プロローグ 飼い殺し部屋の主だったはずの国軍士官は、只々困惑するしかない。
『日雇い提督』シリーズから半年ぶりのお目見えでございます。
今回も、幕の内弁当のような多彩で味のある作品を目指したいと思っておりますので、暇潰しのお供にでも役立てて頂けたら嬉しく思います。
基本的に週1~2回のペースで更新いたしますので、のんびりと御付き合い下されば幸いです。
「久藤大佐ぁ! 私にも華々しい武勇伝を聞かせて下さいよぉ!」
まるで壊れたヴォイスレコーダーの様に繰り返される台詞に、久藤悠也陸軍大佐は思わず溜息をついた。
データー処理中の情報端末画面から視線を上げれば、まだ無邪気さが抜けきらない風貌の若い士官の煌めく双眸と目が合ってしまい、またか……と、ゲンナリさせられてしまう。
(やれやれ……なにを好き好んで、窓際の俺なんかに絡んで来るのやら……)
釈然としない疑問を懐きながらも、この珍客を悠也は嫌ってはいなかった。
着任の挨拶を受けてから半年。
ほぼ毎日だと言っても過言ではない来訪に当初は辟易させられたものだが、その心底に悪意がないと察してからは、適当な距離を保ちながらも友好的な関係を構築するに至っている。
彼の名は山崎 修司といい、この春に陸軍士官学校を卒業し、防衛省直轄の情報技術統括部へ配置された新米少尉だ。
とは言え、情報処理のエキスパートではなく、優秀な技術開発士官として将来を嘱望される身であり、『百年に一人の天才』と評価されている逸材でもある。
そんな陸軍期待のホープが口にする挨拶代わりの台詞に、半ば呆れ交じりの嘆息を零す悠也も、いつもと同じ言葉を返した。
「俺みたいな〝中年窓際族“に武勇伝などあるわけがないだろう。どこの誰から聞いた与太話かは知らないが……鵜呑みにして燥いでいるのが上官たちの耳に届けば、君も飼い殺し部屋送りにされてしまうぞ」
素っ気ない物言いは組織の先達としての忠告でもあるのだが、気にした素振りも見せない山崎は、益々テンションを上げて言い募る。
「飼い殺し部屋送り上等ですよ! 寧ろ、大佐の部下になれるのならば大歓迎ですって! 嘗て、敵軍のみならず同盟軍の将兵からも『闇の狩人』と恐れられた大佐の対人装備を開発する……それが、私の夢なのですから」
「酔狂な奴だな……しかし、その夢は叶わないと思うぞ。そう遠くないうちに俺は予備役に編入されるからな。奉職して二十数年……色々とあったが、先達としての忠告だ……どんな組織でも懐には闇を抱えているものだ。藪をつついて蛇を出すような真似は慎んだ方が良い……それが君の為だ」
悠也の声音に不穏なものを感じ取ったのか、山崎の顔から軽薄な笑みが消えた。
それは、数々の修羅場を切り抜けて来た者だけが持つ独特な雰囲気を感じ取ったからに他ならない。
そんな後輩の変化を目の当たりにした悠也も、胸のうちに芽生えた苦い悔恨の情に臍を噛むしかなかった。
(皮肉なものだ……上からの命令を遂行するという使命感を免罪符にし、これまで多くの汚れ仕事に手を染めて来た俺が、後輩士官を黙らせるために組織の不条理をチラつかせて恫喝するなんてな……零落れたくはないものだ……)
それは、間違いなく悠也自身が歩んで来た人生で得た処世術ではあるが、決して好きにはなれない醜い業でもあった。
※※※
太平洋戦争終結から百年の節目に当たる西暦二〇四五年。
昭和の世から連綿と議論を重ねて来た憲法問題にも漸く決着がつき、日本国憲法は幾つもの条文が改正されるところとなった。
何かと物議を醸して審議が難航していた第九条も喧々諤々の議論の末に妥結案が採択された結果、自衛隊は正式に国防軍としての立場を得たのである。
とは言え、それは単に呼称が変わっただけで、同盟国であるアメリカ軍にとって体の良い下請け組織という立ち位置に変わりはなかった。
当時、その事実を誰よりも腹立たしく思っていたのは、すでに自衛官として国防任務に携わっていた多くの隊員らであり、久藤 悠也も例外ではなかった。
防衛大学校を優秀な成績で卒業してから五年。
同期よりも早く二等陸尉に昇進していた悠也は、その類い稀なる身体能力を高く評価され、世界中の”火薬庫”と呼ばれる危険地帯での活動を主任務としていた。
紛争地域や敵地へ潜入しての情報収集、そして、非合法の武力行使。
それらの全てが当時の憲法からは逸脱するものであり、露見すれば国益を損ねるばかりか、自衛隊の存続さえ危うくするものだったのは言うまでもない。
だが、そんな建前論も、同盟国の意向の前には絵に描いた餅でしかなかった。
だから、事なかれ主義第一の政治家や官僚が、『合衆国との良好な関係の維持』こそが国益に適うと判断したのも、そんな政府の方針に自衛隊上層部が異を唱えなかったのも、至極当然の成り行きだったといえる。
しかし、実際に最前線で危険な任務に己が身を曝す隊員らにしてみれば、『冗談じゃない、命を懸けるのは俺達なんだ!』というのが本音だっただろう。
だからこそ、宿願だった憲法改正と国防軍への昇格という慶事も手放しでは喜べない……そんな、ひどく興醒めした空気があったのは事実だ。
そのような憤りは悠也自身も懐いてはいたが、だからといって危険な作戦を忌避することはなかった。
事実、彼の任務達成率は他の隊員と比べても頭一つ抜きん出ていたし、言い方は悪いかもしれないが、稼働率も驚異的の一言に尽きたからだ。
それは、悠也自身が身につけている特殊能力によるものであるが、彼自身は上官や仲間たちにすら、その事実を伝えてはいなかった。
久藤家の源流は、奈良時代に一代を築いた武闘勢力に連なるものらしい。
らしい、と曖昧な表現なのは、その事実を確認できる文献などの資料が残されておらず、技と口伝のみが、代々の当主に継承されてきたからだ。
それらは、他の古武術と呼ばれる流派に伝わっているものと大差はなかったが、体内の闘気を練って力へ変えるという点で、他とは一線を画したものだった。
だからといって、その技を駆使したから超人的能力が開花するというわけではなかったし、多少は他人よりも機敏な動きが可能という程度のものでしかなかったのだが、悠也とは非常に相性が良かったのも確かだ。
結果として、その力を十全に発揮した悠也は、山崎が口にした『闇の狩人』との忌み名で恐れられるほどの戦果を残したのである。
しかし、それで前途洋々とはいかないのが人生というものだ。
(そんな武勲も、いけ好かない同盟軍の情報局将校を殴ったばかりに全てがパーだからな。まあ、左遷部屋送りで済んだのは、逆に運が良かったともいえるが……)
今ならば笑い話だと割り切れるが、度重なる命令変更によって作戦が頓挫して、多くの仲間らが犠牲になったにも拘わらず、その責任を実行部隊の指揮官に転嫁したアメリカ軍の現地司令官を殴って重傷を負わせたのは紛れもない事実だ。
本来ならば軍事裁判に懸けられて極刑が言い渡されるところだったのだが、この司令官の評判がとにかく悪すぎたのが功を奏した。
それは身内であるアメリカ軍に於いても同じであり、暴挙に及んだ事情も考慮されて、奇跡的に穏便な処分で済んだのである。
※※※
いかにも納得がいかないといった風情で立ち尽くす後輩の顔を見ているうちに、そんな滑稽な過去が脳裏に流れては消えていく。
自衛官として任官し、国軍兵士へと立場を変えてから瞬く間に二十五年の月日が過ぎたが、悠也自身は微塵も後悔していなかった。
多少なりとも国家の役に立てた筈だし、他人から見れば惨めな飼い殺し部屋生活も、趣味の戦史研究や各種の軍事技術の記録に没頭できると思えば、寧ろ幸運だとさえ思っているぐらいだ。
多少なりとも悔いがあるとすれば、家族の縁には恵まれなかったということか。
両親とは幼い頃に死別したし、親戚とも没交渉になって久しい。
また、戦場へ赴くのが当たり前である以上は結婚など考えられる筈もなく、家族と呼べる人間は一人もいない。
そのことに不満があるわけではないが、だからこそ、自分への好意を隠そうともしない後輩を邪険にはできないのかもしれない。
今も恨めし気な視線を向けて来る山崎を見れば、不快な感情ではなく、言葉にはしがたい親しみを覚えてしまう。
だから、悠也は己の負けを認めるしかなかったのである。
「やれやれ、本当に困った奴だな……まぁ、語るような華々しい武勲など持ち合わせてはいないが、戦場で役に立ちそうな装備ならば思うところはある。その程度で良いのならば、昼飯でも食べながら話をしないか?」
根負けした悠也が妥協案を提案するや、先程までの不満顔が嘘だったかのように喜色に満ちた表情へと一変させた山崎が声を弾ませる。
「喜んでご相伴に与りますよ、大佐! 冷たくあしらわれ続けた日々を耐え続けた甲斐がありました。まずは差し障りのない話題で親睦を深めてから本格的交際へと発展させて……」
「……そんな趣味は持ち合わせていないんだが……やはり、止めとくか?」
「ああ──っ! 嘘です! 冗談ですってば! 私だって交際するなら女性の方が良いですから! 止めるなんて殺生なことを言わないで下さいよぉ!」
そんな気が置けない会話を心地良く感じる悠也だったが、悲劇は唐突に訪れた。
後輩の燥いだ様子に苦笑いしながらも席を立った瞬間、激しい振動と共に部屋が大きく波打ったのだ。
足元から突き上げてくる縦揺れと、立っていられないほどの激しい横揺れに襲われたのでは、いかに頑強な軍の施設といえども無事に済むはずがない。
況してや、地下部屋ともなれば、影響は深刻なものに為らざるを得なかった。
(この儘では不味いッ! 生き埋めになりかねないぞ!)
悠也の危惧は瞬く間に現実のものになる。
視界に入る全ての壁面に亀裂が走ったかと思えば、不気味な破砕音と共に天井が崩落した。
その危急の時に咄嗟に行動できたのは、長い戦場暮らしで培った経験の賜物であり、腰を抜かした山崎を押し倒すや、辛うじて覆い被さることに成功する。
「ぐうッ!!」
闘気を全開にして身体能力を上げるが、降り注いできた瓦礫の重みに耐えられるはずもないのは自明の理だ。
然も、剥き出しになった細い鉄筋によって片肺を貫かれており、死という末路が避けられない現実となって目の前に迫る。
この儘では共倒れになるしかない悲惨な結末を回避する為にも、悠也は最期の力を振り絞って後輩を叱咤した。
「おいっ、早く部屋の外へ脱出しろ! 幸いにも隙間はある! 僅か数メートルならば、這って廊下まで辿り着けるはずだ!」
その声で我に返った山崎の驚愕に歪む顔を赤い液体が汚していく。
一切の痛みを感じないという事実は己の末路を悟るには充分なものであり、最早一刻の猶予もないと察した悠也は、縋るような気持ちで声を荒げた。
「急げッ! 戦場で役立つ画期的な装備を開発してくれるんだろう!? その夢を叶える為にも生きろッ! 俺の分まで……頼むから……生きてくれ!」
血を吐くような請願に打ち据えられた山崎の双眸から涙が溢れる。
「行けッ! さっさとせんかあぁぁ──ッ! この愚図がぁぁぁッ!!」
その一喝が引き金となり、身体を反転させた山崎が懸命に匍匐前進する。
そして、何とか部屋から脱出したのと同時に悠也の力も尽きた。
身体を圧し潰さんとする瓦礫の重みと、ほんの短い間の付き合いだったとはいえ、心を許した後輩の絶叫だけが、知覚できた最後のものだった。
(これで良かったのかもしれないな……敵とはいえ、命ぜられるままに他人の命を狩ってきた俺だ……苦しまずに死ねるのならば上々だろう。それに、有望な後輩の命も救えたのだから、悔いはない……)
不思議なほどに穏やかな心境でいられることが可笑しくもあったが、暗闇に呑まれていくかのような不確かな感覚に、悠也は意識を委ねたのである。
◇◆◇◆◇
何も見えず聞こえない暗闇の中を漂うような不思議な感覚。
(これが黄泉路なのか? 散々人を殺した俺が地獄へ堕とされるのは仕方がないが、それにしても、この有り様は寂しすぎはしないか?)
そんな間抜けな感慨に浸っていると、何か雑音らしきものを耳が捉えた。
漸く三途の川へ到着したのかと思った刹那、その雑音の正体に気付く。
『おぎゃあ! おぎゃあ! おぎゃあ! おぎゃあ!!』
それが泣きじゃくる赤ん坊のものだと察した悠也は、思わず顔を顰めずにはいられなかった。
(生まれたての赤ん坊まで地獄へ堕とされるのか? 親は何をしているんだ!)
そんな憤りに衝き動かされた悠也は、つい声を荒げてしまう。
「赤ん坊に罪はないだろう! 鬼にだって慈悲の心ぐらいはあるだろうが!」
だが、返って来るのは激しさを増した赤ん坊の泣き声ばかりで、悠也が声を荒げれば荒げるほど、そのボルテージは上がる一方という有り様。
すると、今度は別の声が耳に飛び込んで来た。
『立派な……様ですわ! 御喜びください……様! これで……安泰……』
それはひどく訛ってはいるが紛れもない英語であり、悠也は激しい混乱に見舞われてしまう。
死んだはずの自分の身に何が起こっているのか。
そんな戸惑いに心を乱せば、それに合わせるかの様に赤ん坊の泣き声は益々大きくなるばかり……。
だが、散々葛藤した末に悠也は驚愕の事実に気付いたのである。
(あれ? この泣いてる赤ん坊……俺じゃないのか?)
驚天動地の異世界転生?
久藤 悠也の第二の人生は、こうして幕を開けたのだった。
少々長めのプロローグに御付き合い頂き感謝申し上げます。
本編の一話は3000字~4000字程度だと思いますので、どうかよろしく!!(それでも長いか?・笑)