第七話 思いがけない再会
「見縊っていたなっ! これはッ!」
頭上の死角から投擲されたジャベリンの穂先が奏でる風切り音に反応したライが勘を頼りに横っ跳びに回避するや、寸瞬前までいた場所を数本の槍が抉った。
軽量の短槍とはいえ、当たりどころが悪ければ致命傷を負う可能性すらある厄介な代物だというのに、複数騎の天馬騎士が繰り出す息も尽かせぬ連続攻撃の精度は極めて高く、森に入れば逃げ切れる、そう高を括っていたライは、己の甘い見通しに舌を弾くしかなかった。
(この森に足を踏み入れた時に感じた違和感を放置したツケが廻って来たか)
随分と手入れが行き届いているなとは思ったが、王家の直轄地だからこんなものか、と深く考えもしなかった己の浅慮が恨めしい。
実際は森の中でも騎乗したまま戦闘が行えるようにとの配慮であり、天馬の飛行を阻害しない程度の空間を保持する為の間伐だったと気付いても後の祭りだ。
そんな常日頃の研鑽と練成の賜物か天馬騎士らの連携技量は極めて高く、ライは次第に追い詰められつつあった。
(上空からの攻撃は何とでもなるが、厄介なのはッ!?)
劣勢の中、なんとか脱出口を探そうと躍起になるが、その隙を見計らったように森へ低空侵入した天馬騎士が、小路に沿った空間を疾駆して矢を射かけて来るものだから、回避するのに手いっぱいでそれも儘ならない。
猛スピードで地面スレスレを飛行して一撃を放つや、瞬時に反転上昇して安全圏へと離脱する。
その容赦ないヒット&アウェー攻撃が間断なく繰り返されるのだから、ライにしてみれば、完全にお手上げの状況だった。
(くそっ! この儘ではジリ貧だぞ。だが、反撃するわけにもいかないし……)
ライが逡巡するのも無理はない。
如何に天馬騎士らの技量と練度が高いとはいえ、彼女らが実戦慣れしていないのは、緊張して青褪めた面持ちからも明らかだ。
だから、傭兵として練達の域にあるライが本気で反撃すれば、この場にいる天馬騎士全員を屠ることは然して難しくはないだろう。
とはいえ、この様な状況に至った原因が原因だけに、実力を行使して強行突破を敢行すれば、自らに非があると認めたと取られかねない。
事態を穏便に済ます為にも、それだけは避けたかった。
(たかが偶発的なアクシデントで殺し合うわけにもいかないしな……)
そう自制するものの、包囲網は確実に狭まりつつある。
(これ以上抵抗を続ければ、互いに引けなくなってしまうだけか……)
そう結論付けたライは、木陰に身を隠しながら周囲の気配を窺った。
ほんの目と鼻の先に森から外界へと続く出口があり、その先に拡がる荒れ地からは複数の人の気配が感じられる。
あれほど激しかった波状攻撃は途絶えていたが、数騎の天馬騎士らが上空を旋回しながら、こちらの出方を窺っている様子は手に取るように分かった。
「罠の入り口へ誘導されたみたいだな……俺は狩の獲物かよ……」
思わず口を衝いて出た愚痴と苦笑いは、彼女らへの賛辞だったのか……。
無意味な抵抗を断念したライは、出口を目指して歩き出すのだった。
◇◆◇◆◇
「どうやら観念したようね……あなたは何者? 何処の密偵なのかしら?」
剣呑な視線で睨みつけて来る紅の長髪美女が、警戒心を露にした物言いで問うてきた。
流石に団服へ着替える暇はなかったらしく、儀式用装束の上にサーコート一枚を纏っただけの姿だが、その手にしたロングスピアを操るのに不自由はないらしく、構えを見ただけで相応の実力者だと判る。
その背後には天馬から降りた十名の女性騎士が控えており、不埒な狼藉者へ狙いをつけた短弓を構えている。
また、上空で旋回飛行を繰り返す複数の天馬騎士らの視線は鋭く、逃げ道は何処にも残されてはいなかった。
(これは進退窮まったな……となれば、誤解を解くしかないが……)
そう覚悟を決めたライは両手を軽く上げ、抵抗する意志がないことを示す。
「確かアルテナ殿だったかな? ルディアス王子が、そう呼んでいたはずだが」
「あら、あなたの様なハンサムさんに名前を覚えていてもらえたなんて光栄だわ。尤も、破廉恥なノゾキ野郎だと知った今では不快でしかないけれど……それで? どんな死に方を御望みかしら?」
まさに『取り付く島もない』という他はない塩対応に、ライは慌てて言い募る。
「それは誤解だ! 君らの大切な儀式を邪魔してしまったのは申し訳なく思うが、昼間の事で街の人々の反感を買ってしまったらしくてね。宿泊を断られて仕方なく野宿していただけだ。俺は王家から依頼を受けた肝煎屋と契約した傭兵だ。然るべき人間に問い合わせて貰えば、嘘ではないと判るはずだよ」
ライの弁明は一応の筋は通ってはいたが、天馬騎士団の根幹を成す儀式を邪魔された挙句、裸に等しい肢体を覗き見られたアルテナにしてみれば、感情的な部分で納得しがたいものがあるのも確かだ。
だから、対応は刺々しいものになってしまう。
「そんな取って付けたような言い訳を信じろというの?」
如何にも胡散臭いと言いたげなアルテナの問いに肩を竦めたライは、辟易とした表情で左右に首を振る。
「信じるもなにも事実だからな……まぁ、今日は朝からずっとツイていなかったとはいえ、まさか、こんな騒動に巻き込まれるとはね……思いがけず目の保養ができたのは幸運だった、うわぁっ、なにをする!? あ、危ないじゃないか!」
場を和ませるつもりのジョークも、被害者にとっては神経を逆撫でするだけのものでしかなく、警告もなしに一歩踏み込んだアルテナが繰り出したロングスピアの切っ先が頬を掠めた。
反射的に上半身を仰け反らせて鋭い突きを躱したライが文句を言うと……。
「その破廉恥な記憶は綺麗さっぱり忘れることをお勧めするわ……出来ないというのであれば、私が忘れさせてあげるけど……」
まるで、毛虫を見るかのような嫌悪感に満ちた眼差しで不埒な犯罪者を睥睨するアルテナは、愛用の槍の穂先をライの鼻先へ突き付けて選択を迫る。
これには然しものライも自分の分の悪さを悟らざるを得ず、傭兵仲間とのノリで軽口を叩いた迂闊さを後悔しながらも、おずおずといった風情でお伺いを立てるしかなかった。
「力技一択とは少々乱暴じゃないか? 話し合いの余地はないのかね?」
「ないわね。あなたの口を塞ぐためなら多少のことは許される……ここにいる全員がそう思っているわ。試しに抵抗してみたらどうかしら? ひょっとしたら血路を開くことができるかもしれないわよ?」
その挑発的な物言いを受けたライは、溜め息ひとつ零して軽く頭を振った。
「せっかくの提案だが、今回は遠慮しておこうか」
「あら、意外に意気地なしなのね。傭兵の看板が泣くわよ?」
「そんな大層なものなど背負っていないさ。それに、銅貨一枚にもならないことに命を懸ける気はない。趣味で傭兵をやっているわけじゃないんだ」
その言を受けて抵抗する意志はないと判断したアルテナは、ライを捕縛して王都の天馬騎士団本部へ連行するように命じるのだった。
◇◆◇◆◇
「やれやれ……本当に散々な一日だったな……」
石造りの狭い牢屋に設えられた古びた木製の寝台に腰かけたライは、溜め息交じりの愚痴を零す。
天馬騎士団本部は天馬専用の厩舎と共に王城の裏手にある敷地に建てられており、正騎士と準騎士が合わせて四十名、そして厩務員や事務職に携わる団員百名、合計百四十名が奉職している。
ライが監禁された獄舎も施設の一角にあり、半地下タイプの牢屋にあるのは粗末なベッドと戸板で仕切られた厠、そして天井近くにある鉄格子付の小窓だけだ。
また、部屋数も三つしかない狭い区画であり、入り口の鉄格子の扉に鍵をかけてしまえば脱出路は皆無という閉鎖空間でもある。
その所為か看守や見張り役は一人も配置されておらず、うら若い女性からの嫌悪に満ちた視線攻撃に晒されないことだけが救いだった。
(とにかく少し休んでおくか……朝になったら、誰か話が分かる人間を呼んで貰わなきゃな……このまま破廉恥罪で鞭打ちされたのでは洒落にもならないぜ)
暗澹とした心持ちで再び溜め息を零したときだ。
「なんだよ、アニキぃ~~。随分と情けないことになってるじゃん」
牢番の衛士に気付かれないようにとの配慮なのか、夜気に溶けるかのような囁きが頭上から降ってきた。
見上げた先に見知った少年を見つけたライは、唖然とした顔でその名前を呟いてしまう。
「ケインじゃないか……どうしてこんなところにいるんだ?」
天井付近にある鉄格子付の小窓から顔を覗かせているのは、ポルトベルグ共和国の首都リーベラで束の間の邂逅を果たしたものの、再会を喜び合う間もなく別れた、弟分を自負するケイン・クロノスだった。