私の些細なお願い事
「え、ええと……」
(急にそんなことを言われましても……)
フィル様が私のことを考えてそう言ってくれることは、とても嬉しい。それでも、急なことすぎて実感が湧かない。
疲れていらっしゃって、とりあえずこの場を収めるためにそう仰っているとか。
(流石に、卑屈すぎる考えですね)
私は一度目を瞑って、ゆっくりと目を開いた。
「それでは、貴方様がお忙しくない時は、一緒に夕食を食べましょう」
「……そんなことでいいのか?」
「そんなことがいいのです。一人でご飯を食べるのは、結構寂しいのですよ」
小さく笑みを浮かべると、フィル様は目を丸くした。何だかしてやった気分になって、悪い気はしない。
フィル様に取られた手を引っ込めようと動かしたが、逆にぐいっと引き寄せられた。
「ひゃっ」
彼の力に全く及ばないので、私の体は簡単にソファーから浮いた。そのままフィル様に支えられ、彼に抱きしめられる形となる。
(フィル様の体、大きい……)
彼の細い見た目からは想像ができないほど、私を包み込む彼の体はがっちりとしていて大きかった。
ジョエル様とアグネスさんに見られている状態なのに抱きしめられ、嬉しいやら戸惑いやらよりも恥ずかしさが勝る。
「は、離してください」
「何故だ?」
「恥ずかしいのです! ジョエル様とアグネスさんがいらっしゃるのですよ!」
唇が触れ合いそうな距離で私と目を合わせていたフィル様は、私の言葉で目を動かした。そして、私の体が解放される。
逃げるように彼から離れて、ソファーの後ろで息を整えて、高鳴る心臓を抑える。
(これは、心臓に悪いです。寿命が縮んでいる気がします)
「俺らの前で、やることやろうとしないでくださいよ」
「ちゃんと、時と場所を考えないと。ルイーゼ様も水浴びをしてからの方がいいでしょうし」
ジョエル様とアグネスさんが責め立てるようにフィル様に言葉を浴びせているが、色々と突っ込みたいところはあった。
「……お前らの前でやるはずないだろう。そもそも——」
フィル様は何かを言いかけて、途中で口をつぐんだ。その言葉の続きが気になって、私はソファーの後ろから顔を覗かせる。
落ち着きなく目をさ迷わせるフィル様を見て、ジョエル様は不審に思ったのか、顎に手を添える。
「もしかして隊長。ルイーゼ嬢と、一度も……」
「…………」
「俺、隊長がそんなにヘタレで奥手だとは思いませんでしたよ!」
顔を背けたフィル様を見ていると、何だか私も恥ずかしくなってきた。彼と私が夫婦の営みを果たしていないのは、私に魅力がないせいかもしれないのだから。
「ち、違うのですジョエル様。私、そう、私が悪いのです。私に魅力がないから、彼は私に触れたくないのでしょう」
私が口を挟んだら、ジョエル様だけでなく、フィル様も驚いたように目を見開いた。今日はフィル様の珍しい顔を何度も見ている。
私は立ち上がって、足についた汚れを払ってから背を伸ばした。改めて見ると、今の私の格好は、相当恥ずかしいものだった。今すぐ帰って着替えたい。
「違う! ルイーゼが悪いのではない。俺が悪い。俺が、貴女を相手にすると、貴女を抱き潰してしまいそうで……。貴女を傷つけ、貴女に嫌われるのが怖かった。だから、手を出せなかった」
フィル様は目を逸らしながら、覇気のない声でそう言った。まるで彼が話しているように思えず、私は目をぱちくりと瞬く。
「俺は、その、他より性欲が強い」
「それに、隊長はドSで愛が重い。いつも俺達部下にルイーゼ嬢の惚気話を聞かせてくるのです。この人、顔とか行動とかには出さないけど、ルイーゼ嬢のことを愛しているのですよ」
「ジョエル、余計なことを……!」
フィル様は恐ろしいお顔でジョエル様を睨んだが、彼は飄々とした様子で視線を躱した。
(フィル様が、私を愛している?)
私は彼が言ったことが信じられず、ただただ呆然としていた。フィル様は女性嫌いで、同じように私の事も避けているのだと、ずっと思っていたのに。
……多少聞き捨てならない言葉が聞こえてきたが、一旦それは置いておこう。フィル様の性欲が強いという点も、一旦横に置いておこう。
「う、嘘です。ジョエル様は嘘つきです!」
「ええ、何で俺に矛先が!? 嘘じゃないですよ。ねえ、アグネス?」
「嘘ではありません。隊長は、隙あらば妻が可愛いだとか、妻が愛おしいだとか話していらっしゃいます」
朗らかな笑みを浮かべたアグネスさんは、嘘をついているようには見えなかった。
「……いや、俺も嘘ついてないけど」