時空間移動試験
煉瓦色の外壁を持つこの街で一番背の高い時計塔。
公にはオールドタワーと呼ばれるアール・デコ様式の古い建物で図書館や美術館として一般開放しているが、
上層階は国家機密機関「時務省」21世紀我が国の本拠地を構える。
どういうわけか今春から時務省に入省することになったリュウカは、
時計塔最上階時務省のタイムステーションにいる。
ここは各々の時代や国の時務官たちの時空間移動を検閲・管理する場所であり、タイムステーションを通過せずに時空間移動をすることは30世紀の世界政府の法律によって禁止されている。
いわゆる時務官や時空警察など、時代を司る職業のものだけに与えられるタイムパスポートなるものがあり、荷物検査や出時審査が行われる。
リュウカは育ての親の桐本守と佐和子から英才教育を受け、
我が国のために国家公務員になることを志し、学業に励んできた。
国家公務員試験の受験者の中から
適正者なのか無作為なのか、はたまた不合格者なのか、
その選定の審議は不明だが、毎年数名がここ時務省に配属される。
時務省は外務省が管轄をしており、家族にも時務省への所属は口外できず、公には外務省に入省したものとされる。
リュウカは自慢の栗毛色の巻き髪を肩になびかせ、首にかかったタンザナイトのネックレスを握った。
自分を律する瞬間に必ず握るこのネックレスは、
リュウカを産んですぐに亡くなった母親の形身らしい。
マモルとサワコがリュウカを引き取った乳児の頃から、このネックレスを首に下げていたと聞いている。
「どでかいサングラスをかけて、鳥籠を持った若い男...っと」
研修講師から伝えられていた担当の指導係の特徴を思い出し、あたりを見回す。
「あ」
様々な国籍や時代の時務官たちがタイムステーションを行き交う中、
一際目立つ大きなサングラスをつけた若い男が
黒い布がかかった鳥籠を片手に、出時審査カウンター前に寄りかかっている。
リュウカは迷うことなくその男に駆け寄った。
「はじめまして。桐本琉華です。指導係の幸山或斗さんですか?」
リュウカは覇気のある声で挨拶をした。
大きなサングラスがこちらを向き、リュウカのゴシック調の制服を確認したはずだが、
「......どうして君がここに?」
と不可解なことを言ってから驚いたようにサングラスを外し、それから人違いしたことを悟られないよう平然な顔をした。
なるほど、この美しすぎる顔を隠すためのサングラスなのか。
リュウカが妙に納得してしまうほど
サングラスを外した彼の素顔は、見事に整っていた。
小麦色の肌にサングラスをつけた姿からは想像がつかない、我が国民離れした顔立ちだ。
事務官の多くは、別の時代の人々に顔の印象を持たれないよう、薄い顔をしている傾向があるが、彼は例外だった。
「...あー。新人か」
「桐本琉華です。先輩、本日は初めての時空間移動の同行よろしくお願いします」
リュウカは煩悩を振り払うように、さらに声に覇気を込めた。
アルトはサングラスをかけ直し、疲弊したように
「その先輩呼びはちょっと」
「じゃあ、幸山さん?アルトさん?アルト...くん?」
歳はリュウカとさほど変わらなそうな見た目をしているので、おかしくはない。
「どれも却下だ」
「じゃあ...、先輩ですね。先輩、これが例の鳥ですか」
リュウカはすぐに話題を変え、鳥籠に顔を近づけた。
不満そうに鼻を吊り上げるアルト。
「...君が持ちたまえ」
「いいんですか!」
アルトは無愛想に鳥籠をリュウカに押し付けると、リュウカは興奮して鳥籠の中を覗いた。
「意外とどこにでもいそうな鳥なんですね」
「当たり前だろ。たった100年前まで生きてたような奴らだ」
「たった100年前ですか。まだ聞き慣れないですね」
3ヶ月の研修期間の中で、これが最後となる研修ミッション。
現代に迷い込んでしまった過去の絶滅動物を、もとの時代、国に返還するという任務だ。
研修講師によれば、入省1年目の任務はこういった事件性の低いものばかりだそうだ。
リュウカはアルトに続いて荷物検査を終えると、出時カウンターで出発バルコニーを案内される。
「307番...」
リュウカは馬蹄形に高くバルコニーが連なった出発ロビーを見上げる。
それはまるで、歌劇場のロイヤルボックス席のように豪華で重厚に連なっていた。
天井には絡み合った無数の歯車の先に大きな鐘が吊るされている。
天井の鐘に向かうように、ずらりと壁に聳え立つ正面の棚には1万冊以上の歴史書が保管されている、と研修授業で習ったが、教科書で見るより荘厳で言葉を失う。
微妙な歴史の変化によって今この瞬間も、書物の中身はまるで魔法のように書き変えられているらしい。
正面の棚とバルコニーに囲まれるように、出発ロビーにはバーやビュッフェ、ソファ席が並び出発前後の時務官たちが団欒している。
「おい。何してんだ」
「あっ。すみません」
まるで高級ホテルのように豪華に並んだビュッフェに見惚れていたリュウカを、アルトはサングラス越しにおそらく、冷めた目で見ていた。
「先輩って、すごいエリートって聞きましたよ。先輩の代の中で、一番最初に別時代に駐在されたとか。しかも、海外だったって聞きました。それなのについ最近、指導係に飛ばされたちゃったってところまで」
気まずげもなく堂々と話すリュウカに、
「...言い方な」
とアルトは苦笑する。
「やっぱりやらかしたっていうのは、本当なんですか。上司たちがみんな噂してるから、耳にしちゃったんです」
「さあな。よかったな、超優秀な俺様に指導していただけるなんて」
「いいえ、先輩の下につくってことは、省内で自分もあまり評価されてないんじゃないかって、不安なんです。今後の出世にも左右するかもしれないし」
アルトは口元を吊り上げて、悪魔みたいにふっと笑った。
「こんな場所に配属されて早々に、自分の評価や出世を気にしてるなんて、たくましいやつだな」
「先輩、指導係に飛ばされたからって、そんな言い方しないでください。わたしは官僚になって、育ての両親に恩返SIすることが、ずっと目標だったんです。お国のために、わたしは何でも全力で取り組むし、両親にもっと喜んで欲しいから、出世もわたしにとっては大事なんです」
アルトはぼそっと
「...苦手なタイプだわ」
と疲弊する。
他愛もないことを話しながらエレベーターに乗って3階まで登ると、
廊下にはナンバープレートが付いたバルコニーが順番に並んでいた。
リュウカにとってはついに初めての時空間移動。
緊張と不安と興奮と期待が入り混じり、ぎゅっと胸のペンダントを握る。
それぞれリュウカは307、アルトは306のバルコニーに着くと
そこには未来動物のユニコーンが待っていた。
「パウル!!」
リュウカはユニコーンのパウルに飛びついた。
研修ぶりにリュウカに会ったパウルは、冷めた様子でおすまし顔だ。
パウルは金色の大きな羽と角、たてがみ、そして美しい毛並みを持ったユニコーン。
不死身のユニコーンは30世期の未来から過去の時代に送り込まれ、事務官を主人とし、これまで何世代にも渡り事務官たちの仕事を支えてきた。
事務官たちの時空間移動は、ユニコーンたちの背中に乗って移動する航路が1番最短であり、日帰り出張に適している。時空特急を使ってブラックホールを通る方法もあり、こちらは各時代に停車するため時間がかかるが、荷物の多い長期滞在者用の移動に向いており、肉体的負担も少ない。
事務官の研修生たちは筆記の研修を終えたあとまず、
パートナーを組むユニコーンを迎え入れ、彼らと共に実技研修を始める。
つまり今回は、パウルとの時空間移動試験も兼ねているのだ。
リュウカとパウルとの出会いは、また別の章で記すことにしよう。
「準備はいい?」
隣のバルコニーから、黒いユニコーンに乗ったアルトが顔を出す。
リュウカも急いでパウルの上に乗る。
パウルが少し羽を痛がる素振りを見せた。
気高いパウルはまだ、新しいパートナーが気に入らないのだ。
「マモルさんサワコさん、そしてお母さん、どうか私を見守っていてね」
リュウカはもう一度ネックレスを握る。
「俺たちを見失うなよ。...まあそいつが優秀だから、安心だな」
アルトはパウルを以前から知っている様子で、パウルは得意げだ。
先にアルトのユニコーンが羽ばたく。
リュウカの初めての時空間移動の行き先は、欧州の中西部に位置する、19世紀ロンザリー。
パウルはリュウカの指示に少し不満そうにしながらも、金色の羽を大きく広げ、白い雲の上に飛び立った。