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第一話 ワケあり傭兵 ライ ④

 覚醒した瞬間から漠然(ばくぜん)とした違和感は感じていた。

 赤ん坊の覚束(おぼつか)ない視覚や聴覚であっても、周囲の様子を(うかが)うのに不自由はしなかったし、前世記憶のお陰で得た情報を理解するのも容易(ようい)だったが、それは、不安と混乱を助長させるだけだった。


 周囲には出産に必要な機器は元より、近代的な医療器具など何ひとつなく。

 医療施設であるにも(かか)わらず、普段着にエプロン姿という軽装の女性らが、平然とした顔で歩き回っている様子には只々驚くしかなかった。


『医療レベル云々(うんぬん)以前に、感染症への予防概念すらないのか?』


 そんな劣悪な状況下でせめてもの救いだったのは、随所に(なま)りこそあるものの、彼女らが口にしている言語が英語に近しいものだったことだ。

 しかし、馴染みのある言語に接したことで一時は不安が軽減したものの、(むし)ろ、新しい情報を得るたびに謎は深まるばかりで、ライは途方に暮れるしかなかった。

 そして、最も彼を打ちのめしたのは、この世界では電気やガスすら実用化されていないという事実だった。

 室内の灯りを供給しているのは、骨董品と呼んでも差し支えのないランプばかりだし、暖房器具と呼べるのは、壁際に鎮座している暖炉のみという有り様。


『過去に跳ばされた? タイムスリップ? そんな馬鹿なことが……』


 そんな荒唐無稽(こうとうむけい)な考えが脳裏を(よぎ)ったのも無理はないだろう。

 しかし、その直感は、まさに正鵠(せいこく)()ていたのである。


            ※※※


 自力で動けるようになるまでの葛藤(かっとう)如何(いか)ばかりだったかは筆舌に尽くし難いものがあるが、月日を重ねて成長するに従い『この世界は地球とは似て非なるもの』だという結論に至った時、困惑は好奇心へと変化していた。


 この世界の知的生命体と呼べる存在は人間のみであり、巷で人気のファンタジー小説のように、エルフやドワーフ、魔族や精霊などの異種族が実在しているわけではない。

 言語は前世地球で使用されていたものばかりであり、英語が公用語としての役割を果たす中、地方では複数の言語が入り混じっているのが普通だった。

 また、距離や重さなどの単位を示すものも同じであり、メートルやグラムといった馴染み深いものが、何の違和感もなく共通の概念として各地で使用されている。

 世界観としては、前世地球の中世から近世辺りのものだと表現するのが適切であり、封建制から共和制まで様々な形態の国々が乱立しているのが実状だ。

 似通(にかよ)っているのはそれらばかりではなく、食文化や民の生活様式も大差はないと断言しても差し支えはなかった。

 肉や魚や野菜などの食材は大概のものがあるし、地方によって差はあるとはいえ、食堂や酒場で供される料理も見慣れたものが多い。


 これらの類似点だけを見れば、この世界が地球と何らかの関りがあると考えても不思議ではないが、当然ながら無視できない相違点もあった。


 最も大きな相違点は〝魔法”という異質な概念の存在だ。

 数多(あまた)の物語に登場し、その驚異的な術によって他を圧倒する力。

 その魔法が厳然と実在し、国家の存亡やバランスすらをも左右するという事実は驚倒に値するし、その力が民間の生活様式にも多大なる功績を及ぼしているとなれば、決して無視できないものであるのは言うまでもないだろう。


 また、人間以外の異種族は存在しないと先に述べたが、ファンタジー小説定番の幻獣と呼ばれる生物は少数ながら実在しており、竜種やペガサス、クラーケンなどの大型の海洋生物も確認されている。

 彼らの多くは、一部の例外を除いて人間が立ち入らぬ世界で独自の生存圏を確立しており、その縄張りを侵されない限りは敵対しないというだけで、明らかな害意には相応の力を行使することを躊躇(ためら)わないのもよく知られていた。

 よって、先人たちはこの異種族を害獣と決めつけ、知的生命体とは認めなかったのである。


 そして、決定的な違いは、このエルブシャフトという世界が、久藤悠也の記憶にある地球世界とは似ても似つかないものだという点だ。

 夜空に拡がる星々や星座に違いはなく、この世界が球形の惑星であるのは疑いようもないが、実際の世界地図を比較すれば違いは一目瞭然だった。

 大陸と呼ばれるものは、前世地球に()ける欧州南部からアフリカ大陸中部に及ぶ位置にある『西の大陸グラーシア』と、カリブ海から南アメリカ大陸辺りにある『東の大陸ベルダン』の二つしかない。

 その他は広大な海洋が占めており、数多(あまた)島嶼(とうしょ)国家群は存在するものの、人類の生活圏は、前世地球よりも限定的だと言わざるを得なかった。

 残念ながら、海流やその他の自然現象による航行不能領域は多く残されており、極北地域が如何(どう)なっているかは、(いま)だに謎のベールに包まれたままだ。

 そして、前世の大西洋に当たる海域には、まるで、グラーシアとベルダンを(へだ)てるかのような断崖絶壁が(そび)え立っており、大海洋のど真ん中を南北に走る巨大な滝を形成している。

 その高さ百メートルにも及ぼうかという壁が、北と南にある航行不能領域までを貫いており、二大陸間の直通航路を遮断(しゃだん)する役目を果たしていた。


 まだまだ解明されていない点が多いとはいえ、このエルブシャフトが、前世地球と何かしらの関係があるのではないか、との仮説は崩れつつある。

 (いま)だこの世界を踏破し尽くしたわけではないが、時間だけが容赦なく過ぎていく現実を無視することはできない……そう、ライも思い始めていた。


(そろそろ見切りをつけるべきかも知れないな……)


 そんな諦観(ていかん)に思わず溜め息が(こぼ)れそうになるが、それは、待ち兼ねた相手の登場によって呑み込むしかなかったのである。


           ※※※


「いやぁ、お待たせして申し訳ありませんでした、ライ様。今朝がたベルダンから船団が帰港しましたので、その対応に追われておりました」


 軽快な足取りで執務室に入って来たフィン・クロノスは、鷹揚(おうよう)で人当たりの良い性格を滲ませた微笑みと共に非礼を()びるや、対面のソファーへ腰を下ろした。

 茶褐色の髪と鳶色(とびいろ)の瞳、そして彫りの深い顔立ちは人気の劇俳優を彷彿(ほうふつ)とさせる(おもむき)があるが、白一色のドレスシャツに銀細工の留め具が(きら)びやかなループタイ、上質の生地で仕立てられた紺のウエストコートと、(しわ)一つない同色のトラウザーズを(いき)に着こなしている姿からは、大商人と呼ぶに相応(ふさわ)しい貫禄が(うかが)える。


「お気遣いには及びませんよ。勝手気儘な傭兵暮らしですので、時間だけは無限にありますから……統一されたベルダンの様子はどうですか?」


 相手の素性も性格も熟知している二人だけに、余計な挨拶は(はぶ)いて本題に入る。

 東の大陸と呼称されているベルダンは、つい二年前にハイデルランド帝国により武力統一され、その国家方針に沿って鎖国政策が執られており、他の国々との外交や貿易を行ってはいない。

 だが、今は亡き先帝の御代(みよ)からの長い付き合いがあるクロノス商会だけは例外中の例外であり、東と西の大陸を結ぶ唯一の航路を保持する大役を(にな)っていた。

 (もっと)も、神聖ヴィエーラ教国や、ギルド機構の複合体であるクレアシオン同盟は、その事実を苦々しく思っているのだが……。


「敗戦国の重鎮らで結成された抵抗組織も駆逐され、(ようや)く本格的な復興に取り掛かれると民衆も沸き立っておりますよ。お陰様で我が商会も大忙しです」

「そうか……大陸統一は帝国の悲願だったからな……何にせよ目出度(めでた)い限りだ」


 一瞬胸を(よぎ)った切なさを持て余すライだったが、すぐに表情を改めた。


「それで、本日の御用向きは何でしょうか? 契約上のトラブルは何もなかったと思いますが、まさか、ラムダ王国から何か言ってきましたか? 敵の首都攻略前に離脱したのが不味(まず)かったですかね?」


 思い当たる節が他にないが(ゆえ)に口にした憶測を、フィンは笑顔で否定する。


「そんな愚にもつかない抗議の相手をする義理はありませんな」


 そして、ウエストコートのポケットから、高さ十センチほどのガラス瓶と封蝋(ふうろう)された手紙を取り出すや、そっとテーブルの上に置いた。


「実は、ハイデルランドへ派遣していた船団の責任者が、貴方様宛の荷物を預かってきたのです……送り主はレナード様とのことでした」


 久しぶりに耳にした(なつ)かしい名前に郷愁を呼び覚まされたライは、無意識のうちに口元を(ほころ)ばせてしまう。


「彼は……相変わらずですか?」

「はい。新しい国家事業も順調だと(うかが)っておりますし、益々ご活躍ですよ」

「そうですか……元気でいるのならば、喜ばしいかぎりだ」


 そう(つぶや)いたライは卓上に置かれた小瓶を手に取るや、密封された透明な液体と、底に鎮座して淡い光を放っている白銀の結晶石に見入った。


「これは……聖輝石(せいきせき)じゃありませんか?」

「ええ、半年ほど前にベルダン東部の砂漠地帯で鉱床が発見されたそうです」


 フィンが吐露した情報は朗報に該当する(たぐい)のものだが、手放しでは喜べない事情がある。

 この世界に流通している魔道具の核や魔法の媒体としても使用される聖輝石(せいきせき)は、魔法絶対主義を掲げている神聖ヴィエーラ教国が、産出国から管理を委託されている希少鉱石だ。

 だが、管理の委託というのは対外的体裁を(おもんばか)ったものに過ぎず、その実態は、強制的搾取による独占と言っても過言ではなかった。

 勿論(もちろん)、加工するには魔法技術が必要不可欠であるが(ゆえ)に、魔力を持たない者には無用の長物であるが、(わず)かばかりの便宜と引き換えに所有権を譲渡せよというのは余りにも理不尽、との不満の声が関係諸国の間で(ささや)かれているのも事実だ。

 しかし、多数の魔法士を抱えている教国に正面切って逆らうのは得策ではなく、全ての産出国が泣き寝入りをしているのが実状だった。


「厄介ですね……新鉱脈の情報が教国の耳に入ったら、必ず一悶着ありますよ」


 ライは難しい顔で懸念を口にしたが、帝国中枢とも気脈を通じているフィンは、その点は心配ないと断言する。


「あちらでは厳しい箝口令(かんこうれい)が敷かれておりますし、帝国には複数の亡命魔法士もいますからね……解析を終えて利用法が確立するまでは、対外的取引の材料にはしないでしょう」


 ベルダンの事情を熟知しているフィンが言うのだから間違いはないだろう。

 そう判断したライは、ガラス瓶の隣に置かれた封筒を手にした。

 開封した中に入っていたのは、たった二枚の便箋のみ。


『君の無事だけを祈っている。──レナード・ノイギーア──』


 一枚目の便箋には短い言葉と名前、そして別紙には、ガラス瓶に密封された液体の使用方法と注意事項のみが書かれていた。

 あまりにも素っ気ない内容で拍子抜けもしたが、(むし)ろ、シャイなレナードらしいと思えば、妙に可笑(おか)しくて含み笑いが零れ落ちてしまう。


(激情家のくせに感情を表に出すのは苦手……本当に変わりないようで安心したよ、レナード。だが、口下手なのは文章にも伝染するものなのかな?)


 そんな感傷に浸っていたライは、フィンからの問いで現実へ引き戻された。


「次のご予定はお決まりですか? 何か必要な情報があれば準備させますが」

(しばら)くは骨休めをするつもりですが、できるだけ早いうちに、神聖ヴィエーラ教国の影響が強い北の辺境域へ足を延ばしてみようと思っています」

「そうですか……分かりました。傭兵を募集している国を(いく)つかリストアップさせておきますので、静養を終えられたら、必ずお立ち寄りくださいませ」

「ご助力に感謝します……それでは、これで……」


 ライが短い謝意を口にしたのを合図に、二人は立ち上がって握手を交わす。

 それだけで気持ちが通じ合う、信頼という絆で結ばれた関係。

 そんな心地よさに多少の未練を覚えながらも、ライは(きびす)を返すのだった。

新作投稿の際に上げました活動報告に書きました通り、本作に登場するキャラクターの中には、交流させて頂いております書き友の皆様方の大切なお子様方キャラクターたちのファーストネームのみを使わせて頂いている人物がおります。(数は多くならない予定です……たぶん。笑)

性格や立ち居振る舞いは別人ですが、もしも、お心当たりのキャラだと気付かれたならば、本作と比較して楽しんで頂けたら幸いです。


作者の方には事前に御了解を頂戴しておりますが、登場時に後書きにて紹介する事にいたしました。


今回登場のレナードは、汐の音さま【https://mypage.syosetu.com/1476257/】の御作『はちみつ色の東風の姫~公爵令嬢の恋事件簿~【https://ncode.syosetu.com/n3635hm/】にヒロインの兄役として登場する愛すべきシスコン兄様です。(ごめん、レナード・エスト君!)

また、彼のフィァンセになるソラシア嬢も後日登場予定ですので、ファンの方は御楽しみに。

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逃げていた王子様がルディ?と思って、めっちゃ追いかけてしまいました。それで登場人物説明へ戻ると、国が違ってました(笑)活動報告で伺っていたお話で言えば、もう少し後でしたよね。焦りは禁物(汗) 王道の転…
ターンでエーのような世界か。 もしくは、もしもな電話ボックスを用いて変えられてしまった元の世界か。 というか、滝だと(;゜Д゜) 某司法の島のアレみたいなものですかねぇ。 世界地図……あったらいい…
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