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19世紀の舞台女優

パウルは主人が気に食わなくとも完璧に航路を進んでいく。


雲海の中でアルトたちの背中が見えなくなっても、少しも間隔を乱さない。


実は航路研修時、パウルは一度も上手くリュウカを乗せてくれなかった。

リュウカはパウルの上から落下して怪我を負ったり、指示した進行方向に進んでくれず、実践テストに進めたのはギリギリのところだったのだ。


しかし今日のパウルはプロのユニコーンだ。

リュウカが乗りやすいよう速度や航路を調整している。


それからパウルがゆるやかに降下姿勢を取り始めると、次第に雲海が開け、大きな古都ロンザリーの街並みが広がった。


興奮したリュウカは、前のめりになる。


「パウル!初めての時空間移動大成功!ありがとう!」


リュウカが体勢を崩して思い切りパウルに抱きつき、パウルの金色の立髪をわしゃわしゃとすると、パウルは飛行のバランスを崩した。


いつもの意地悪かと思ったその時、背後の荷物かごに入れていた鳥籠が、上空に浮き上がり、そして転がった。

そのまま古都の街並みに落ちていく。


はっと、パウルとリュウカは顔を見合わせる。

その一瞬だけ、通じ合った。


"出世のために、こんなミスは許されない"


パウルもこれまで何世紀にも渡って航路走行でミスがない、ゴールドクラスのユニコーンなのだ。どうやら彼女もランクを落とすわけにはいかないよう。


鳥籠が地上に落ちる前に確保して、何事もなかったかのように航路に戻るのだ。


パウルは鳥籠を目掛け、凄まじい勢いで急降下していく。


しかしいくらパウルがプロといえ、まともに航路練習ができていないリュウカは、初めての急降下に心も身体もついていけない。顔に吹きかかる突風で、目も開けることができない。


パウルが鳥籠まで追いつくが、リュウカの意識は正常ではなかった。そのまま無心に手を伸ばしたので、鳥籠に手が届いたはいいが、鳥籠ごと、リュウカの身体がパウルから落ちて地上へ落下していく。


パウルもリュウカを追いかけるが間に合わない。


一瞬にして上空から下り落ちたリュウカの身体は、大きな音を立ててどうやら水の中に突っ込んだ。


「まあ」


水の外で誰かが落ち着いた声を上げた。


リュウカはぷはっと水の中から顔を出し、顔に髪の毛を張り付けたまま、懸命に地上を探した。


「お気は確かで?一体どこから落ちてきたのかしら」


欧州の言葉で、おそらくたおやかな貴婦人がこちらを覗いていたが、リュウカは朦朧として、上半身だけなんとか水辺に這い上がり、そのまま意識を失った。


***


深い眠りの中で温かい香りが意識の中に広がり、リュウカはうっすらと目を覚ました。


すぐ目の前に見えたのは、台所で何やら調理をする1人の貴婦人だ。それから溶けた野菜とお肉のまろやかな風味が一気に鼻を覆った。


リュウカはぼーっとしたまま辺りを見渡す。びしょ濡れだったはずのゴシック調の制服は庭に干され、軽やかなリネンのワンピースを身に纏っている。汚れていた身体や髪も綺麗に拭き取られ、ソファに寝そべっていた。


「あら?もうお目覚め?」


貴婦人がリュウカを振り返る。その途端リュウカは息を飲んだ。

ここは天国なのかと錯覚してしまうほど美しいその顔には、白藍色のガラスのように透き通った瞳と、はっきりとした鼻筋に、薔薇色のあどけなく上がった上唇が並んでいる。


おかげで意識をはっきりと取り戻した。


「......ご婦人、助けていただき心から感謝申し上げます」


まだ拙い欧州の言葉を使ってお礼を伝えると、貴婦人は妖艶に笑って見せた。


「ご婦人だなんて、よしてよ。アリーよ。小さな劇場で舞台女優やってるの」


アリーの自己紹介を聞いてから、改めてまずいことになった、と冷や汗をかく。


時務省のルールとして、時務官の制服で町を出歩くことが許されていないことはおろか、その時代と国に適した顔作りを施していない状態で、市民と遭遇することは御法度なのだ。


「申し訳ございません、私、頭を打ったのでしょうか。どうにも、何も思い出せなくて」


リュウカの芝居がかった台詞に、アリーは口元を緩ませたまま何も言わず、皿に料理を装った。


「大変だったでしょう。ポトフよ。食べていきなさい」


柔らかい口調で、レースがあしらわれたやけに高級そうなテーブルクロスの上にパンとポトフのお皿を並べた。

その温かみのある食卓は、リュウカの食欲をそそった。今すぐにでもパウルを見つけてロンザリーの時務省に向かわなかればならないが、貴婦人の行為を無碍にできるほどの技量もない。


「......ありがとうございます。では......お言葉に甘えて...」


そうするほかなく、席につき、おそるおそるポトフのスープを口にする。こんなことをしている場合ではないのだ。しかしリュウカは、ポトフのあまりの美味しさに目を丸くする。愚かにも、ポトフを口に運ぶ手が止まらない。


アリーはリュウカの食事が進む様子を、頬杖をついて見つめながら、ふふふと笑った。


「気に入ってくれたかしら」

「......はい。それはもう、とっても美味しいです」

「よかったわ。今夜は伯爵がいらっしゃるの。あなたがそんなに言うなら、伯爵にも召し上がっていただこうかしら」


リュウカはその言葉の意味を少し考えてから、部屋を見回す。バカラシャンデリアに華美なゴブラン織の花柄絨毯、柔らかなベルベットの椅子は金で縁取られている。


この国のこの時代では珍しくない、舞台女優や踊り子を支援する上流階級のパトロンが、アリーに与えた邸宅なのだとわかった。


「ねえ」

「は、はい......」


あまりに妖艶なアリーの口調に、リュウカは緊張してしまう。


「それ。とっても素敵なネックレスね」


なんだ、ネックレスのことか、と少し安堵する。


「これは、タ......」


タンザナイトと言いかけて、口を噤む。確かまだこの時代では、タンザナイトは宝石と認識されていない。


「これは......母から貰ったものなんです」

「あら。お母様からのプレゼントなのね。素敵ね」

「母の形見なんです」


リュウカが苦笑すると、アリーは少し考える表情を見せてから立ち上がり、キャビネットを開けた。

それから一枚の紙切れを取り出し、リュウカへ差し出す。


「1階席だけれども。よければ今夜、観にいらっしゃい」


リュウカは渡された劇場のチケットをまじまじと見つめる。

それから自分の立場なんて忘れてしまったように


「行きます。楽しみです!」


と溌剌と答えていた。


***


「一体どこで何をしてたんだい?」


我が国の時務官用に用意された19世紀ロンザリーの一室で、

大きなサングラスで顔を覆ったアルトが、静かにリュウカを問い詰める。


制服が乾かないうちにポトフを食べ終わり、アリーに挨拶をしてから邸宅を飛び出すと、門の前に鳥籠を咥えたパウルが怒りを露わにした表情で待っていた。


「実は、研修の時からパウルとはあまりうまくいってなかたったんです。飛行中にわざと落とされたり、正しい進行方向に進んでくれなかったり...」


これがばれたらパウルとの関係がもっと悪化しそうだなと思いながらもリュウカはいたって堂々と話す。


「へえ」


しかしアルトは全てを見透かしたような冷たい態度だ。


「その鳥を返却したら、夜の帰国まで自由調査だ。19世紀ロンザリーの街の調査レポートをまとめて提出するように」

「それはたとえば、街の劇場で舞台を鑑賞するのでもいいのでしょうか」


反省の色が薄く、すかさず質問をするリュウカに、アルトは少しの間沈黙し、それから初めて聞く自信のない音量で「自由だ」とだけ答えた。

リュウカはそんなアルトの様子に気づく由もなく、アリーのことを思い返して頬をピンク色に染めた。




















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