第四話 運命との邂逅 ②
「王子様、いつもいつも御慈悲を賜り……ありがとうございます」
「ルディアスさまぁ──ッ! とっても美味しそうだよ! ありがとう!」
熱い粥で満たされた木製のお椀を受け取る民らは、老若男女を問わず誰もが笑顔で感謝してくれるのだが、それがルディアスには辛くて仕方がなかった。
僅かばかりの老羊肉と雑穀を煮込み、塩で味付けしただけの粗末な食事。
王子という立場にありながら、この程度のものしか用意できない己が身の無能さが歯痒くてならず、忸怩たる思いに自己嫌悪の念は募るばかりだ。
(せめて、日々の食事にも事欠く現状だけでも改善しなければ……)
だが、そんな憂いとは裏腹に逼迫した国の財政は好転する兆しもなく、逆に国民の税負担ばかりが増え続けるという悪循環から抜け出せないでいる。
にも拘わらず、国政を預かる者達は至って呑気であり、困窮する国の現状を改善する気があるのかさえ疑わしい為体だ。
宰相や国務大臣ら国家の重責を担う閣僚たちにも意見するのだが、庶子でしかない末王子の言に耳を貸す者は皆無で、効果的な解決策も見いだせないルディアスの苦悩は深まるばかりだった。
「どうしたのぉ? 王子さまぁ。お顔が悲しそうだよぉ」
どうやら気付かぬうちに険しい表情をしていたらしく、自分の順番になった少女の不安げな声で耳を打たれたルディアスは、慌てて笑顔を取り繕いながら、手にした玉杓子で差し出された椀に粥を注いでやる。
「そんなことはないさ。私は元気一杯だよ。それよりも、お代わりはあるからね。お腹一杯食べるんだよ」
「うん! ありがとぉ──! ルディアスさまぁ」
心配事が杞憂だったと知って安堵したのか、満面に笑みを湛えた少女は覚束ない足取りで両親の元へと駆けていく。
(ふうっ……私が暗い顔をしていたら皆を不安にさせるだけじゃないか。気を付けなければ……)
その後ろ姿を見送りながら自戒するが、不意に微かな喧騒と妙な違和感を感じたルディアスは、何事かと顔を上げて周囲を見廻した。
すると、教会の正門の辺りで何やら言い争っている男女の姿に気付く。
(あれは、シスター長と……ん? 相手は旅人かな? 様子が変だが……)
教会で働いているシスターらの御目付け役でもあるアンジェリカは、誰もが認める温厚な人柄で司祭からの信任も厚い女性だ。
そんな彼女が、遠目に見ても分かるほどに不快な感情を露にしているのだから、一体全体何事か、とルディアスが訝しんだのも無理はないだろう。
その見慣れぬ風貌から、相手の男性が他国の人間であるのは容易に察せられたが、ならば、尚更口論をしている理由に思い当たる節がない。
しかし、現在進行形で頭を痛めている王位継承問題に関し、ある程度の予備知識を得ていたルディアスは、朧げながらも男の素性を察した。
(隙のない佇まい……羽織っているマントがやや膨らんでいるのは帯剣しているから……かな。エレンシアでは見かけない風体だが、騎士といった風情ではないし、だとしたら、兄様たちの件で雇われた傭兵かな……)
己が武の才覚を頼りに戦場を渡り歩く傭兵という人種が存在するのはルディアスも知ってはいたが、騒乱が続く大陸からは遠く離れた辺境のエレンシアでは滅多に目にするものではない。
事実これまでもそうだったし、これからも傭兵の手を借りるような益のない紛争など起きるはずがない、とルディアスは信じていた。
だから、アンジェリカと口論をしている男性に良い感情を懐けなかったのだが、周囲には幼い子どもらも大勢いるのだから見て見ぬフリもできない。
そう思ったルディアスは、付き添ってくれていたアルテナの配下に賄い役を任せると、諍いを仲裁するべく足早に正門へと向かった。
「あっ!? ルディアス王子! お待ちください!」
異変に気付いたアルテナの声に背中を打たれたが、歩みは止まらない。
寧ろ、込み上げて来る熱い何かに急き立てられるかのように、ルディアスは足を速めるのだった。
◇◆◇◆◇
「お気遣いには感謝いたしますが、人の血で汚れた財貨を受け取るわけにはまいりません。どうか、お引き取りくださいませ!」
まあ、予想通りの反応と言ってしまえばそれまでだが、目の前で憤然として眼も合わせようとはしないシスターの頑なさには、然しものライも苛立ちを覚えずにはいられなかった。
だから、棘を含んだ言葉が口から零れ落ちてしまったのかもしれない。
「強情な女性だ……聖職者だと呼ばれる連中は総じて頭が固い者ばかりだが、貴女も御同類ですか? 譬え、どのような素性の金だろうと金は金だ……価値に違いはないだろうに」
言ってから〝しまった”、と後悔したが後の祭りだ。
侮辱されたと思ったのか、見る見る表情を険しくしたシスターは、怒りと憐憫の情を滲ませたキツイ眼差しで睨みつけて来た。
「海皇様が目指されたのは『慈悲と共生』の世界ですわ。他者を理解しようとする努力もせず、ただ蛮勇を振るって流血による解決を是とする貴方には御分かりにはならないでしょう。とにかく御引き取り下さい!」
返って来た言葉には明らかに嫌悪の情が滲んでおり、ライとしては己の軽率さを嘆くしかなかった。
だが、それは胸の中の本音を言葉にしてしまった迂闊さをであり、自らの信念に対しての是非ではない。
(その慈悲深き海皇様も、武力で諸勢力を併合して皇国を建国したのだろうに……これだから宗教家は苦手だ。自らに都合が良いように事実を解釈するからなぁ)
どんな正論であれ、信仰という盲目的な正義の前では無力だ。
これ以上の議論は無意味だと判断したライは辛うじて非難の言葉を飲み込んだ。
(何も言わずに立ち去るのが大人なのだろうが、一度出したものを引っ込めるのも癪に障るしな……)
幼稚な感傷だと思わないではないが、粗末な食事でも嬉しそうに食べている子供らの無邪気な顔を見れば尻尾を巻いて立ち去ることもできず、何か良い方法はないかと思案に暮れてしまう。
と、その時だ。
人波を搔き分けるようにして近づいて来る者達にライは気付いた。
やや距離はあるが、その集団が炊き出し目当ての領民でないのは一目で判った。
先頭は幼さを残した顔立ちの少年だが、簡素なものとはいえ、纏っている衣服は良質なものだし、その風貌からは気品らしきものすら窺える。
そして、そんな彼に付き従う三名の従者らを見れば、その身なりから正体を想像するのは難しくはなかった。
(王家か領主に仕える騎士だな……となると、この坊やは、それなりに身分の高い貴人ってことか)
三名全てが若い女性というのには少々驚かされたが、乗馬服由来の騎士服に肢体を包んでいる様からは凛々しさすら感じられる。
特に目を引いたのは少年の半歩後ろを追随している赤毛の女性だ。
上下ともに白一色で統一された騎士服を着ている他のふたりとは違い、鮮やかな唐紅の長髪が溶け込んだかのような真紅の上着と白いトラウザーズ、そして黒い長ブーツのコントラストが、彼女が上級職に在る者だと示している。
女性にしては背丈があるが、その端正な顔立ちと、高潔さすら感じさせる騎士服との一体感が見事で、寧ろ好感が持てた。
ただ、燃えるような紅の眼からは不審者に対する警戒心がありありと見てとれ、決して歓迎されてはいないという現実も再認識せざるを得ない。
(さて、どうなることやら……穏便に済めばいいが……)
胸のうちの警戒心を悟られないようにライは平静を装ったが、傍まで歩み寄って来た少年に満面の笑みを向けられた所為で拍子抜けしてしまう。
「やあ、エレンシアへようこそ。初めて見る顔だが、旅人かな?」
詮索する気を隠そうともしない明け透けな問い掛けだが、悪意のような嫌なものは感じられないし、高圧的でもない。
たったそれだけのことだが、毒気を抜かれたライの猜疑心は雲散霧消した。
(篤志家気どりの坊やか……まあ、何もしない愚図貴族にくらべれば、自ら配膳の手伝いをしているだけ立派なものか……)
だが、その呑気な感想は、険しい表情で少年へ詰め寄ったシスターの一言で吹き飛んでしまう。
「近寄ってはなりません、ルディアス王子! この者は無頼漢の傭兵ですわっ! 人殺しを生業にする不浄の輩と言葉を交わすなど、御身が穢れてしまいます!」
無礼極まる偏見ではあるが、傭兵稼業に身を置く者へ向けられる大衆の視線には、多かれ少なかれ同種の感情が存在しているのが常だ。
だから、この程度の中傷には慣れているし、いちいち腹を立てるほどライも狭量ではなかった。
だが、彼の胸の奥底にある矜持を揺さぶり、怒りのスイッチを押す役目を果たす言葉が、シスターの物言いの中に含まれていたとなれば話は別だ。
それは……。
「ルディアス王子? 今、王子と聞こえたが、私の聞き間違いかな?」
ライの口から零れた問い掛けからは一切の感情が抜け落ちており、息苦しくなるような圧を纏っている。
その変化は余りにも唐突かつ激的であり、ルディアスは元より、アルテナと配下の騎士らまでもが反射的に身構えていた。
なぜならば、殺気と言っても過言ではない強く暗い怒りを、目の前の傭兵から犇々と感じ取ったからだ。
ワケあり傭兵ライとミソッカス王子ルディアス。
この不穏な空気の中、ふたりの運命は邂逅を果たしたのである。