第八話 愚者の選択 ②
「大変な目に遭ったね、ふたりとも。でも、大事に至らなくて本当に良かった」
粗朴なレンガ造りの部屋にルディアスの弾んだ声音が響く。
だが御機嫌なのは仲裁者の第三王子だけで、悶着の当事者であるライとアルテナは、憮然とした表情でそっぽを向いたままだ。
(やれやれ……騒動の経緯が経緯だけに気持ちは分かるけれど……)
事情を知ったルディアスが苦笑いするのも無理はなかった。
※※※
駆け付けたルディアスが担当文官へ問い合わせるようにと命令したことで、ライの言い分に偽りがないことが証明された。
だが、王家の直轄地へ無断で入り込んだ挙句、天馬騎士団にとって重要な儀式の邪魔をしてしまったのだから、無罪放免になるはずもない。
面識もなく為人も定かではない傭兵への不信感は強く、何かしらの懲罰が必要だ、と大半の重臣らが主張したのが原因だが、そんな者達を説得して穏便に済む様に手配したのも、他ならぬルディアスだった。
もう一度だけでもいいから会って話を聞きたい……。
そう切望していた相手と再会を果たしたルディアスはいつになく強引で、自らがライの身柄を預かることで重臣らを説き伏せたのである。
そして、指定された集合時刻までの空いた時間だけでも話をさせて貰えないか、という第三王子の懇願を断り切れなかったライは、弱みを握られた己の不遇を嘆いて仏頂面を晒しているという次第だった。
一方のアルテナも、内心では釈然としない思いを抱えて葛藤していた。
敬愛するルディアスの仲裁だからこそ受け入れたものの、不埒な侵入者に対する処遇には納得できないでいる。
譬え、王家と正式に契約を交わしていたとはいえ、聖地への不法侵入と破廉恥なノゾキ行為に及んだのは事実なのだから、厳しい処断が下されて然るべきとの思いは強かった。
また、そんな相手に過剰なまでの好奇心を隠そうともしないルディアスの態度にも理解が及ばず、だからこそ、その苛立ちがライと名乗った傭兵へ向けられたのは至極当然の成り行きだったのかもしれない。
兎にも角にも、三者三様の想いを抱えたまま会談は始まったのである。
※※※
「まずは礼を言わせて欲しい……教会への寄進だけれど、袋の中身が全部金貨だったのには驚いた。発起人やシスターたちも感謝していたよ」
笑顔で感謝の言葉を告げるルディアスに、皮肉げに口の端を歪めたライは素っ気なく答える。
「それはどうも……困窮している民の役に立つのならば、それで十分ですよ」
どこかぶっきら棒な物言いにアルテナは不快げに眉根を寄せたが、ルディアスは気にした様子もなく微笑みを深くする。
「ありがとう……民に成り代わって心から礼を言わせて貰うよ」
その素直で人懐っこい態度からは揶揄も邪気も感じられず、ライにしてみれば、少々アテが外れた気分だった。
(こうも素直に感謝の言葉を口にされるとはな……皮肉の一つも言ってやろうかと身構えていた俺の方が馬鹿みたいじゃないか)
この王子様は未熟ではあるが、どうやら愚かではないようだ……。
そうルディアスへの評価を上書きしたライは、それまでの不遜な態度を改めた。
「こちらこそ、仲裁の労をお掛けしたばかりか、重臣の御歴々からも庇って頂いて助かりました。これまでの無礼も御許しいただけたら幸いなのですが……」
「無礼だなんて思っていないさ。寧ろ、不躾な質問をした私の方が責められて然るべきだ。でも、また話す機会を得られて本当に嬉しいよ」
ストレートに喜びの感情を露にして燥ぐルディアス。
その王族らしくない振る舞いに面食らうライだったが、召集時刻の正午までは間がなく、現状の確認だけはしなければならないと思い直す。
(肝心なことだけでも聞いておいた方が良いだろうな……話はそれからだ)
「いくつかお尋ねしたいことがあるのですが……」
「なんでも聞いてくれ。私に答えられることなら隠し立てはしないよ。その代わり、時間が空いた時で良いから、私の話も聞いて貰えると有難い」
その程度ならば問題はないと了承したライは、敢えて言葉を飾らずに胸の中に蟠っている疑問をぶつけた。
「この中央大海では国同士の武力衝突は絶えて久しく、諍い事は話し合いによる折衝で決着をつけると聞きました。なのに貴国は余所者の傭兵を募っておられる……我々は何のために雇われたのですか?」
近隣諸国による侵略の懸念がないにも拘わらず、正規の騎士団と機動力に秀でた天馬騎士団を擁している国が、更に大枚を叩いてまで傭兵を雇う必要がどこにあるのか……。
ライの疑問は、その一点に尽きた。
常識的に考えれば他国を攻めるための戦力だと考えるのが普通だが、海洋諸国家連合の盟主であるアスティア皇国が同盟国同士の戦争を禁じている以上、その意に反して他国へ侵攻するなど、自分で自分の首を絞めるようなものだ。
その点を理解しているからこその疑念だったのだが……。
「今回は事情があって……実は……」
諦念と自嘲が綯交ぜになった複雑な表情をしたルディアスは、先王の死によって生じた後継争いの経緯と現状を包み隠さずに語った。
(おいおい……この国の重臣たちは、勘違いした馬鹿王子らを諫めることもできないのか? これでは国が疲弊するのも無理はないな)
その余りにも馬鹿げた内容にライは愕然とするしかなかった。
海賊討伐の最中に国王が戦死したのも、悲観した王妃が後を追うかのように逝去したのも天命であり、家臣らを責めるのは酷だといえる。
だが、国家が崩壊の瀬戸際にあるにも拘わらず、次期国王の座を巡って兄弟同士で争うなど愚の骨頂でしかないのは自明の理だ。
それなのに王子らを諫めるどころか徒に対立を煽るなど、家臣としてあるまじき不忠だと責められても仕方がないだろう。
ルディアスも思いは同じらしく、その表情には無念の色がありありと浮かんでおり、掛ける言葉も見つけられないライも沈黙するしかなかった。
「重臣らの意見も割れて話し合いでは決着がつかず、先王陛下の仇である海賊団の討伐を敢行し、武勲で勝った方が次期王になると決まったのだよ。あなた方傭兵を雇い入れたのは、万が一にも兄上らに危害が及ばないようにとの配慮だと大臣たちは言うのだが……」
すると、歯切れの悪い物言いを最後に口を噤んだルディアスの心情を慮ったのか、傷心の王子を擁護するかのようにアルテナが捲し立てる。
「ルディアス様は懸命に説得なされたわ。でも、重臣の方々は『他に方法はない』の一点張りで聞く耳を持たないし、騎士団長たる父上までもが今回の愚行に賛同する有り様で……」
その紅玉の瞳に滲む強い憤りが彼女の無念を如実に代弁しており、とてもではないが、余所者であることを理由にして傍観者を気取るなどできそうにはなかった。
だから、小さく吐息を吐いたライは、第三王子の双眸を真っ直ぐに見つめて正直な思いをぶつけたのだ。
「なるほど……苦労なされているのですね。ですが、お話を伺った限りでは、今更兄君らの決意を翻意させるのは不可能だと思います。双方が納得する結果がでるのを祈るしかないのではありませんか?」
「そ、それはそうなのですが、私は……」
その正論に抗うかのようにルディアスは言葉を紡ごうとしたが、それを制したのもライだった。
「私が聞きたいのは、王子……貴方の覚悟です。昼間も問いましたが、もう一度だけ伺いたい。貴方にとって一番大切なものは何でしょうか? その内容次第となりますが、私も覚悟を決めましょう……さあ、お聞かせください」
鋭利な刃となった言葉に胸を貫かれたルディアスは、随分と長い沈黙の後に血を吐くような切実な想いを吐露するのだった。
「私は……私が望むのは……この国に生きる全ての人々の幸せだけだ」