第四話 運命との邂逅 ①
ポルトベルグ共和国の首都リーベラを出港してから二十日後。
幸運にも季節風による強い追い風と海流に恵まれたとはいえ、ライたちを乗せた中型のナオ級帆船は、予定を大幅に短縮して無事に目的の島へと到着した。
「ここが中央大海東の果てと呼ばれるミュートス島か……確か、支配しているのはエレンシアとかいう王家だったかな?」
間もなく入港ということもあって、甲板は忙しく動き回る船員や乗客らでごった返しており、手持ち無沙汰のライは身近に居た肝煎屋へ問い掛けてみたが、返って来たのは期待したものには程遠い代物だった。
「無駄口を叩くんじゃねえ。さっさと下船の準備をしやがれ。陸に上がって手続きを済ませたら、今夜はこの港町で一泊だ。支度金は前金で払ってあるから、酒でも女でも好きに楽しむがいいさ」
そう告げるや否や、軽く鼻を鳴らした自称仲介業者は、その場を離れていく。
彼等にしてみれば、航海を共にしたのは飽くまでも仕事だからであり、取引相手と親密な関係を築くつもりはないらしい。
(俺も友人は選ぶ性質だが、それでも、友情を育む努力ぐらいはするがねぇ……)
素気無い対応に憤慨するも、ライとて彼らと仲良くする気など微塵もないのだから、そこはお互いさまだろう。
しかし、狭い船内で三週間ものあいだ寝食を共にしながらも、肝煎屋や、彼らがスカウトしたお仲間連中と碌な会話も交わせなかったのは大きな誤算だった。
常に紛争が絶えない両大陸とは違い、この広大な海洋地域では百年以上も国同士の戦争は起きておらず、穏やかな時の流れの中で平和を享受してきたのだ。
勿論、この大海洋世界にも数多の島嶼国家が存在しているし、国家間のトラブルが皆無だったわけではない。
しかし、それらの国々の大半はアスティア皇国を盟主とした『海洋諸国家連合体 オケアヌス』に加盟しており、独自の宗教観に基づいた強固な同盟関係を構築するに至っている。
それ故に紛争の解決手段は、専ら政治的談合によって為されるのが殆どであり、外交の最終手段として行使される戦争という災禍は絶えて久しい。
そんな状況だから傭兵などの需要は無いに等しく、ライ自身も今回が初来訪という有り様だった。
だからこそ、この世界に於いて第三の人類生存圏である中央大海との縁もなく、予備知識も皆無といった状況では、何かしらの不都合に遭遇したときに後手を踏みかねない、との不安をライは懐いていた。
そんな懸念を払拭するためにも、些細なことでも構わないから情報を得んと試みたのだが、その目論見は見事に期待外れに終わったのである。
(やれやれ……今回は初っ端からアテが外れてしまったな。まぁ、仕方がない……同業者連中が頼りにならない以上、地道に住民から情報を集めるしかないか)
幸先の悪さを嘆くライとは裏腹に、軽快な動きを見せる中型帆船は、多くの荷役労働者が待ち受ける桟橋へ滑り込むように横づけされるのだった。
◇◆◇◆◇
地道に住民から情報を集めるしかない……。
そう腹を括ったものの、それが最も困難な作業だと上陸した早々に思い知らされたライは、右も左も分からぬ土地で途方に暮れるしかなかった。
彼らを乗せた船が入港したのはミュートス島南東部にあるアザールという港町であり、この島を統治するエレンシア王国の王都バラディースの玄関口としての役割も担っている……とのこと。
港湾地区から居住区の周辺を二時間近くも歩き回った挙句、得た情報がたったのこれだけとなれば、肩透かしを喰らった気分になるのも無理はないだろう。
(胡散臭い余所者を忌避する気持ちは分かるが、少し度が過ぎてはいないか?)
そんな嘆きも決して大袈裟なものではなく、老若男女を問わず、実際に声を掛けた相手から露骨に警戒されて碌に話すらできないのだから、情報を得るどころではなかった。
「物騒な武器をぶら下げた破落戸らが平穏な日常に割り込んできたのだから、住民が恐怖するのも無理はないが、それにしても……」
徒労感から思わず愚痴を零すライだったが、頑なな彼らの態度から、問題は別にあるのではないかとの疑念も感じていた。
住人らの表情には疲労と諦観が色濃く滲んでおり、それが何を意味するのかは、余所者でしかないライにも大方の察しは付く。
(貧困……か。国の玄関口である港町なら栄えて当然なのに……どうやら、今回もハズレくじを引いたみたいだな)
国民が困窮する最大の原因は、国の政治体制が真面ではない……これに尽きる。
堕落した領主や官僚、支配者に都合が良く未整備な法、小役人らの横暴と腐敗。
国が疲弊する原因など数え上げれば切りがないが、それらの全ては、王や貴族といった為政者によって引き起こされる人災だと言っても過言ではない。
「愚かで救いようのない王や貴族が蔓延っているのは、どこも同じか……」
そう慨嘆したものの、少なくとも契約した一年間は逃げ出すわけにはいかないのだから、今のライに選択肢はないに等しい。
相手がどの様な者であれ、金で命のやり取りをする傭兵にとって契約は絶対だ。
一旦交わした約束事を『気に入らないから』と勝手に反故にはできないし、自らの信用と好悪の情を天秤にかけるような青二才に傭兵など務まるはずもない。
となれば、見て見ぬふりをして契約期間を無難にやり過ごす……。
哀しいかな、それが社会の底辺で生きる傭兵の処世術であることは、ライも弁えていた。
「仕方がない……今夜はこの街で英気を養えとは言われたが……」
そんな気分にもなれず、いっそ王都まで足を延ばしてみるか、との思いが脳裏を過る。
下船して最初に案内された役場の詰め所で受けた説明は、明日正午丁度に王都の内城門前に集合すれば良いという、いたって緩い沙汰だった。
つまり、この街で飲み明かそうが、別の場所で過ごそうが、自由ということだ。
城塞都市である王都バラディースは、このアザールの目と鼻の先にあり、五キロほど北上した場所にあるらしい。
この街よりは住民の数も多いはずだから、何かしらの情報は得られるかもしれない……そんな心許ない希望に背中を押されたライは、街道へ続く北門へと歩き出すのだった。
◇◆◇◆◇
王都の外壁に設えられた南の城門に到着したのは、正午を少し過ぎた頃だ。
一応城塞都市の体裁は保っているようだが、都市の防備を担う城壁としては規模も強度も物足りない、というのがライが懐いた素直な第一印象だった。
(隣国との戦火が絶えないグラーシア大陸とは違うな……大きな紛争がないというのは本当らしい……とはいえ、それが救いかといえば、微妙なところだが)
凄惨な戦争の憂き目に遭わないで済むのは僥倖だが、慢性的な危機意識の欠如は、いざという時に国家を滅ぼしかねない危険をも内包している。
だからこそ、王たる者は常に細心の注意を心掛けねばならないのに……。
そう嘆いたのと同時に、ある疑念が脳裏に浮かんだ。
(無法海賊団との小競り合いが精々という状況であるにも拘わらず、傭兵を募っているのはなぜだ?)
それはあまりにも唐突なものだったが、決して小さくはない違和感として頭の片隅にこびり付く。
だが、然したる情報を持ち得ない状況では、国の内情を慮るなど不可能だ。
そう判断したライは疑念を胸に仕舞い、予め役人から配布されていた通行証を使って城門の検問を通過するや、外壁と政治中枢を護る内壁との間に拡がる市街地へと足を踏み出すのだった。
※※※
王家の御膝元である都市ならば幾らかはマシかと期待していたのだが、住民らからは生気は感じられず、中央通りに立ち並ぶ商店は品揃えも微々たるもので、当然ながら人通りも少なく閑散としていた。
その様相は、今朝がたに見たアザールの港町と大差ないように見える。
(この国の王族や貴族と呼ばれている連中は、どうやら愚昧で能無しばかりらしい……飢えた民を放置するなんて為政者としては失格だ)
そんな苦い憐憫の情に苛まれたのは、繁華街の外れにある教会らしい建物の前を通ったときだ。
オケアヌス諸国家連合の勢力圏では『海皇信仰』なる独自の宗教的概念が大勢を占めており、ヴィエーラ教の教徒は皆無と言っても過言ではなかった。
勿論、かの教団の強引な布教に見向きもしないのには理由がある。
それは、この海洋世界に伝わる伝説に因るところが大きい。
約千年以上も昔に突如として中央大海へ現れるや、弱小の反乱組織を率いて周辺諸国を斬り従え、現アスティア皇国を建国した英雄がいた。
その人物を『海皇』と称えたのが始まりらしいが、その英雄が活躍したのは極めて短期間だったらしく、語り継がれている伝承以外には明確な記録も遺品も残されてはいない。
ただ、海皇が愛用した槍のみが、朽ち果てた姿のままアスティア皇国の宮殿にて保管されているとのこと……。
ライの知識は、その程度のものだった。
そんな海皇伝説と信仰の拠りどころとなっているのが、教会なのだ。
そして、そんな場所でライが目にしたのは、木製のお椀に注がれた粥らしきものを啜っている、大勢の子供や老人らの姿だった。
(炊き出しか……奇特なことだとは思うが、糊口を凌ぐだけでしかないのならば、根本的な問題の解決にはならないだろうに……)
思わず舌打ちしそうになったが、子供らの痩せ細った身体を見れば、日々の食事さえ満足に得られていないのは一目瞭然だし、そんな彼らを責めるのが筋違いなのは、ライも分かっている。
とは言え、無頼漢同然の傭兵でしかない己に出来ることなど無いに等しい。
また、敬虔な信徒であるほど、血生臭い戦場暮らしを生業とする傭兵を忌避するものだ。
そんな現実を嫌というほど知っているライは、全てを見なかったことにして踵を返そうとしたのだが……。
(関わり合いにならない方が良い……声を掛けても嫌な顔をされるのがオチだ)
これまでの経験から愉快な思いはしないと分かってはいても、僅かばかりの食事に夢中になっている子供たちの哀れな姿を見れば、このまま立ち去るのも忍びなくなってしまう。
傭兵には似つかわしくもない偽善だと分かってはいるが、後ろ髪を引かれる思いを振り払えなかったライは、懐にある皮の小袋へと手を伸ばすのだった。




