第六話 ワケあり傭兵の受難? ①
「さて……どうするかな……」
王都バラディースの北門を出たライは、顰めっ面で途方に暮れていた。
※※※
教会を後にしてからも引き続き情報を集めようとしたが、人々の反応は芳しいものではなく、結局大した収穫は得られなかった。
(やれやれ、骨折り損のくたびれ儲けに終わったか……それにしても疲れたな)
今日は朝から精力的に歩き廻った所為もあり、胸の中でとはいえ愚痴を零す程度には疲労していた。
だから、夕暮れ前にも拘わらず、食事を済ませて早めに休もうと決めて繁華街にある宿屋を訪ねたのだが……。
『アンタだね! ルディアス王子を馬鹿にした穀潰しって奴はっ! 空き部屋? 王子様の敵に貸す部屋はないよ! さあ、出て行っておくれ!』
最初に訪ねた宿屋の女将から罵声を浴びたのがケチのつき始めで、それ以降も、繁華街や表通りに建ち並ぶ全ての宿屋で宿泊を断られてしまったのだ。
どうやら、炊き出しの場での遣り取りは、然して広くもない王都を瞬く間に駆け巡ったらしく、民衆からの反感を買ってしまったようだった。
(これは参ったな……こんな事態は想定していなかったからなぁ……それにしてもあの王子様は思いのほか国民からの信望があったのだな。甘いだけのボンボンかと思ったが、やはり俺の目が曇っていたということか……)
現状は理不尽で憂慮すべきものではあるが、あの真面目そうな王子様の困り顔を思い出せば不思議と腹は立たなかった。
とは言え、いつまでも街中で当てもなく立ち尽くしているわけにもいかない。
この様子では酒場などの対応も似たようなものだろうし、他に手段がないからといって、空き地や路上で野宿すれば、不審者として衛士に捕縛されるのは確実だ。
況してや、今回契約した傭兵らはアザールの港町で一夜を過ごすことになっており、王城を訪ねても門前払いされるのがオチだろう。
(やれやれ、仕方がない……今宵は郊外で野宿するしかないか)
そう腹を決めて北門から出て周囲を散策してみたが、視界に映るのはオレンジ色に染まり始めた荒野ばかりであり、野宿できそうな場所はとんと見当たらない。
「まあ、ツイていない日ってのはこんなもんだが……のんびりといきますか」
焦ったところで碌なことにはならないのは長い傭兵暮らしで骨身に染みていたし、携帯用の非常食や野宿に必要な小道具は、アザールの港町で補充してあるから慌てる必要もない。
最悪の場合でも、風除けになりそうな岩場の窪みでも見つけて寝床にできれば、夜空に輝く星々の輝きを堪能しながら良い夢が見れるだろう……。
ライ自身は至って呑気に構えていたが、一旦下降線を描き始めた運勢を好転させるなど、神ではない人の身では到底不可能なことだ。
それは百戦錬磨の傭兵であっても例外ではなかった。
そのことを身をもって知ることになるとは、この時のライには予想すらできなかったのである。
◇◆◇◆◇
幸いにも北部にある商業港リオンから王都を目指していた行商隊と出会えたライは、幾つかの有益な情報を得ることができた。
『王都の北西……ほら、あの小高い丘を越えた先に周囲を森に囲まれた閑静な湖がありますぞ。確か王家の直轄地だったはずじゃが、王都の民も木の実などを採取しに出入りしておったから、立ち入っても問題はなかろう』
情報を教えてくれたばかりか、夜露は身体に悪いから、と古びた毛布まで無償で提供してくれた初老の商人に礼を言ったライは、その足で丘を目指した。
ものの数分で丘の頂へ辿り着き、眼下に広がる光景の美しさに心を奪われたライは、暫し立ち尽くして感嘆の吐息を零す。
「こいつは格別だ……この景色が拝めるのならば、日がな一日歩き回った甲斐もあったというものだな」
遠景に連なる霊峰バレンティーアと、その裾野に拡がる荒涼たる大地は既に薄いオレンジ色に染まりつつあり、そんな雄大な景色の中に一際鮮やかな緑に輝く森が悠然と横たわる様子は、まるで一枚の絵画のような趣があった。
もう暫く、この絶景を眺めていたい……。
そんな誘惑に駆られるが、完全に陽が暮れる前に寝床ぐらいは確保しなければならず、泣く泣く丘を下ったライは、森を目指して歩を速めるのだった。
※※※
(もっと鬱蒼としているのかと思ったが……随分と人の手が入った森だな。さすがに王家の直轄地だけのことはある)
新鮮な濃い緑の匂いに鼻孔を擽られる感覚が懐かしく思えてしまう。
故郷を離れて早くも十年という月日が過ぎ去ったが、幼き時分に駆け回った緑の山野の記憶を忘れられるはずもなく、郷愁の念と共に鮮明に思い浮かべることができた。
(今更未練がましいことだ……二度と帰れないと分かっているのに……)
当時はそれ以外に道はないと覚悟し、自ら決断したにも拘わらず、契約を終えて血風舞う戦場から離れた時などは、無性に故郷が恋しくなる時がある。
特に今日のように純粋無垢な若者に出会った日などは尚更だ。
未練を断ち切れない往生際の悪さに辟易しながらも、それでも募る望郷の想いを断ち切れない己の弱さが歯痒くもある。
そんな時は満天の星空を眺めながら、駄目な兄貴を慕ってくれた弟妹との思い出を肴に一杯やるのが、ライのストレス解消法だった。
(森の中の野宿では夜空を眺めるのは難しいか……何をするにしても水は必要だからな……湖の畔で適当な場所を探すか)
そう決めて湖の方角へと伸びている小路を歩く。
丘から眺めた時の感覚では然して広い森には見えなかったが、整備されているとはいえ、小路は直線ではなく妙に蛇行しているが故に思ったよりも時間が掛かってしまった。
しかし、定期的に間伐が行われているらしく、木々の間には適度な隙間があって木漏れ日を浴びている下草も至って元気なようだ。
森に足を踏み入れた時に感じた清廉さが多くの人の手によって醸成されたものだと知ったライは、まだまだこの国も捨てたものではない……そう思うのだった。
だが、そんな清々しさは、木々の間から湖面が見えた瞬間に雲散霧消した。
『キュィ──ッ!!』
不意に周囲の静寂を討ち破る甲高い叫び声に耳を打たれた刹那、樹木の間に群生する下草の茂みが激しい動きを見せる。
その機動は不規則極まるものであり、時折垣間見える二匹の動物のシルエットから、逃げる得物を捕食せんとする肉食獣の狩りの場に遭遇したのだとライは大凡の見当をつけた。
そして、ほぼ同時に前を逃げていた獲物が急激な方向転換を果たし、形振り構わずに茂みを飛び出すや、無防備なライ目掛けて飛び掛かって来たのである。
だが、戦場で鍛えられたライにとって、小動物の動きを見切るなど朝駆けの駄賃ていどのものであり、抜刀して斬り払おうとしたのだが……。
『キュ、キュゥ──ンッ!!』
まるで助けを乞うかのような必死の雄叫びを上げながら茂みから飛び出して来た小動物は、子犬かと見間違わんほどの白く小さな風体をしている。
だが、その背中から生えているのは小さいとはいえ紛れもない双翼であり、自分目掛けて突っ込んで来る動物の正体に気付いたライは吃驚して叫んでいた。
「天馬だと!? どうして、こんな森の中なんかにぃ──ッ!!」
しかし、そんな詮索をしている暇はない。
刹那の間にそう判断したライは、自らが放った必殺の一閃を止めんとして全力を振り絞るのだった。