第一話 ワケあり傭兵 ライ ②
「この悪党め……耳障りの良いおべんちゃら一つで道化役を演じさせられる間抜けな王子さまが哀れに思えてくるぜ」
非難めいた物言いとは裏腹に喜色に満ちた表情を隠そうともしないブロスの言に顔を顰めたライは、いかにも面倒くさいと言わんばかりに吐き捨てた。
「人聞きが悪いことを言うなよ。俺は殿下の御希望を叶えて差し上げただけさ……尤も、分不相応な身分に胡坐をかいた気位ばかりが高いボンボンなんか、敵を釣り出す餌ぐらいにしか使い道はないがな」
「ひでえ言い草だ。だがよ、あの馬鹿王子が討ち取られでもしたら、俺らの苦労も全部水の泡じゃねえか?」
「報奨金を取りっぱぐれるのが嫌ならば、力を出し惜しまずに全力を尽くしな……おっと、どうやら完全に崩れたな……騎馬隊が敗走に転じたぞ」
ライの言葉に促されて目を凝らしたブロスは、馬首を返した騎士団が遁走を始めた様子を見て舌舐めずりする。
攻城戦に於いて騎馬隊が無用の長物であるのは自明の理だ。
本来ならば城門を攻める歩兵部隊の後方で待機しているべきだが、城塞攻略後に王都へ一番乗りを果たさんと意気込む王太子が、最前線近くまで突出していたことが災いした。
守備側のオトゥール王国軍を指揮する将軍は、〝飛将軍”の異名で近隣の諸国から恐れられている知勇兼備の騎士団長だ。
そんな百戦錬磨の名将が、攻め手の後方に位置している騎馬隊の中に華美な装飾が施された鎧を纏った騎士がいるのを見逃すはずがない。
(あれこそが敵将に違いない。纏う鎧から推察するに王族の可能性もある。ならば今こそが千載一遇の好機。あの者を捕えさえすれば、不利な戦況を覆して有利な交渉に持ち込めるはずだ!)
そう決断するや否や虎の子の投石器の狙いを後方の騎士団へと定め、城壁へ迫る敵兵には落石と弓矢による苛烈な攻撃を敢行した。
そして、城門前に群がる攻城部隊が怯んだ隙を突いて門扉を開け放つや、自らが先頭に立って全軍で討って出たのである。
この敵の突貫に不意を衝かれた攻め手のラムダ王国軍は混乱し、狭い平地の各所で激しい混戦が繰り広げられた。
当然ながら討って出たオトゥール王国軍の方が士気は高く、城塞前に陣取っていた敵軍を蹴散らすや、猛然と突撃を敢行したのである。
そして、敵将兵らの標的にされた王太子はというと、地響きを纏って迫り来る鯨波に恐れをなし、指揮も何もかもを放棄して一目散に逃げだすという醜態を曝すのだった。
この時点で完全に統制を失ったラムダ王国軍は、組織的な反撃など不可能な状態にまで追い詰められてしまう。
このままでは王太子が討ち取られるか捕縛されてしまうのは避けられず、誰もが惨めな敗北を覚悟したのだが、この流れは全てライの思惑通りでしかなかった。
その証拠に戦場を俯瞰している彼は、背後の茂みで出番を待っている仲間たちへ、片方の口角を吊り上げた悪い顔で嘯いたのだ。
「敵は罠に嵌ったぞ。敵騎馬隊の先頭が通過したら、たらふく矢をお見舞いしてやれ。崩れたところで突撃して敵将を討つ。それで、この戦いは終わりだ」
※※※
〝飛将軍”の名で知られる勇将ローマン・ボルトレーは、逃げ惑う雑兵らには目もくれずに愛馬を疾駆させた。
狙うのは背を向けて一目散に逃げている敵将らしき騎士のみだ。
(あ奴を捕えさえすれば、不利な戦局を覆せる!)
彼の周囲を護衛する上級騎士らの狼狽ぶりからも、己の直感は間違ってはいないと確信したボルトレーは、追随して来る配下の騎士らを振り切る勢いで愛馬を駆り立てた。
この先は両側に小高い岩壁が立ち並ぶ隘路になっており、逃げ込まれれば捕縛が困難になる恐れがある。
(だが、地の利は我が方にある! 敵将の拙い馬術ならば追い付けるッ!)
チラリと背後を振り返れば、手塩にかけて育てた配下ら三十騎が懸命に追ってきている姿が目に入り、ボルトレーは勝利への確信を深めた。
目指す敵将との距離は僅か二十メートルにも満たず、護衛の騎士らが馬首を返して立ち塞がらんとする気配すらもない。
ここで自らが一撃を加え、敵騎馬隊の逃げ足を鈍らせさえすれば、追随してくる配下らが雪崩れ込んで目的は容易く達せられるはずだ。
そう確信したボルトレーは、更に馬足を速めて敵集団の背後へと肉薄する。
そして、隘路に突入したのと同時に最後尾を遁走する敵騎士へ刃を振り下ろそうとしたのだが……。
意に反して凄絶な悲鳴が上がったのは背後からだった。
然も、同時に数本の矢が周囲を掠めたが為に、嫌でも馬の脚が落ちてしまう。
そして、振り向いた先に見たのは、降り注ぐ矢の餌食となった配下の騎士らが、砂煙舞う大地の上でのた打ち回る無残な姿だった。
さらに、岩壁の上から身を躍らせた敵兵らが迫り来るのを見れば、誘い込まれて罠に嵌められたのだと悟るしかなく、憤怒に顔を歪めたボルトレーは怨嗟の言葉を吐き散らすしかなかった。
「おのれえぇぇ──ッ! 姑息な真似をしおってえぇぇ──ッ!」
一旦足を止めてしまった以上、獲物に追いつくのは不可能だ。
絶望と落胆に歯噛みするしかなかったが、雪崩れ込んでくる敵兵らが間近に迫るや、その失意は明確な嫌悪と怒りへ変じる。
お世辞にも立派とはいえない、粗末で統一性の欠片もない装備を纏った集団。
一目で傭兵だと判る者らに謀られたという屈辱は、栄えある貴族として、そして武名を誇る将軍として、到底耐えられるものではなかった。
だからこそ、冷静であらねばと思いながらも、憤怒を滲ませた蛮声が口を衝いて出るのを抑えられなかったのだ。
「金品欲しさに戦場を徘徊するハイエナ共めがあぁぁ──ッ! 飛将軍と呼ばれた我が根絶やしにしてくれるわあぁぁぁッ!!」
だが、戦場とは常に敗者には優しい世界ではないのが常だ。
それは名将と称えられたボルトレーであっても例外ではなく、馬首を返し、愛刀を振り翳して大喝した姿が、彼の最後の雄姿となった。
「民を幸せにもできない似非貴族が何様のつもりだ? それに、戦場では騙される方が愚かなのだ……覚えておくといい、きっと来世では役に立つはずだから」
声はすれども、相手の姿は視界の隅にも捉えることができない。
だが、砂塵舞う戦場に陽光が煌めいたと思った瞬間、目に映る景色が不意に回転して歪んだ。
それが敵の双刃によって首を両断されたからだと気付くことなく、ボルトレーの頭部は地面に落ちて砂塵に塗れたのである。
討ち取られていく配下らの無残な姿が、彼の目にはどのように映ったのか……。
それを知る術は既になく、ただ乾いた風が骸を撫でていくのみだった。
※※※
平然とした顔を取り繕ってはいたが、気が気ではないというのがライの偽らざる心境だった。
馬鹿王太子らの壊滅的な馬術の技量とは対照的に、敵騎士団の追撃は俊敏で苛烈であり、逃げる王太子らとの距離をグングンと縮めているのを目の当たりにすれば苛立ちばかりが募る。
(この儘では隘路の入り口まで逃げ切れるかどうかは微妙だな……側近連中も逃げるのに必死なのか、背後の敵将を足止めする気すらないとは……それにしてもだ、一人ぐらいは主君の盾になろうかって殊勝な家来はいないのか?)
そんな憤懣と失望が脳内で入り乱れて気持ちばかりが逸るが、充分に引きつけずに攻撃を仕掛けても、罠に嵌められたと気付いた敵は、騎兵の利を活かして逃げに転じるのがオチだ。
そうなっては伏兵は意味をなさず、全ての苦労が水泡に帰してしまう。
これ以上の犠牲を出さずに戦を終わらせるには、敵軍の要である〝飛将軍”をこの場で討ち取るしかない。
でなければ、味方の兵士らにも無用な損害が増える可能性がある。
同じ戦場で共に戦えば、ある種の共感が芽生えるのは自然の成り行きだ。
そこには騎士も傭兵も、況してや徴収された農民兵も関係ない。
譬え短い間の関係であったとしても、無闇矢鱈と戦友を喪うのを良しとは考えられない……それがライの偽らざる本音だった。
その願いが気紛れな戦女神へと届いたのか、王太子らの馬群は頭一つの差で隘路の入口へと駆け込む事に成功したのである。
「矢を射ろ! 一人も逃がさずに討ち取れ! 行くぞおぉぉ──ッ!」
そう号令するや否や、ライは十メートルはある崖から身を躍らせた。
同時に練りに練った闘気を解放し、格段に跳ね上がった身体能力を活かして着地するや、先頭を駆けて来た敵将目掛けて疾駆する。
(今更ながらに便利なスキルだ……御先祖様には感謝するしかないな)
そんな場違いな感想を懐くほどに、前世で磨いた闘気術は役立っていた。
この世に転生してからの一年間は、この能力の覚醒と更なる熟練に費やされたと言っても過言ではなかった。
赤ん坊であるが故に身体一つ自由に動かせない中、それしか出来ることがなかったとはいえ、その成果は前世での久藤 悠也の能力を大きく凌ぐものへと進化したのである。
それが、今こうして戦場で役に立っているのだから、何とも複雑な気分だった。
だが、今は感傷に浸っている暇はない。
味方の矢雨による攻撃で混乱を来した騎士らには目もくれず、ライは憤怒の形相で怒鳴っている敵将へと躍り掛かった。
腰の剣帯に交差させて固定してある二本の鞘から引き抜いた双剣を構えたのと、敵将と目が合ったのは同時だった。
その際に投げ掛けられた言葉は酷く癇に障るものだったが、ライにとっては鼻先で嗤い飛ばす程度のものでしかなく……。
「民を幸せにもできない似非貴族が何様のつもりだ? それに、戦場では騙される方が愚かなのだ……覚えておくといい、きっと来世では役に立つはずだから」
侮蔑と惜別、相反する言葉と共に双剣を一閃させれば、確かな手応えと共に敵将の首が宙を舞って地へと落ちた。
そして、ライの目論見通りに戦場の帰趨も定まったのである。