第三話 ミソッカス王子 ルディ ①
このエルブシャフトに於いて、海洋が占める割合は陸地のそれを圧倒的に凌いでいるが、一碧万頃と譬えられる大海原にも人類は生存圏を広げており、中小規模の国々や少数民族らが独自の文明を構築して繁栄を謳歌していた。
しかしながら、大陸で覇を競う国々と対等に渡り合えるほどの力を有している国は極めて稀であり、海皇伝説発祥の国として知られるアスティア皇国を盟主とした島嶼国家連合体オケアヌス(通称・連合)を形成することで、辛うじてだが大陸の強国にも引けを取らない体制を維持しているのである。
だが、運命共同体であるはずの連合に加盟している国々も内部には様々な事情を抱えており、決して一枚岩ではないのが実情だ。
然も、歴史的背景や国力の差による序列は厳然と存在しており、旧態依然とした体制や格差へ不満を懐く為政者は少なからず存在していた。
そして、そんな連合のヒエラルキーの中でも最下層に位置する加盟国のひとつであるエレンシア王国から、この物語は始まるのである。
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「どうか御考え直し下さい、エドガー兄様っ! ミハイル兄様と王位を懸けて勝負をするなど馬鹿げているにもほどがありましょう。然も、選りにも選って海賊討伐で功を競うなど、正気の沙汰とは思えません!」
エレンシア王家末弟ルディアスは必死の形相で懇願するが、次兄エドガーの反応は極めて冷然としたものだった。
「文句ならば後継者を指名しないまま戦死した父上に言うがいい。況してや、王妃たる母上までもが病状を悪化させて身罷られた以上、私とミハイルのどちらが次期国王に相応しいか決着を付けなければ、国がふたつに割れてしまうではないか」
その言は真に理に適ったものではあるが、だからといって、王位継承権を有する兄弟同士で争えば、それがいかなる結果に終わったとしても、将来へ禍根を残すのは避けられない……。
そう確信しているルディアスは、叱責されるのを覚悟して更に言い募った。
「実の兄弟で争う必要はない、と申し上げているのです。武に秀でたミハイル兄様と政に優れた才を持つエドガー兄様が協力しあえば、長年に亘って停滞したままの我が国の現状を打破することも出来ましょうに!」
その諫言の是非はともかく、端から末弟の意見など眼中にないエドガーは、蔑むかのような視線で一瞥するや、我欲に塗れた意志を露にする。
「ミソッカスの分際で生意気な口を叩くな! 槍を振り廻すしか能がないミハイルなんぞの風下に立てるものかよ!」
憤怒の形相で吐き捨てられた醜い言葉を、ルディアスは失意の中で受け止めるしかなかった。
(やはり、私ごときの諫言では聞き入れてはもらえないか……庶子であるがゆえに軽んじられるのは仕方がないが……)
※※※
己の無力さを自身の出自の所為にはしたくなかったが、王位継承権すらない身では説得すら儘ならないのだから、ルディアスが落胆するのも無理はなかった。
ミハイルとエドガーは急逝した王妃が生んだ子だが、ルディアスの生母は素性も定かではない流浪の踊り子であり、先代王の強引な寵愛の末に側室になったという経緯がある。
つまり、彼が庶子だという事実が、全ての理不尽な待遇の根っこにあるのだ。
然も、その母も物心つくまえに病死してしまい、父である先王も正妻を慮ってか、愛妾の生んだ子には冷淡な態度で接するのが常だった。
歴とした王族であるルディアスが、肉親はおろか多くの家臣たちからも冷遇されているのは、そんな不幸な生い立ちに因るところが大きいのである。
しかし、そんな末王子も、決して孤立無援というわけではなかった。
誰が相手であっても、諫言を躊躇わない生真面目な性格を慕う家臣は少なからず存在しているし、その温厚な人柄に好意を寄せる領民が多いのも確かなのだ。
そんなルディアスだから、馬鹿げた今回の決定にも当然のように異議を唱えて、真っ先に王太子であるミハイルを諫めたのだが、血気盛んな武人肌の長兄の言葉は、エドガーを凌ぐ苛烈なものだった。
『机上の空論を振り翳すだけのモヤシ野郎が王? 考えただけでも寒気がするぞ。王たる資質など、エドガーには欠片もない!』
『俺こそがエレンシアの王に相応しいのだ! 今回の勝負は正に僥倖。身の程知らずの愚弟を叩きのめした上で、奴を担いで栄達を図らんとする馬鹿な重臣らも王宮から一掃してくれるわッ!』
『諄いぞ、ルディアス! どこの馬の骨とも知れぬ下賤な踊り子風情が生んだ孺子の分際で、次代の王たる俺に意見するなど百年早いッ! 身の程を弁えよッ!』
その言動には一分の理もなく、荒ぶる本能のままに己が欲望を押し通さんとする姿からは、一国の王に相応しい威厳や秩序は微塵も感じられない。
だからこそ、迷いに迷った先王は、王太子であるミハイルが居るにも拘わらず、正式に次期国王を指名をできずにいたのである。
結局、先王が何も決めぬままに崩御したことで勃発した後継者争いだが、我こそが次期国王だと主張して譲らない兄弟に重臣たちが提案したのが、海賊討伐による武勲を競い、勝利した方が王位を得る、という乱暴な方法だった。
『将来に遺恨を残さないためにも、フェアーな方法で決着を付けるべきです』
ミハイル派の筆頭である宰相オットー・バルグ卿と、エドガー派筆頭で国務大臣のハロルド・グラーテ卿が話し合った末の妥協案だったが、他の重臣らは元より、王家を守護するべき騎士団からも異論はでなかった。
しかし、唯一人ルディアスだけが、この無益な争いを回避するべく説得を諦めなかったのである。
※※※
(ミハイル兄様が譲らない以上、何とかしてエドガー兄様を説得するしかない)
そう思い定めたルディアスは、夜分にも拘わらず次兄の私室を訪ねて説得を試みているのだが、旗色は極めて悪かった。
王位継承を懸けた海賊討伐戦は間近に迫っており、騎士団からも各三十名で編成された近衛隊が選抜され、ミハイルとエドガーの指揮下に入ると決定している。
ただ、今回の遠征は他国との戦争ではないという事情から国民を徴兵することはせず、金で雇った傭兵で戦力の穴埋めする算段もついていた。
しかし、どれほどフェアーな勝負だとはいっても、懸かっているのは王位だ。
どちらが勝利を手にしたとしても、我こそが国王に相応しいと主張して譲らない長兄と次兄が素直に敗北を認めるとは思えない……。
それが、ルディアスが最も懸念している点だった。
「考えてもみてください、エドガー兄様。今回の争いがどのような結果になるかは分かりませんが、敗れた方が納得するとは到底思えないのです。それが原因となって万が一にも内戦へと発展すれば、悲嘆に暮れるのは国民なのですよ!」
「だから何だというのだッ! 碌に税も収められぬ貧乏人どもが文句を言うなど烏滸がましいにもほどがあるぞ。この国に寄生するしかない弱者は黙って王に従っていればいいのだ!」
「正気で言っておられるのですかっ!? 民が貧苦に喘いでいるのも、元を質せば失政が原因なのは明らかでしょう!」
「僭越だぞ、ルディアス──ッ! 流民の血を引く卑しい庶子の分際で政にまで嘴を差し挟むつもりか! 身の程を知れッ、この愚弟がぁッ!」
激昂したエドガーから浴びせられた叱責にも反論はせず、この世に送り出してくれた実母を辱められた怒りにも耐えたルディアスは、そんな些事に構っている暇はない、と強く己に言い聞かせた。
只でさえ、エレンシア王国は国難の真っ只中にある。
度重なる季節嵐の来襲を受けた所為で農作物に甚大な被害が生じており、何かしらの対応策を講じねば、大規模な飢饉に見舞われるのは避けられない状況だった。
そんな時に次期王位を巡って王家が分裂するなどあってはならないし、困窮している国民の為にも穏便に事態を収束させなければならないのだ。
(何としてもエドガー兄様を説得し、無用な争いを回避しなければ……)
その一心で尚も説得を続けようとしたのだが、それは、背後から発せられた怒気を含んだ一喝によって遮られてしまうのだった。
「実の弟君への余りにも無慈悲な物言い! 御取消しください、エドガー殿下!」
今話から登場の主人公の片割れであるルディアス・エレンシア(愛称ルディ)は、瑞月風花様【https://mypage.syosetu.com/651277/】の秀作『あの薔薇が咲き乱れる頃には』【https://ncode.syosetu.com/n6415hl/】の主人公 ルディ・w・クロノプス君からファーストネームをお借りし、愛称として使わせて頂いております。
本作では「ミソッカス」と表記しておりますが、決して無能というわけではありません。
まだ15歳の少年。今後の成長とライとのコンビに御期待ください!