第一話 ワケあり傭兵 ライ ③
自軍の将軍が戦死したとの報が戦場を駆け巡るや、オトゥール王国軍城塞守備兵らは総崩れとなり、我先に潰走へと転じる。
一方で混乱から立ち直ったラムダ王国軍は、武器すら投げ捨てて逃げ惑う敵兵らへ容赦ない追撃を浴びせるのだった。
現金なもので、一時は命惜しさに恥も外聞もなく逃げ出した王太子と取り巻きの騎士らも、味方が優勢に転じたと知るや、再び馬首を返して戦場へと駆けて行く。
(厚いのは面の皮だけか……アレが次の王では、ラムダ王国も先が見えたな)
その後ろ姿を見送りながら溜め息を吐いたライは、討ち取った敵将の首をブロスへ渡すと、踵を返して南の方角へと歩き出した。
「手柄はアンタに譲るよ。報酬は代理人の口座へ振り込んでくれ、と部隊長へ伝えておいてくれ。それじゃあな。達者で暮らせ、ブロス」
「おい、ライ! 首都攻略には加わらねえのかよ? やっと美味しい思いができるんだぜ!?」
国家形態は違えど占領地での略奪行為を禁じている国はない。
寧ろ、雇われ者の傭兵や下級兵士の奮起を促す為に、積極的に蛮行を奨励しているのが普通だ。
だが、そんな慣例に賛同する気など、ライには微塵もなかった。
戦争に勝利した側が全ての栄光と財貨を手にするのは当然の権利だし、その行為を否定するつもりはない。
しかし、か弱い女子供を含む力なき民衆が蹂躙されるのは間違っている……。
自衛隊、そして、防衛軍士官として生きた久藤悠也はそう信じているからこそ、理不尽な蛮行へ加担する気になれないのだ。
だから、戸惑いを露にするブロスに肩を竦めることで返事の代わりとし、二度と振り返りはしなかったのである。
(戦う術もない民間人を手に掛けるのも、陰惨な略奪に加担するのも真っ平御免だ……とは言え、さんざん他者の命を奪ってきた俺に、綺麗ごとを口にする資格はないのだろうがな)
弱者を踏み躙る行為への嫌悪感と、自虐めいた諦観が胸の中で鬩ぎ合う。
そんな苦い想いを振り払うかのように、ライは足を速めるのだった。
◇◆◇◆◇
ラムダ王国から街道沿いに南下すると、二週間ほどでグラーシア大陸南部にあるポルトベルグ共和国へ辿り着く。
封建制国家が大半を占めるエルブシャフトに於いて、議会制民主主義を国是として掲げている数少ない国の一つであり、大海に面している利点を生かした海洋貿易で潤っている経済大国として知られた存在だ。
各種職業ギルドの集合組織である経済産業複合体・クレアシオン(通称 同盟)の影響は限定的で、複数の大商人で構成される自治組織が経済活動の全てを掌握しており、議会に対する強い影響力を有している稀有な国家でもある。
そんなポルトベルグ首都リーベラの中心街にライの姿はあった。
※※※
(海風が心地いいな……しかし、活況を呈しているのは目出度い限りだが、骨休めをするには、少々騒がしいのが玉に瑕か……)
縦横に張り巡らされた街路は行き交う人々や馬車の波でごった返しており、いつもと変わり映えしない煩雑な光景に思わず苦笑いが零れてしまう。
護岸工事によって整備された港湾地区にある数多の桟橋は、他国から荷を運んで来た船と、内陸からの荷を満載して出港する船で常に賑わっており、この国の豊かさを象徴している光景だと言っても過言ではないだろう。
沿岸航路を使ったグラーシア大陸の各国家と、中央大海と呼称されている大洋に広く分布している海洋諸国家が主な貿易相手だが、国交を閉ざしている東の大陸との航路も確保しており、鉱産資源や希少金属の密貿易で莫大な利益を得ていた。
その事実は決して表沙汰にはできない案件であり、議会と自治組織の幹部のみが共有する秘事だが、どんな組織であっても綻びはあるものだ。
東方大陸との航路の存在はクレアシオンも把握しており、神聖ヴィエーラ教国の高位指導者らも、関心を示しながらも沈黙を貫いているのであった。
※※※
ライがリーベラを活動拠点にしている理由は多々あるが、この街が彼の支援者でもある大商人の御膝元だから、というのが最も大きな理由である。
この世界には〝冒険者”と呼ばれる職業は存在しておらず、全ての荒事を請け負う者らは〝傭兵”と一括りにされるのが一般的だ。
当然だが、他の職種と同様に彼らを統括するギルドも存在しており、登録している傭兵たちからの絶大な信任を得ていた。
この傭兵ギルドの力には侮れないものがあり、所属する傭兵らの権利の代行者として、各国の王家や貴族も無視できない地位を確立している。
だからこそ、雇用契約に於いて有利な条件を勝ち取るために大半の傭兵がギルドへ加盟しているのだが、一匹狼を貫く変わり者も少数ながら存在しており、ライもそのうちの一人だった。
とは言え、身元も確かではない風来坊が国家や領主らを相手に傭兵稼業を続けていれば、往々にして不都合な事案を避けられないこともある。
そんな厄介事を回避する為に、貴族や有力な商人の支援を受けるという手があるのだが、誰でも、というわけにはいかない。
実力と実績、そして高い名声が求められるのは言うまでもないが、それ以上に、人間としての器量も一流でなければ相手にもされないのが常だ。
その条件をライは満たしており、彼にとってパトロンと呼べる人物こそが、豪商と名高いクラウス商会総帥フィン・クロノスなのである。
※※※
行き交う人波を巧みに避けながら、港湾施設の入り口に面した広場前にある豪奢な五階建ての洋館へ到着したライは、出入りする商人らに交じって中へと入った。
フロアーの奥にある長大なカウンターでは多くの職員と商人らが何かしらの会話を交わしており、衝立で仕切られた小部屋では、貿易商らしき者たちが熱弁を戦わせている。
そんな彼らの熱気が充満するホールを足早に踏破したライは、カウンターの奥に馴染みの顔を見つけると、慣れた様子で軽く片手を上げた。
身なりの整った商会の従業員や商人たちとは違い、薄汚れたマントに身を包んだライの姿は酷く奇異なものだが、その職員は好意的な態度で歓迎してくれた。
「ようこそ御越しくださいました、ライ様。今回は随分と長く留守にされていましたね。会頭も心配しておられましたわ」
この三十代半ばであろう女性職員とは長い付き合いであり、温もりを感じさせる労いの言葉を耳にすれば、自然と口元が綻ぶのが分かる。
「先に依頼された案件を片付けた後に飛び込みの仕事を受けたからね……契約した相手はラムダ王国なんだが、報奨金と必要経費は支払われているかな?」
「はい。全て受領済み、と支店より報告が来ておりますわ」
毎度お決まりの確認作業だけに対応も手慣れたもので、早々に用件が片付いてしまったライは、これから如何したものかと思案に暮れた。
報酬が手に入ったことで懐は温かいし、当面は戦場で染みついた垢を落とす為にも静養するつもりだが、然う然う呑気に休んではいられない事情もある。
(我ながら面白味のない唐変木だとは思うが、謎の手掛かりぐらいは掴まなければ、血生臭い傭兵稼業を続けている意味がないからな……)
結局、有意義な解決法を思いつけなかったライは、腹ごしらえをしてから寝蔵にしている安宿へ向かおうと決め、商会を出ようとしたのだが……。
「あっ、お待ちください、ライ様。貴方様がお見えになられたら御引き止めするようにと会頭より申し付かっております。お疲れのところ恐縮ですが、どうか御時間を頂けませんでしょうか?」
パトロンからの申し出を断るなどできるはずもなく、楽しみにしていた酒場での一杯を後回しにしたライは、最上階にある総帥室へと向かうのだった。
◇◆◇◆◇
「会頭は間もなく参ります。恐縮ですが、いま暫くお待ち下さいませ」
執務室へ案内されて応接セットのソファーに腰を下ろしたライは、柔らかい物腰で微笑む女性職員へ丁寧に頭を下げて謝意を表した。
そして、改めて室内を見廻せば、何とも複雑な思いが胸の中に零れてしまう。
(いつ来ても慎ましいものだ。エルブシャフトでも三本の指に入る豪商なのにな。まぁ、フィンらしいと言えば、その通りなのだが……)
商館最上階の奥まった一角にある小さな部屋。
それが、名だたる国の為政者たちとも対等に渡り合う大商人フィン・クロノスが日々の大半を過ごす空間だが、その高い声望には似つかわしくない白壁のみの簡素な造りが、彼の実像を如実に物語っていた。
(名声や栄誉に溺れる事はなく鷹揚で寛大……見栄や虚栄とも無縁の人だからな。だが、多少の飾りっ気はあってもいいだろうに……)
知り合って早くも二十年という月日が流れたが、気心が知れた関係になった今でも、ライにとってフィン・クロノスという男は、心の奥底に仕舞った本心を簡単には見せてくれない厄介な相手だった。
窓のガラスを通して差し込んでくる柔らかい陽光が心地良く、ソファーの背凭れに身体を預けたライは、そっと息を吐く。
傭兵稼業に身を投じて十年。
故郷を飛びだして戦場を渡り歩くようになった理由は唯一つ。
『この世界の実相と、転生という奇跡が己が身に降り懸かった理由を知りたい』
そんな埒もない願望を抑えられなかったからに他ならない。
このエルブシャフトという世界は、久藤悠也として生きた前世の地球と余りにも似通っており、そんな世界に赤ん坊として生まれ変わったことが、偶然の産物だとは到底思えなかったのだ。
然も、久藤悠也としての経験と知識を有した儘となれば、そこに何かしらの思惑が絡んでいるのではないかと考えたのも、決して荒唐無稽なことではないだろう。
だが、この世界は各地で国家間の紛争が頻発しており、封建制度の色合いも強くて国境の出入りは元より、街道の通行にさえ難儀することが珍しくはない。
そんな状況下で何の手掛かりもなしに世界を彷徨うなど非現実的であり、だからこそ、ライは傭兵として生きる道を選択したのである。
国家や自治組織と契約を結んだ傭兵は、関所や国境などでの便宜を図って貰えるのが暗黙の了解になっているし、どこに居ても不思議には思われない職業だというのも好都合だった。
ただ、傭兵ギルドに所属せず、フィン・クロノス商会と単独契約を結んだのは、あくまでも、自らの自由を担保したかったからでもある。
ギルドに所属した場合、その強大な組織力を背景にした様々な優遇措置が得られる反面、強制的な依頼に縛られることも多く、戦場以外で自由に行動するなど許されないのが実情だ。
それは、ライにとっては不都合以外の何ものでもなかったし、可能な限り避けるべきだと判断したのは、至極当然のことだった。
しかし、そんな生活も既に十年という月日が経過し、当初懐いていた渇望するかのような熱量は薄れつつある。
(それだけ、この世界に馴染んできたということか……)
徒労感と僅かばかりの虚しさを感じたライは、皮肉げに口元を歪めるのだった。