旦那様が来てしまいました
ここのクラブでは、お酒だけでなく料理も提供されている。腕の良い料理人さんがいて、その点でもヘルダードは人気クラブならしい。
私に与えられた仕事は、基本的にお客様が頼んだ料理を提供するものである。どうやら、お酒を提供しているホステスさんは、お持ち帰りオーケーという暗黙の了解があるらしい。お持ち帰りと言っても、このクラブの二階が宿屋になっていて、そこに連れ込むとことができるようだ。なんとも生々しい。
「ルイーゼちゃん。これ、三番の机にお願い!」
「分かりました!」
料理人さんに完成した料理を渡され、私はそれを持って厨房を出た。
開店してから、お店の中は忙しくなる。客がじゃんじゃんやって来て、賑やかな雰囲気に包まれている。踊り子さん達が踊りを披露し、ノリの良い音楽が鳴り響く。ちなみにこの音楽は、生演奏である。
私はにっこりと笑みを浮かべて、料理を頼んだお客様の机に料理を置いた。
「お待たせしました。ミール海老とレンズ豆のコンソメスープです」
「おお、ありがとね嬢ちゃん!」
お酒に酔った様子の若い男の人は、陽気に笑いながらそう言った。私は頭を下げてその場を去る。クラブでスープなんて、飲みにくくないのだろうか。とてもいい匂いなので、美味しいことに間違いはないだろうけど。
厨房に戻ろうとカウンターに向かっていると、扉のベルが鳴って新しいお客様がやって来た。そちらに目を向け、どきりと私の心臓が音を立てた。
(……フィル様)
宝石の様に透き通った翡翠の瞳を持ったその人は、優美な立ち姿で白い騎士服を着こなしている。彼は冷たい目で店の中を一周見渡して、席に着いた。彼の後にはもう一人若い男の人が付いている。
フィル様はソファーに座って気だるげに足を組み、隣に座った男の人と何やら話をしている。この男の人も見覚えがある。確か、フィル様の部下のジョエル様だったかな。
私は早足でカウンターの内に入り、店側から見えないようにそっと部屋から顔を覗かせた。
何度見ても、彼は英雄フィル様である。事実は変わらない。見間違えなどではない。仮にも夫でありとても美麗な彼を見間違うはずもない。確かに、確実に、私の夫フィル・イラーソ様は、夜の店を訪れているのだ。
つらい、悲しいという思いはある。妻がいるのに堂々と夜の店を訪れている彼に対する怒りもある。それらを感じるよりも先にこれを確たる証拠として残しておく必要がある。
私には、風景をそのまま写す魔道具、写し絵機——別名、カメラがついている。特注でブローチ型のカメラを頼んでおいてよかった。ちなみに特注した理由は、気軽に写し絵が撮りたかったからという、軽い気持ちから。
カメラに魔力を注いで起動し、フィル様の姿がちゃんと写るようにボタンを押した。何枚かシャッターを切って、部屋の中で撮った絵を確認する。ブローチの後ろ側にしか映らないので、はっきりとは見えないが大まかに確認はできる。
(ちゃんと写っています。とても機嫌が悪そうなお顔)
屋敷でのフィル様は穏やかな顔をしていらっしゃるが、ここにいるフィル様は無表情で冷たく鋭い目をしている。仕事が大変だったのだろうか。ヘルダードでその疲れを癒そうとしていらっしゃるのかも。
もやもやと嫌な気分が胸を占める。私は首を振って、写し絵から目を離した。
「ルイーゼちゃん、首を振ってどうしたの?」
「ひゃ、ひゃい! どうもしていません!」
背後からアンナさんに声をかけられ、私は情けない声を上げ、ブローチを元に戻しながら曖昧に笑んだ。アンナさんはくすりと笑みを零し、私の頭を撫でる。
それが気恥ずかしくて、私は目を伏せながらアンナさんに問いかけた。
「あの、アンナさん。あの方は、いつもいらっしゃっているのですか?」
「あの方?」
「……英雄様です」
アンナさんは顎に人差し指を添え、小さく首を傾げた。彼女の仕草一つ一つを、つい目で追ってしまう。
「そうね、週に一回はいらっしゃっているわ。ルイーゼちゃんは、英雄様のことが気になるの? 残念ながら、英雄様には奥さんがいるらしいの」
「……よく知っています」
「……もしかして、ルイーゼちゃんの旦那さんって……」
「…………その、もしかしてです」
目を丸くしたアンナさんを見て、私は自嘲するように笑みを浮かべた。