第九話 八方ふさがり ②
「なんだ? 藪から棒に……」
唐突なケインの提案に、ライは思わず眉を顰めて聞き返した。
人当たりが良くて陽気な性格だが、クロノス商会の後継者と嘱望されるだけあって、変化する状況への対応力には目を見張るものがあるケインだ。
そんな弟分が、違約金を払ってでもエレンシアに留まるべきではないと言うからには、何かしら相応の理由があるのは間違いないだろう。
だから、取り敢えずケインの言い分を聞くべく、ライは口を閉じた。
「この国の問題点にはアニキだって気付いているんだろう? 漁業以外に産業らしき産業はなく、土地は有り余っていても痩せ細った荒れ地ばかりで耕作には向かない。然も、総人口が二十万ぽっちじゃ税収入も期待できない……お手上げだよ」
その現状分析は正鵠を射ており異論を挟む余地はない。
産業基盤が脆弱だから碌な仕事もない民は貧困に喘ぐしかなく、更に国から税を搾り取られるのだから、まさに踏んだり蹴ったりだと言う他はないだろう。
だが、事象の上っ面を擦った情報に満足しないのがケイン・クロノスだ。
少し聞き込みをした程度で得られるものをわざわざ口にするなど、普段の彼からは考えられないお粗末さだし、そのことは誰よりもライ自身が分かっている。
だから、別に何かあるのだと察したライは、口元に不遜な微笑みを浮かべて先を促した。
「やけに勿体ぶるじゃないか? そんな在り来たりな情報を得意げに語るなんて、ケイン・クロノスの名が泣くんじゃないか?」
わざと意地の悪い挑発を仕掛けてみたのだが、その思惑に反してケインの仏頂面が改善される気配はない。
「勿体ぶってるわけじゃないさ。問題なのは、原因は何かってことだろう?」
「そうだが……王家や国家運営に係わる連中のサボタージュじゃないのか?」
ライの問いに、ケインは不機嫌な表情のまま左右に首を振る。
「エレンシア王国が終わっていると言った最大の理由は、この世で最も悪質で強欲な連中が政の奥深くまで寄生しているってことさ」
「悪質で強欲……おまえが毛嫌いするってことは……同盟……クレアシオンか?」
ライの予想は的中していたらしく、ケインは溜め息交じりに頷いた。
クレアシオン。通称『同盟』と呼ばれる組織は様々な産業ギルドの集合体であり、西の大陸グラーシアと、中央大海で最大の島嶼国家連合 オケアヌス全域に勢力を伸ばし、確固たる流通網を確立している巨大産業複合体だ。
「正解だよ、アニキ。海運業は海洋国家の生命線であり最重要国家事業だ。食料や特産品の輸出入による収益は元より、港へ帰港する船舶への入港税も大きな収入になる……それなのに、この国の馬鹿王や間抜けな高官たちは、それらの権利と運営の一切合切をクレアシオンへ丸投げしてしまったのさ」
ケインの独白にライは我が耳を疑うしかなかった。
「馬鹿な……そんな愚策にどんなメリットがあるというんだ?」
吃驚して開いた口が塞がらないライが思わず漏らした呟きに、ケインは皮肉げな笑みで応じる。
「メリット云々以前の話さ……この国はクレアシオンに多額の借金をしているんだよ。だが、貧乏国の悲しさか利息の返済すら滞る有り様でさ。とうとう借金の形に港湾と輸出入に関する全ての権益を差し押さえられたってわけ……ま、あの連中にしてみれば、最初からカモにする気まんまんで金を貸し付けたんだろうけどね」
さらにケインが語ったところによると、エレンシア王国の対外貿易の拠点であるアザールとリオンの両港町は実質的にクレアシオンが支配しているも同然であり、それらが生み出す権益が借金の返済に充てられているとのことだ。
「だが、それでは王家や貴族連中の暮らしも逼迫するだろうに?」
ライが懐いた疑問は至極尤もではあるが、暮らしに困らない程度の資金が上納金という名目で毎月献上されているらしく、王族も高官らも現状に満足しているとのことだった。
「そうだったのか……おまえが『終わった国』だと吐き捨てたのも無理はないな」
国家の基盤を成す重要な収入源を差し押さえられては万事休すだ。
そう遠くない未来にクレアシオンの傀儡と化したエレンシア王国は、表沙汰にはできない闇取引の舞台としてのみ重宝される存在に成り果てるだろう。
(そうなった時、あの王子様は……)
まだ幼さを残した純粋一途な第三王子の儚い微笑みが脳裏を過る。
この国の悲劇的な結末を思ったライは、小さな溜め息をひとつ零してからケインに訊ねた。
「商売人のおまえから見て打開策はあるか?」
「王族や貴族連中が危機感ゼロで浮かれている現状では手はないね。そもそもがさ国が乗っ取られるか否かって瀬戸際に、泥船も同然の玉座を巡って兄弟で争うなんて、頭がお花畑なのかと疑うレベルだぜ……沈むべくして沈む船に乗り続ける理由なんてないだろう? だからさ……」
この国に対する思い入れもないケインが、愚かな王侯貴族に肩入れする義理はないと考え、切り捨てるのも已む無しと判断するのは必然でしかない。
だから、再度契約破棄の件を切り出そうとしたのだが、ライが左右に頭を振るのを見れば、喉まで出掛かった言葉を飲み込むしかなかった。
「その泥船と運命を共にするしかない民らを守ろうと、必死に足掻いているボウヤを見ちまったからな……八方ふさがりだからといって逃げ出すわけにはいかんよ」
不思議なもので、人間は窮地に陥れば却って開き直れる生き物だ。
況してや、日常的に死線を潜り抜けている傭兵には必要不可欠のスキルであり、四面楚歌に等しい状況を打破すると決めたライは、実にサバサバした表情で弟分へ意味深な微笑みを向けたのである。
(駄目じゃん……また悪い病気がでたよ……)
この顔をしたときのライを翻意させるのは不可能だと知るケインは、ガシガシと頭を掻きながら深い溜め息を吐く。
良く言えば『お人好しの善人』、悪く言えば『出しゃばりのお節介焼き』。
この性格のせいで、一体全体どれだけの厄介事に巻き込まれてきたか……。
今回は小さいながらも歴とした国家が絡んだものであり、リーベラで困っている父娘を助けたなどの話とは次元が違う代物だ。
下手をすれば、ライ自身の命すら危うくする可能性も否定できない。
だが、それでもなのだ。
(偏屈で頑固者で弱い立場の人を見捨てられない困ったアニキだけど、だからこそ放っておけないんだよなぁ……)
惚れた弱みと言えば変かもしれないが、ケインにとってライの意向に反するという選択肢はありえないのだ。
だから、如何にも渋々といった表情を取り繕いながらも、大好きな兄貴分を支援するべく、現状での最善手を提案したのである。
「だったら仕方がないね……クレアシオンについては情報の上っ面を浚っただけだからね、詳しく調べれば、他に何か出て来るかもしれない」
「済まないな……付き合わせちまって」
「気にするなよ、アニキ。俺とアニキの仲じゃん! それよりさ、その第三王子様とやらを俺にも紹介してくれよな!」
「分かった……当分は王宮に滞在できるだろうから、近いうちに顔合わせの機会を設けるよ。こっちが気恥ずかしくなるぐらい性根が真っ直ぐな王子様だ。きっと、おまえも気に入るさ」
「へえ、楽しみにしているぜ。それじゃぁな!」
ライを支援すると決めた時のケインに遅滞と逡巡は無縁のものだ。
簡単な挨拶だけを残して立ち上がるや、軽い足取りで小部屋を出て行った。
その弟分の背中を見送ったライは、頼もしい味方を得てホッと一息つく思いだったが、クレアシオンという新たな問題の勃発に悩みは深まるばかりだ。
(破綻寸前の国家財政と暗躍するギルド連合体。与えられる捨扶持に満足して国政を顧みない王族や貴族たち……そんな混乱の中で強行される王位争奪の海賊討伐。なんだ、この違和感は……それぞれが無関係に思えるピースに何かしらの繋がりがあるとしたら……)
得体の知れない懸念が次第に胸の中で大きくなる。
何か重要なことを見落としているはずなのだが、それは明確な形を成すに至らず、もどかしさと焦燥感が募るばかりだ。
(やはり何かが変だ……今回の海賊討伐戦には別の思惑が絡んでいそうだな……)
そんな漠然とした結論を得たライも、行動を起こすべく立ち上がるのだった。