第八話 愚者の選択 ③
幸いにも集合時刻に遅参した傭兵は一人もおらず、対面の儀は恙なく王宮謁見の間にて執り行われた。
とはいえ、悲しいかな辺境の島国であるエレンシアは貧しく、大陸で覇権を競う国々と比較すれば、その国力差は歴然としていると言わざるを得ない。
それは経済力や軍事力は元より、王宮に代表される国家施設なども例外ではなく、外観も機能の面でも明らかに見劣りする代物だった。
名目上の雇用主である王子らと重臣や配下の文官らが陣取る玉座周辺の上段にはまだ余裕があるが、下段のフロアーは僅か三十人程度の傭兵らが立っているだけで窮屈さを感じるほどの広さしかなく、そこに護衛任務を帯びた騎士らも入るのだから、まさに立錐の余地もない有り様になるのも無理はないだろう。
室内には一つの窓もなく、季節によっては人の熱気で噎せ返るような温度になるのが常だが、今この場に集っている傭兵の中に不満を口にする者は一人もいない。
なぜならば、壇上では主役である長兄と次兄ふたりの王子の舌戦が繰り広げられており、飛び交う景気の良いアジテーションに褒賞目当ての傭兵らのボルテージは上がる一方だからだ。
『今回の海賊討伐戦は亡き先王陛下の御無念を晴らす為の聖戦である! 王太子である俺の下で目覚ましい活躍をした者は、このミハイル・エレンシアの名において正騎士の称号を与え、その魂が滅するまで厚遇すると約束しようぞ!』
第一王子が筋肉質の太い腕を振り上げて吠えれば、
『居丈高な物言いで何を言うかと思えば……そんな形ばかりの名誉など恩賞と呼ぶに値しない! 傭兵諸君! このエドガー・エレンシアに助力した者には、海賊が溜め込んでいる財宝を取り放題とする。その上で生還後には更なる褒美も与えると約束しようぞ!』
負けてならじと第二王子が声を張る。
雇用主の言葉の応酬に傭兵らの期待と歓声は高まるばかりだが、上段の隅に立つルディアスの背後に控えているアルテナは、目の前で繰り広げられる茶番劇に呆れるしかなかった。
(何を勝手なことを……そんな余裕が我が国にあると思っているのかしら)
氏素性も定かではない傭兵を正騎士に抜擢すれば他国から嘲笑されるのは必至だし、有るかどうかも分からない財宝で褒美を賄うなど、詐欺同然だと嗤われるのがオチだろう。
況してや、碌な財源もなく国家財政が破綻寸前の状況で、雇われ者に振る舞える褒美など捻り出せるはずもない。
所詮は自軍の戦力を確保するための方便であり、そんな戯言に踊らされる傭兵らが哀れで同情すら覚えるアルテナだった。
(それにしても……傭兵と呼ばれる者たちを目にするのは初めてだけれど……)
延々と続く茶番劇に飽き飽きしたアルテナは、眼下の広間で粗野な歓声を上げて燥ぐ荒くれ者らを眺めるや、形の良い眉を顰めた。
己の力を頼りに血生臭い戦場を渡り歩く傭兵と、祖国に忠誠を誓い武を貴ぶ騎士が相容れない存在だというのはアルテナも理解している。
だが、まるで酔っぱらいの如くに下世話な言葉を吐き散らす集団を目の当たりにすれば、とてもではないが敬意を払うべき相手だとは思えなかった。
(革鎧を纏っていれば良い方……大半は安物のチェインメイルか、クロスメイルの下に鎖帷子のみの軽装。武器は大剣や打撃系が主だけれど、碌な手入れもされていないのは一目瞭然ね)
幼い頃から正規の訓練を受け、騎士としての在り様を父母から厳しく躾けられて来たアルテナにとって、統一性も高潔さも感じられない傭兵は別世界の存在であり、戦士として同列に扱われるのは真っ平御免だとの想いがある。
(騎士が戦うのは国や民のため……決して褒賞や立身出世のためじゃないわ)
そう自分自身に強く言い聞かせた刹那、現在最も嫌悪している男の姿を両の瞳が捉えた。
部屋の入口の扉に背を預けているライは、壇上で繰り広げられる茶番劇には興味もないのか、喧騒とは無縁だと言わんばかりに瞑目したまま微動だにしない。
そんな態度が気障ったらしく感じられて、アルテナは憤慨して悪態をつく。
(なによ、格好つけたって私は騙されないわよ。ルディアス様の御厚情を無視するなんて無礼にもほどがある……すぐに化けの皮を剥いであげるから、精々楽しみにしているがいいわ)
ここまで他者を毛嫌いするなど滅多にないが、それは先程までルディアスの私室で交わした会話に起因するところが大きい。
『私が望むのは……この国に生きる全ての人々の幸せだけだ』
血を吐くような切実な想いをルディアスが吐露したにも拘わらず、明確な答えを返さなかったライは無言を貫いたのだ。
その態度を思い上がり故の傲慢だと解釈したアルテナが激昂したのも無理はないだろう。
(返答次第で覚悟を決めるとか何とか言ったくせに……所詮は期限付きで雇われた余所者。この国や王子の御為に本気で働く気なんてないのだわ)
腹立たしさばかりが募ることに嫌気がさしたアルテナがライから視線を外したのと同時に、宰相のオットー・バルクが壇上中央へ歩み出るや、室内を一瞥してから号令を下した。
「それでは、貴殿らが仕えたいと思う御方を選んで貰いたい。壇上の左右に立っておられる殿下の御前へ移動されるがよい」
その号令が下されるや否や喧騒は小さな騒めきへと変化し、傭兵らは各々の意志で選んだ主の下へと足を踏み出す。
すると立錐の余地もなかった謁見の間は左右に人垣が分かれ、その結果、中央には入口へと続く通路が形成される。
(丁度半々に分かれたかしら……えっ!?)
空間認識能力に長けたアルテナは、それぞれの陣営の戦力比を正確に把握するのと同時に、誰よりも早く違和感に気付いて紅玉の瞳を見張った。
ぽっかりと空いた通路の最奥に人影がひとつ。
それは、ずっと扉に凭れ掛かっていたライであり、宰相の下知が聞こえないのか、瞑目したまま動く気配はない。
(一体全体どういうつもりなの……)
その泰然とした姿を見ているだけで心臓が早鐘を打つ。
胸の中に芽生えた得体の知れない感情を持て余したアルテナは、その瞳に困惑の色を宿してライを見つめるしかなかった。
◇◆◇◆◇
(国の窮状も顧みず、玉座に執着して争う馬鹿王子がふたりか……崩御した先王も無念で死にきれないだろうな)
そんな感慨しか思い浮かばないほどに、壇上で啀み合いを続ける兄弟の醜態は滑稽でしかなかった。
そんな茶番劇を目の当たりにしたライは、零れ落ちそうになる苦笑いを堪えるのに四苦八苦するしかない。
そして、漸く幕引きとなった舌戦の最後にしゃしゃり出た宰相が移動を促すや、傭兵らは主と定めた王子の前へと歩を進めるのだった。
ミハイルとエドガー、それぞれの陣営に馳せ参じた傭兵は同じく十五名づつ。
その結果は宰相らの工作の賜物であり、次期国王選定という重大事案の公平性を担保するために必要なものだった。
しかし、全てが予定調和のうちに幕を引くと誰もが思った時……。
「き、貴様! 突っ立ったまま何をしておる!? 早く移動せぬかっ!」
苛立ちを含んだ宰相の叱声が謁見の間に響いた。
その場に居る全員の視線が突き刺さるのを肌で感じながらも、顔色一つ変えないライは、命令を無視して腕組みをしたまま微動だにしない。
そんな雇われ者の横柄な態度が癇に障ったのか、ミハイルとエドガーが続けざまに罵声と嘲笑を浴びせる。
「さては海賊討伐と聞いて怖気づきおったか!? 戦士の風上にもおけぬ臆病者など我が配下には要らぬ! エドガーの傍で震えているのがお似合いよッ!」
「冗談ではない。道理も弁えぬ愚か者など御免被る! どうせ我らを天秤にかけて報奨金の増額でも目論んでいるのであろう? 恥を知れ、下郎っ!」
途端に室内が騒がしくなる中、瞑目したままのライが口を開く。
「勘違いしないでくれ、王子様は三人いるのだろう? だったら俺は第三王子様の配下に加えてもらうよ……だから、どうか御構いなく」
明らかに揶揄を含んだ物言いに激昂したのはミハイルだ。
「おのれぇぇ──ッ! 王太子たる我を愚弄する気か! 王家のお荷物でしかない半端者を選ぶなど巫山戯るにもほどがある! キサマ、気でも狂ったか!?」
当然の如くに屈辱に顔を歪めたエドガーも兄に続く。
「まさしく愚者だ! 愚者の選択だッ! その愚かしい決断を後悔する日は遠くはないぞ!」
室内に轟く遠慮会釈もない叱声に他の者たちが表情を険しくする中、まるで意に介した風もないライは、場違いな笑みを口元に浮かべるのだった。
「愚者の選択ねぇ。愚かなのはどちらかな? 道化の仮面を被らされて踊る羽目になるのは私か、それとも貴方がたか……せいぜい足元を掬われないよう気を付けるのだな……小石に躓いて怪我をするなど珍しくもないのだから」