終わらせるため、1867年、徳川慶喜は「大政奉還」を行い、政権を朝廷に返上する
さらに翌年の戊辰戦争も、列強の思惑通りに泥沼化する前に、日本人の手で電撃的に終結へと導かれた
新しい時代の始まり
1868年、明治政府が誕生する、新政府が掲げたスローガンは「富国強兵」
それは、欧米列強という巨大なクジラが泳ぐ大洋へ、日本という小舟が生き残りをかけて漕ぎ出すための、唯一の生存戦略であった
周囲を見渡せば、かつての大国・清をはじめ、アジアの国々はことごとく列強の牙に引き裂かれ、略奪地と化していた
日本もまた、不平等条約によって英米らの経済支配の危機に瀕していた
次は自分たちの番かもしれない、その秒読みの恐怖の中で、日本は独自の文明を守りながら、西洋の技術を貪欲に吸収し、近代化へと舵を切った
そして死に物狂いで国力を高めた日本は、ついにその不平等条約を完全に撤廃し、列強の支配をはねのけて対等な独立を勝ち取ったのである
明治維新とは、一握りの英雄の英雄譚ではない
欧米列強の脅威という「冷酷な世界史の流れ」に対抗するために、日本という国家が選択した、壮大な自己変革の始まりであった




